(これと対)




眼下に広がる慣れ親しんだ港区は、一年前の緩やかな空気そのままに世界を形作っていた。この世界を守れただけで充分だと言えるほどに、僕はここを愛してしまっていた。
究極の自己犠牲は究極の自己満足でしかないけれど、僕が幸せならそれでいいじゃないかなどと半ば投げやりな自己中心的考えを捨て去ることすら今やできない。
約束の場所には、僕とアイギス。たった二人で、ずっと二人なのかもしれない。

「風、気持ちいいですね」

愛したもののひとつであるこの機械の少女は、僕の頭を膝に乗せ、柔らかな言葉で空気を揺らしながら歌うように語る。

「これからもずっと、あなたを守りたい。あなたの力になりたい」

アイギス、僕の大切。無償で愛をくれた僕の盾。
身をていして僕を守り続けた。きっとこれからもそうなのだろう。
僕という重たい碇のついた鎖を引きずりながら彼女は生きていくのだ。

彼女の顔越しの空を見て、どこまでも広がる青空に吸い込まれるように呼吸を合わせる。僕が同化する錯覚。同化した記憶。
何をしても届きそうにない其処が何故だか近く感じた。それは目の前の彼女よりも、近い。
青の空から視線をずらせば、今にも泣き出しそうな少女の瞳があった。僕を映すガラス玉が涙を堪えるように揺らぐ。なにかに怯えるように僕を見ている。

「僕は幸せだよ、アイギス」

彼女のために僕は本心を紡いだ。自分でも驚くくらい自然に笑えた。
いつも僕を無表情だの鉄面皮だの言っていた友人たちが見たら明日滅びが来るんじゃないかと言われる自信がある(冗談じゃない。もうこりごりだ)。

「君は。君は幸せだった?」

誰も思い出せなくても構わないと思っていた。S.E.E.S.のリーダーはもういらない。全部終わって、すべてを守って、みんながいるのならそれでよかった。
でも僕の優しい機械少女は、今日約束を思い出しこうして傍にいてくれる。それがどれほど僕を満たしていることだろう。

「幸せです。だって、あなたがいるから」

ならどうして?どうしてそんなに泣きそうな顔をしているの。

「笑って、アイギス」

君は昔より、僕よりずっと上手に笑う方法を知っている。
彼女の滑らかな皮膚に触れた。その瞳から人と同じように涙が流れた。
もし僕がいなくなって彼女がこれ以上悲しむというのなら、僕は今すぐ彼女に内蔵されている僕の記録を抹消しよう。そしてすべての圧力から解放された彼女の笑顔を僕の撹拌する世界から観測するのだ。
それができたらどんなにか幸福か。

君の世界から僕が消えても、
君は変わらず綺麗なままで、
うん、でも、本当は――

断片的な思考の中で、彼女から息を呑むような音がした。
階下から複数の足音と、相も変わらず憎たらしい順平の呼び声が聞こえてくる。
僕が愛した仲間たち、彼らが僕らに会いに来る。約束を思い出して、約束を果たすために、今必死で駆けてくれている彼らを思い描くと嬉しくて笑みがこぼれる。
リズムもない調子も合わないちぐはぐな足音は尊大に僕に響き渡る。どれぼど極上のオーケストラでもこの音を作り出すことはできはしない。
僕が彼らを愛したように、彼らも僕を愛してくれただろうか。僕はまだ彼らの世界にいるのだろうか。

「大丈夫」

アイギスがふわりと微笑んで、それに僕は安堵した。
さらさらと彼女の手が髪の上を滑る。僕を撫でる無機物は、温かかな人の其れだった。

「みんなとも、すぐに会えるから」

だから、だから、と続けられない言葉が降り注いでいた。

「アイギス」
「―、はい」
「物語は終わったんだ」
「はい」
「君はもう僕のために生きなくていい」
「私、決めたんです。あなたの傍で、あなたを守るって」
「ねぇ、綺麗だね、アイギス。僕の守った世界は、こんなにも」
「あなたを守っていれるなら、この世界で、きっと生きていけるから」
「これからも、きっと」
「だから、これからも、明日も、明後日も、何年先も、ずっと、ずっと」

歯車のずれた会話は、けれどどこかで歯を合わせてカチカチと不安定な音を響かせた。
傍にいてと無機質なスカイブルーが揺らいでいる。それに気づかないフリをした。僕はきっとこの先の世界にはいられない。

「アイギス」

仲間たちの足音は、鼓膜を心地よく震わせる。

「ありがとう」

僕の美しい機械人形。
生に祝福された僕の盾。
誰よりも人である彼女に微笑んだ。
君は、これから、生きて。

「ありがとう」

彼女の声は震えていた。
髪が僕の視界の隅でゆれている。
空まで突き抜けるような金色。黄と青のコントラスト。彼女と僕の色。そして彼と僕の色。僕が映ったスカイブルー。零れるような、青。
僕が見た景色はひどく青く優しかった。
願わくば、閉じゆく僕が描いた先もどうか青く美しく。
あぁ、怖いことなどありません。
僕が唯一守れなかった、あの子の元へ行けるのですから。

春の陽差しはうららかに。儚くたゆたう世界の片隅で僕はゆっくり目を閉じた。青に埋もれた意識の中でみんなの声が聞こえていた。
さようなら、さようなら。別れの挨拶は決まっている。
遠く離れたスカイブルーは、もう僕には触れられない。

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