一時の夢
身分の違いとはこんなにも大きかったのか。
なんてことを、まさか学生の身で思い知ることになるとは思わなかった。
花町の入り口でぼんやりと中を見つめる燕青は、彼らしくない暗い表情で息を吐き出した。
入ったところで遊ぶ金などない。ましてや彼を指名する金なんて。
――でもセイがいるのはこの中なんだ
花町の入り口の門が、鎖のかかった鉄格子に見えた。
勤め先の主人の気まぐれで連れて行かれた陰間茶屋。
その先でまた気まぐれで、健全で真面目な学生のはずだった燕青はその店の売れっ子太夫と一夜を過ごす羽目になった。
羽目という表現は間違っているかもしれない。
少なくとも、燕青は人生の中で最も至福の瞬間だったのだ。
「男と語り明かした夜が人生で一番幸せな日だったって…俺ヤバくね?」
「そうですね。世間的に言えばおかしいかもしれませんが、それがあなたの本心なら偽る必要はないと思いますよ」
燕青の苦渋に満ちた言葉に、穏やかな声で返答するのは悠舜。
学生と教師という関係ではあるが、二人は旧知の中で親しかった。
相談相手にはもってこいの悠舜を前に、燕青は母音に濁点をつけたような変な声でうなる。
「偽る以前に…もう二度と会えねえ…かも」
「太夫の位を持つ、陰間さん、ですか」
それは学生の身分じゃ、難しいでしょうね。
悠舜はやはり、穏やかな口ぶりのままで言い切った。
「それに、彼らは各々育った店から外出出来ないと聞きます。そのための小姓なんだとか」
「……偶然出くわすってのも、なし、か…」
「可能性は低いでしょうね」
「…さよなら…俺の初恋…」
当分、もしかしたら一生、次の恋にいけなかもしれない。
雲間からのぞく月のような笑顔を見せたセイが忘れられない。忘れたくない。
感傷に浸りそうになった燕青の頭を、悠舜が扇子でパシリとはたく。
「さよならするには早すぎるでしょう、この馬鹿!」
「やっぱり?」
「男なら諦めが着くまで追いかけ続けなさい」
「ははっ、悠舜にこんなことで怒られる日がくるとは思わなかった」
「私だって、予想外でしたよ」
まるで悠舜が親のような顔で笑うから、燕青はむずがゆくなってばつが悪そうにニヤっと笑った。
そんなこんなで、燕青は今日も諦め悪く花町の入り口までやってきた。
いつもはその町の雰囲気なんかに尻ごみして入り口までが精いっぱいだったが、悠舜の言葉に背中を押され、ゆっくりと門をくぐった。
――金は持ってない。でも、道を歩くのはタダだ!
そう言い聞かせながら華やかな通りを歩く。
「兄さん!少し休んでいきなよ」
「あら、お兄さん男前ねえ〜、サービスするからお上がりよ」
あっちからもこっちからも声をかけられ、腕を引かれる。
綺麗に着飾った遊女だちが、稀に見る男前の客を引きいれようと必死なのだが燕青に分かるはずもない。
みんな大変なんだなあ、とズレた感想を持ちながら奥へと進む。
中が歓迎ムードだからかもしれないが、不思議と入ってしまうと足取りは軽やかになった。
――…一目でもいい。絶対会ってやる!
セイの見せたさまざまな表情を思い起こし、燕青はぐっとこぶしを握った。
>>>続く
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