恋に落ちる音
おまけ
静蘭視点
いつから此処にいるのか、記憶はあやふやだった。
ただ1つはっきりと分かっていることは、自分が此処にいなければ大切な人が傷つくといこと。
体を売ることにためらいはなかったが、太夫と呼ばれるようになっても慣れることはなかった。
階級が上がるにつれて客の年齢層も上がり、内外ともに嫌悪を抱くような男が客になり嫌悪感は増すばかり。
つまらない日常だった。
その日呼ばれた席で人生が変わるとは思いもよらなかった。
呼んだ男についてはよく知っている。
がたいのいい男が好みらしく、セイは指名を受けたことがないが度々訪れる常連だ。
なんの気まぐれだと思いつつも、部屋へ行った。
「どうぞご贔屓に」
心にもない言葉を吐いた後に上げた視線とぶつかったのは、中年の男ではなく、精悍な青年だった。
おや、と思いしばし見つめてしまう、とび色の綺麗な目。
その輝きを近くで見たくて、自ら酒を注ぎに行く。
動揺する様子は初々しくて好ましくさえ思った。
しかしそんな微かな楽しみも、燕青というらしいその男が自分を指名した途端に崩れた。
どうせみんな同じなんだと、分かっていたはずなのに違いを期待していた。
どうやら金は全て連れてきた常連の男が払うらしく、しばらく押し問答を繰り広げていたが結局は欲望に負けるのだ。
明らかに男の好みだろう燕青の容姿からして、実はそういった付き合いもあるのかと考え、止めた。
燕青と誰かがを想像するだけで気持ちが悪くなった。
これは一体なんだのだろう。
「燕青様、とおっしゃるんですか?」
緊張しているのかうつむく燕青に声をかける。
自分が一番美しく見える姿で、話しかけると彼はすぐに顔を上げた。
「浪燕青って言うんだ。普段はこんなとこには絶対無縁のただの学生だけどな、今日はなんか…働き先のご主人に気に入られちゃってさー…」
聞いてもいないことをべらべらと話すが、その声は耳に心地よかった。
久しぶり、否、初めて抱かれてもいいとさえ思う。
それなのに、燕青が次に言った言葉は期待を裏切るものだった。
「今日はもう寝ようぜ」
「は?」
だからつい素で反応してしまう。
顔もしかめてしまっただろう。
慌てて言葉遣いを改め問い返す。
「本気で言ってるんですか?」
「主人には悪いかなあと思うけど、それ以上にお前に失礼な気がするし」
「私に…?」
そんな気遣いは要らないのに。
「お前ってより、心に失礼かなあって…。それに…」
それに、の続きは聞かずとも分かった。
優しくて残酷な男だ。
目を見たときからきっと――。
「変な奴…」
客に恋をするなんて馬鹿げている。
ここは遊郭、一晩の夢をうる場所。
でも今夜だけセイ太夫の仮面を外して、静蘭として接してもいいだろうか。
恋に落ちる音
同時に聞こえるのは粉々に崩れる音
END
一目ぼれなんだと思う。
何気に燕青の貞操の危機です(主人!)
※ここまでは双玉祭で掲載したものと同じです
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