第三者が何か言わない限り、当人たちはそれが異常だと気づかない。けれど空を飛ぶ彼を咎める声も傍観する僕を非難する声も聞こえなかったのだから僕らは変わらず普通であった。

「僕ね、死ねないみたいなんだ」
「あ、そう」
「君には知ってて欲しかったから」

屋上での突然の告白に僕はあくびをかみ殺しながら答えた。
大層ファンタジックなことを言い出したマフラー野郎は、これで4回目の自殺だと更にどうでもいい情報を連発している。それがどうした。僕には明日の天気のほうが有益な情報だ(明日は神社の小学生と遊ぶ予定なのだ)

「というわけで、本日は飛び降りてみようと思います!」
「一人でやってろ」

コイツの自己満エンターテイメントのために呼び出されたのかと思うと時間の無駄な気がしてならない。ゲームセンターで時間と金を浪費して能力をあげたほうがまだ賢明だった。
なぜコイツの死に様(仮)など見なければならないのか。はっきり言って嫌がらせだ。

「証明しないとこんなこと信じてくれないでしょ?」

今とても電波さんな望月綾時は、もしものためにちゃんと遺書を書いてきたと白封筒を取り出し嬉々としていた。
表面には拙い文字で「遺書」と書かれている。字は読めるのに頭には意味がさっぱり入ってこない。全く新しい言語を見ているようだった。頭が少し覚めたかに思えたが、僅かに第三者の視点に立てたにすぎなかった。
当たり前に受け答えした可笑しな会話。でも、可笑しくない。綾時だから当然だ。無関係者にはそれがわからないのだ。現実離れしすぎて頭の回線が1、2本切れているに違いない。だってそうでなければ必死で止めるか笑い飛ばすかしてるだろうに。

「見たい?見たい?」
「遺書ってその人が死んでから見るものだろ」
「君は特別」

そんな思考回路を綾時が覗くはずもなく、いつもの笑顔でその封筒を手渡された。白々しく文字を形作る黒い染みを一瞥して中身をあさる。
彼が現世にいかほどの未練があるのか興味があったのは認めよう。青春を謳歌してるに違いないから、書ききれないと泣きながら書いたことだろうとほくそ笑んだ。にもかかわらず中には一枚しか紙がなくて拍子抜け。それには「君が僕のことをずっと想っててくれますように」と七夕の短冊みたいなことが書かれていた。
まず思ったのは、「なんだこのラブレター」だった。

「うわっ思ったよりずっと怖いや」


綾時はいつの間にか柵を乗り越え屋上の淵に立っていた。緊張感が皆無だ。確実に頭のネジがぶっ飛んでいる。これから脳みそとか内臓とかそういった体内器官を飛び散らせると考えたらネジくらいどうってことないか。
風に吹かれてはためくマフラーがヒーローみたいでかっこいい。ちょっと悔しい。首吊りは体験済だろうか。後で聞いてみよう。
僕は高度な思考を停止した。
もし誰かに見られていたら、彼が誰かに止めてもらいたがるようではなかった、だから彼のエンターテイメント性を尊重し、制止の言葉は飲み込んだと懇切丁寧に説明するつもりだ。
フェンスの間を通して紙切れを手渡す。

「あ、どうだった?死ぬ直前の告白ってなかなかくると思ったんだけど」
「却下」
「えへへ、やっぱりだめか」

ダメであります。アイギスの真似をして軽く受け流す。彼は気にも止めず綺麗に靴を揃えて、上には遺書を乗せて、後は落ちるだけ。
屋上から広がるパノラマに陽気な男が突き刺さっている。空には雲が悠々と泳いでいて、眼下の人間のうち約一名が10数m己から離れるとは知りもしない。現実は空中分解していた。

「今なら飛べそうな気がする!」
「いや落ちるだろ」

いつも通りな会話。彼はフェンスのあちら側でお空とランデブー。
今この瞬間、屋上は爽やかな午後を捻り潰し花は日光を浴びて肥え太りベンチは温もりを湛え尻に敷かれるスタンバイ、僕らは慎ましやかに異常者だった。ちぐはぐな全てが僕と彼の正常だった。

「じゃ、また後で」

満面の笑みで彼は青空にダイブした。
カシャンとフェンスが揺れた。
視界からすぐに抜け落ちた彼の軌道が焼き付いた。
当然彼は鳥ではないから両手を広げたって風になんて乗れない。そら見ろ、そのやたら長いマフラーだってただの飾りで、ひらひらとこちらに別れの挨拶をしながら主人と落ちていくだけじゃないか。

これが現実とは、なんと気持ち悪い。
音もなく飛んだ彼と思わず掴んだフェンスの音が同じ事柄に関係付けられているなど信じ難い。足元の意味を成さない紙切れにカサカサと笑われている。フェンスを縫う風が金切り声を上げていた。
一瞬だけ正常になった自分こそ馬鹿だ。
馬鹿げている。馬鹿げている。重力サマは偉大だよ。彼は空より地面が好きらしい。くたばる瞬間に何を思うなど、別に知ったこっちゃない。
ざまあみろ、僕。

下から鈍い音がした。くだらないものに付き合わされたとフェンスに背を向けたが、あくびはもう出てはこない。
ぐちゃぐちゃな彼が見てもいないのに脳裏をよぎる。笑っている。どうしてだか、泣いてしまいたかった。





(そして階段を駆け上がる足音が聞こえる)

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