日が経つにつれ、みるみるひかりを失っていく彼の瞳が恐ろしかった。

「こんばんは」

寮のソファーで何をするでもなく、虚を見つめる彼に声をかける。
名も知らぬ彼の瞳に私は映っているのか、定かではない。

「こんばんは、アイギス」

彼は首をこちらに向け、私の名を呼んだ。
同じ寮で、同じクラス。隣の席の少年。成績優秀。生徒会他多数の部に所属。
そんな、すぐにでもわかるような当たり前のことが、私の知っている彼のすべて。

記憶の量に違和感を覚える。もっと知っているはずなのに、私の記憶にはこれっぽっちしか残っていない。けれど私を見つめる瞳だけが変わらず慈愛の色を含むことは、確かな真実として胸中に依然としてある。
最近の様子から、その瞳ももはや失われるのだという予感が、ぽつりぽつりと開いていた。
確信することで彼が遠くなる気がして後込みをしていた。背を押したのは一片の希望を残した僅かな好奇心。

「今日は、青空でしたね」

彼は変わらず彼のままでいるのだと、知りたかった。

「―――、そうだね、うん。青空だった」

時が止まった。気がした。
私の電子回路は衝撃に仕事を忘れてしまったような感覚がした。

「アイギス?」
「いえ、綺麗な、青空でした」
「うん、綺麗だった」

震える指先を服に縫い付け、喉で錆び付いたように言葉を吐いた。
窓から見えるのは、雲がすべてを覆い隠すほど青空とは言い難い空。

嘘だった。今日は青空などではなかった。
私は嘘をついた。彼を試した。
そして彼は、私の言葉に合わせるように答えた。

見えていないのだ。

瞬間、ぼんやりと滲んだ彼との境界が分かたれたことを理解した。

私が今の私になる前から記憶に残り続けている彼の唯一がコロリと消えた。
きれいな青灰色。くすんだ曇り空。私の知らない瞳。
記憶がひきつり、金切り声をあげた。

「どうして」

漏れた言葉に察したように身体が揺らいだ。
薄ぼんやりとした少年は、その濁った青と眼差しで私を糾弾する。私の知らない彼の青灰色が、私のすべてを知っているかのごとく向けられる。

「無理がたたって、少しずつ」

その瞳は、見えていない。

「またね。アイギス」

それ以上の進行はやわらかな低音に拒まれ、制された。
彼の眼球は、ひかりを無慈悲に反射する。
輝いていたブルーグレイは、きれいな宝石へと変わっていった。

私は、彼が恐ろしかった。
同じ寮で、同じクラス。隣の席の少年。成績優秀。生徒会他多数の部に所属。
他人のはずの私を、優しい慈母のように包む。
見えない瞳で、嬉しそうに世界を見ている。
それが私の知る彼のすべて。
怯える素振りも見せず、宝石を携えて、生を手放すのだろう。
そこには悲しみも諦めも動揺も、負の感情ととれるものはなにもない。
遠くで死神が笑う幻を見た。



彼はまぶたを下ろして世界を遮断する。
私は泣き崩れて、それでおしまい。






(3月4日)

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