立ち込める酸の臭いに顔をしかめる。
臭いの出どころは探るまでもない。蛇口から流れる水と吐捨する音が混ざり合って異様を奏でている。
この部屋の主人は、洗面台で身を屈めて嘔吐していた。
「…大丈夫?」
少しの好奇心から洗面台を覗いた。どれほどグロテスクな光景が晒されているのだろうと。ところが固形物ととれるものは見当たらない。排水口につっかえてもいない。
胃の中のものを出し切るどころではない。はじめから胃の中のものなど存在していなかった。胃液しか出ていなかった。
「キミ、ちゃんと食べてる?」
「いや…」
元々白い顔はより一層白くなり、生気のない目はどこを見ているかもわからない。
胃を掻き回し脳内をうごめく不快感が少年を圧迫している。くるしい。きもちわるい。感情がぐるりとなだれ込む。
「なんだろう、なんなんだコレ」
「つわりじゃない?」
「バカ言うな。…っ、」
胃液すらも吐き出し尽くしたと思えるほどに、口から出るものはない。
なにも出ないはずなのに、なにかが出てこようとしている。体内から押し上げる感覚は絶えず少年を苦しめている。
その様子を見ながら、不可思議な感情に苛まれた。
「ごめんね」
「なんで…お前が謝る」
少年は苦しげに呻きながら顔をあげた。瞳は濡れ、唇は紫に変色していた。
汗で張り付いた髪をかき上げた。焦点の定まらない瞳は夜の子供を映す。
この病的に白く美しい少年は、自分が作り出したものである。少年の苦しみはすべて自分のものである。
「ごめんなさい」
自分が彼のすべてを握っている。それを実感した。不思議と恍惚とした満足感が生まれた。掻き立てられたら独占欲と、少年の所有者たる証明を見いだしたことで湧き上がる喜び。
少年の頬に手を添えた。痛みに歪む顔があまりにもきれいで、ずっと見ていたくなった。
「僕ね、もうすぐ生まれるんだ」
水道から流れる水音が静寂を連れていく。声が少年の頭を掻き回す。苦悶と動揺がない交ぜになった表情で見ていた。頬に添えた手に冷たい汗が染みる。
先まで何を見ているかわからなった瞳が、今ははっきりと自分を捕らえている。
可笑しい。可笑しくてたまらない。
「ね、おかあさん」
大きな青灰色の瞳がさらに大きく見開いた。
眼球に映る己の口端は、おもちゃを見つけた子供のように笑っていた。