身体が半回転して、己が地面に叩きつけられたのを知った。高速で動いた視界は脳の処理速度を超えている。頬に熱を帯びた痛みが伝う。上からは彼の荒い息遣いが聞こえてくる。
殴られたのだと気づいたのは、少し経ってからのことだった。

「ふざけるな」

絞るように出された声は常の彼の声よりも低く、殺意すら持ち合わせていた。鋭さを伴う眼孔が僕を縫い付けて離さない。初めて見た彼の憤然たる表情に、場違いにも高揚した。
震える拳の次なる矛先は僕なのか、それとも彼自身なのか。

「さんざん俺の人生引っ掻き回したくせに、お前は後始末もしないで逃げるのか」

乱暴に胸ぐらを掴まれた。襟が無慈悲に僕に食い込む。

「逃げてるわけじゃない」
「うるさい」
「これが最善の方法なんだ」
「黙れ」
「殺して。そうしたら、楽になるから」
「黙れ!」

部屋を突き破りそうなほど声が響いた。彼がこんなにも感情を露わにするとは珍しい。
ギリギリと襟を締められる。気道が閉められていく。苦しい。
でもふと見た彼の表情は、僕の其れよりも歪んでいた。殴られたのは、苦しいのは僕なのに、彼のほうが痛く辛そうな顔をしていた。その顔を見て、僕の心臓がキュウと軋んだ。

「10年だ」

不意に手を放さた。我先にと流れ込む空気に咳き込み、僕は膝をつく。そのまま首を絞めてくれたら、と馬鹿なことを思った矢先のことだった。
彼は表情一つ変えることなく、そしてどこか寂しげな目で見下ろしていた。

「10年?」
「そうだ。お前が俺の人生を台無しにした年数」

事実は淡々と伝えられる。我ながら笑えた。
どれだけ謝っても許して貰えないだろう。彼の半生、10年がどれほどのものだったかを僕は知っている。
僕は幾万もの罵倒の言葉を期待した。でも、そんなものは降っては来なかった。

「同じ分、お前は償わなきゃならない」
「どういうこと?」
「生きろ」

「生きて償えよ」

耳を疑った。
その次に、馬鹿だ、と思った。そんな考えをこの期に及んでするなど、馬鹿だ。

「償えって言ってるんだ。死刑じゃあない。10年なんて言わない。15年でも20年でも、100年だっていい。俺のために生きろ。生きればいい。さんざん一緒にいたいとかほざいてたくせに。死ぬとか、殺せとか、馬鹿じゃないのか。なんなら、なんなら、生きてニンゲン様との違いに辟易して発狂すればいいさこの擬態人間野郎」

いつもの口数の少なさが嘘みたいに饒舌で、思わず面食らってしまった。
彼は不器用だから、僕を繋ぎ止めようとするのにも素直な表現を使うことができないのだろう。それでも僕には遠まわしな愛情がわかってしまう。なんたって、10年だ。
僕だって生きたい。可能性であれば未来永劫彼の傍にいたい。別に恋人になりたいと言っているわけではない。ただ隣にいたいだけなのだ。そんな簡単なことも神様は許してはくれない。
だから僕は諦めた。けれど彼はまだしがみついていた。

涸れた喉が必死に声を押し出す様は哀れで、愛しかった。僕も馬鹿なのだろう。この期に及んでも出てきたものは愛しいとか苦しいとかいう感情で、まるで人間みたいだ。

「ふざけんなよ」

彼は乱暴な言葉を吐く。でもそれを愛情の裏返しだと知っているのに、何も言えないことがどうしようもなく悲しい。
彼に触れる資格も最早ない。そんなことを思っていたけれど、彼は僕の胸元に、ドン、と頭を預けてきた。服を強く握る指の感覚から、彼の感情を知る。
嗚咽を漏らす彼を腕の中で抱えながら、すべて夢であったなら、と馬鹿なことを祈った。

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -