また続き






櫂の家の前に着いた。
マンションの外からは人の声や車の走る音が聞こえる。だが、平日の午前中だけあって、このフロアには俺たち以外誰も居ないし、気配もしない。
櫂の部屋もいつも通りで、中に誰かが居るという感じはしない。

暫く無言で扉の前に立っていたが、覚悟を決めて、ポケットから鍵を出す。

「……行くぞ」

櫂は、はっきりと頷いた。



鍵を開けて、ゆっくりと扉を開ける。
家の中は昨日1日住人が帰らなかっただけだと言うのに、物凄く冷たく感じる。
やはり人の気配はしない。
ただ、静かな空間は無駄に不安を煽ってくる。
静かに靴を脱ぎ、廊下の電気をつけたが、特に何もなかった。
そのままリビングの方へと向かう途中に通る、風呂やトイレへの扉を開けて中を確認する。
開ける時に無駄にドキドキとしたが、中には誰も居なくて、いつも通りだった。
トイレ、脱衣場、風呂、全ての電気をつけ、扉も開けっ放しにして、廊下を一歩一歩、ゆっくりと進む。
リビング前の客間も、同じように扉を開けて電気をつけた。一応クローゼットも開けてみるが、勿論何もない。

部屋を出て、リビング、ダイニングの一番大きい部屋へと向かう。
今の所、おかしな所は何もない。
ストーカーが居る気配は勿論、ストーカーが侵入したかどうかも分からないぐらいに、何もない。
ゆっくりと扉を開ける。
すると、真正面の、ベランダへと続く大きなガラス扉から、それなりに明るい日差しが入ってきている為、部屋の中は明るかった。
扉は開けたまま、中へと入る。

「……特に変わったもんは、ないな」

「……ああ」

部屋を見回し、少し気が抜ける。
人が居る気配はやはり無い。
櫂曰わく、昨日学校に行く前に時間がなくて畳まずに置きっぱなしにした洗濯物までそのままだとか。

櫂は、基本的に殆どをこの部屋で生活しているから、なにかあるとしたらここだと思っていた。
それが、何も見つからないなんて、ストーカーはここには、居ないんじゃないか?

よく考えれば、プレゼントは毎日学校の机の中にあったから、同じ学校のやつの可能性が高い。
ということは、今頃は学校に行ってるんじゃないか?
時計を見る。丁度昼休みくらいだろうか。
もし、同じクラスのやつだったなら、次は体育だから、着替えもしなくてはいけないから、忙しい時間なんじゃないだろうか。

やはり、ここにストーカーは居ないんじゃないか?
途端に気が抜けて、ソファに倒れ込む。
確かに会うつもりで来たが、会いたかった訳じゃないし、むしろできる事なら会いたくないくらいだ。
確かに話をしっかりと聞きたい思いはあるが、今は会わなくていいのだと思うと安心して力が抜けた。

「三和?」

櫂が、俺の顔を覗き込む。
その心配げな顔に、思わずうずうずとしてしまい、思いっきりに抱き寄せた。

「なっ、どうしたんだ」

「……なんか、気ぃ抜けた」

ストーカーが学校に行っている可能性が高いという話をすれば、櫂も納得したように「そうか」と呟き、力が抜けたように俺に体重を預けた。
一層強く抱きしめる。すると、おずおずと櫂も俺の背中に手を回した。

すごく、安心して、さっきまでの緊張感が嘘のように、幸せな気持ちになる。
心臓がいつもより早く動いて、暖かい気持ちになる。
櫂の事が、好きだと思う。

「櫂、好きだ」

気付けば、口に出して言っていた。
櫂は無言で俺の目をじっと見つめる。そして少し悩むようにしてから、ちゅ、と小さく俺にキスをした。
俺はただ驚いて、より一層心臓が早くなり、顔が赤くなるのが自分でもわかる。
櫂も少しだけ顔を赤らめて、まっすぐに俺を見ていた。
なにその顔、なにその、嬉しそうな顔。

そのキスがきっと櫂の返事なんだろう。
たまらなくなって、櫂の後頭部に手をそえて、思いっきり引き寄せた。
深く口付ける。
櫂も最初は驚いたのか抵抗していたが、舌を入れると、遠慮気味に絡めて返してくれた。

「んっ……う……」

しばらくそうして、離れてはくっついてを繰り返していた。
興奮している頭も、少しずつ落ち着いてくる。

そして、冷静になってくるとやってきた、微妙な後悔。
なんで、俺はこんな事をしてるんだろう。
頬を赤く染めて、熱い息を吐く櫂に、ちゅっ、と音を立てて、触れるだけのキスを繰り返す。

櫂とこんなキスをするなんて、昨日までは有り得ない事だった筈なのに。
櫂をそんな風に見た事はない筈なのに、今は、セックスすらしたいと思う。同性愛に偏見は無かったが、まさか自分は違うと思っていた。
それなのに、今ここで櫂を押し倒してしまいたい気持ちでいっぱいだ。
櫂とのセックスを想像してまた脳内でのテンションがとんでもない事になり、自分の心理から目を反らすように、再び舌を入れて乱暴に絡めはじめる。
心臓がばくばくとなっていてうるさい。
この心臓のうるささはストーカーへの恐怖なのか、櫂への興奮なのか。正直分からない。
きっと、つり橋効果のような事が起きているんじゃないかとは思う。ストーカーのせいで色々な物事の基準値がおかしくなってしまっているのも確かだと思う。それでも、この櫂に対する『いとおしい』と思える気持ちは本物だと言える。

もしかすると俺は、ストーカーより最低なのかも知れない。
ストーカーでさえ櫂には手を出さなかったのに、俺は、こうやって、櫂とのキスが止まらないし、それ以上を求めている。
なにやってんだ俺。櫂を守るんだろう。俺が櫂にこんな事してどうすんだよ。

「櫂……」

名前を、呼んだ瞬間だった。
カチャンと、扉が閉まる音がした。

2人で音のした方へと勢いよく振り向くが、誰も居ない。
あるのは、櫂が寝室として使っている部屋の方へ続く、扉。
あっちにある、櫂の部屋と、物置にしている部屋はまだ見ていない。
あの扉の向こうに、誰かが、居るかも知れない。

櫂とのキスで熱くなっていた体が一気に冷める。
馬鹿だった。油断せずに全ての部屋を見てから気を抜くべきだった。こんな所で櫂とキスをするなんて、ストーカーに対して煽りにしかならないじゃないか。いや、本当にストーカーはそこに居るのか?ただ風の音とか、そんなのじゃあないのか。
それにもし本当にストーカーがそこに居たとして、今のキスを見ていたのだろうか。
見ていたなら、今、どんな心境で、そこに居るんだろうか。


櫂は顔を青くして、小さく震えながら扉をじっと見つめていた。
俺も、櫂の肩へ添えた手がどうしようもなく震える。
何やってるんだ俺。俺のせいだ。俺が気を抜いたから。俺が油断して先に全部の部屋を見なかったから。

動けずに居ると、櫂はゆっくりと俺へと向き直った。
そして、肩に置かれた、みっともなく震えている俺の手に、優しく手を重ねた。

「……俺が見てくる」

櫂は物凄く不安げな表情のくせに、強がるように無理やり口の端だけを釣り上げたような何とも言えない顔をして、立ち上がる。

「なっ、何言ってんだよ……!」

急いで服を掴んで引き止める。
混乱した頭では上手く喋れず、とにかくブレザーの裾を思いっきりに掴んだ。

櫂が行くなんて、それじゃ、駄目だろ。扉の向こうに居る誰かは、櫂を狙ってんだ、だから、俺が櫂を守らなきゃいけないのに、これじゃあ、俺が櫂に守られてんじゃねぇか。
思いっきりに歯を食いしばる。

「櫂、俺が行くから……!お前は、すぐここから出て、人の多いとこまで走って、警察に電話してくれ、頼むから、なあ櫂……!」

殆ど泣く寸前で言えば、櫂も泣きそうな顔をして首を横に振った。

「今はどっちが行っても危険なのは同じだ!だったら、これはもとは俺の問題なんだから、俺が行く……!」

2人とも、譲らない。
お互い涙が零れるギリギリの状態で、余裕無く言い合いをする。それでも櫂は扉に向かって歩き出そうとするから、腰元に抱き付くようにして必死に引き止めた。
その瞬間だった。


ダンッ!!!!


後ろから大きい音がして、ばっと振り向けば、部屋を明るく照らす、ベランダへと続く大きなガラス扉。
そこに、人の手が、あった。

ダンッ!!!

手は、もう一度、力強くガラスを叩く。
隠れていて人の姿は見えず、伸ばされた腕だけが見える。
このベランダは、櫂が寝室に使っている部屋と繋がっている。だから、そちらから出てこっちに腕を伸ばしているのだろう。

ダンッ、ダンッ!ダンッ!!!手は、何度もガラスを叩いている。だんだんと叩く力も強くなっていく。
そして力強く動かされる腕に合わせて、ちらちらと動く人間の影が、見えた。
そして、一瞬だけ見えた男の顔は、恐ろしい形相で真っ直ぐに俺を見ていて、強烈な殺意に満ちた目と、視線がばっちり噛み合った。

俺は櫂の腕を掴んで玄関へと走り出した。
足がもつれそうになる。それでも、振り返らずに走って、玄関扉を開く。靴を履いている暇なんてない。とにかく自分の履いてきた靴と適当に目に入った櫂の靴を掴んで外へと急ぐ。エレベーターなんて待っていられない。櫂の腕を掴んだまま、階段を裸足で駆け下りる。怖い。怖い怖い怖い!!振り返れない。
そのまま息を切らしながら、人が沢山居る公園までただ走り続けた。






もう一回だけ続く

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