その人影がよぎった時、無くしてしまった大切なものが見つかったような直感的衝撃が青年の漠然とした脳内を掻き回した。懐かしさと悲しさが同時に襲ってきて、胸が鎖で縛られたかのように痛い。
知らず足が動いていた。追いかけねばならないと思った。
このような見知らぬ土地で地図も見ずに駆け回るなど危険極まりないが、目印はあの人影。アレさえ見失わなければさして問題ない。

無我夢中で走っているにも関わらず、影は足早にすぎていく。角を曲がれば別の角へヒョイと消え、また別の角をまがればその距離に関係なくヒョイと消える。
この上なく怪しいこの事態を取り立てて疑問視する暇もなく、青年は銀の髪を揺らしながらひたすらに足を動かしていた。見失わぬよう、追いつけるよう、露ほども知らぬ街並みを全速力で駆け抜けた。後ろへと流れる都会の街など気にも止めなかった。
じりじりと照る太陽。残暑を引き連れた日差しに、水と共に体力すら蒸発されていく。
日々の戦いでつけた体力に自ら感謝する。途中でへばって見失ったなど大したお笑い草だ。


「、はっ」

もう幾つ目かの角を曲がった先に、その人影は立っていた。
青い人、というのが青年が最初に抱いた感想だった。

「…あの」

近くに寄れば、さほど年の離れていない少年であろうことがわかり青年は少々親近感を持った。
いざ目標物を目前にしてみれば、なぜここまで必死に追いかけたのか理由が見当たらない。なんてことはない。ただの人ではないか(本当にそうだろうか)

あれだけのハイスピードで駆けていたにも関わらず、少年は息を切らしていなければ汗も垂らしていない。建物を見ている姿からは涼しげな雰囲気が漂っている。着込んでいるのはおそらく月光館学園の冬制服。暑さを微塵も感じさせない。傍に立つと景色との相違が殊更強調された。
少年だけ切り取られているようだと、青年は不快に滴る汗を拭いもせず傍観していた。そこだけ世界から隔離されている。空間が切り裂かれている。

「思い出が、たくさんあるんだ」

前触れもなく、青い少年は口を開いた。

「ありすぎて泣きたくなるくらい」

少年が見ていた小洒落た洋館は、現在使用されているのかいないのか一目では判断しづらい外観をしていた。しかしながら、まるで何かを待ち続けているかの如くに沈黙を携えたその佇まいに押しつぶされそうになる。
洋館の扉を右手人差し指で優しくなぞる少年の姿にコクリと息を呑んだ。
青年も手を差し伸べかけてやめた。恐らくは少年(あるいは限られた人のみ)が触れるべき扉を見ず知らずの他人の手で汚す必要はない。

「君は、」
「はがくれには行った?魅力はあがったかな」
「え?あ、いや…友達との団結力はあがったけど」
「そっか。ポロニアンモールは?」
「クラブに」
「お坊さんはいた?」
「いなかった…と思う。貸切だったし」
「貸切って…」
「あとホテルに泊まった。白河通りだっけ」
「!?」
「いや、普通のホテルだから!中は普通じゃなかったけど」
「女の子にビンタされなかった?」
「されないから」
「そうだよね」

懐かしいなぁと感慨深げに少年は笑う。
あの長鼻の老人と聡明な女性のいる真っ青なベルベットブルーよりずっと澄んだ青の雰囲気に呑まれそうになる。否、呑まれていたのかもしれない。
洋館の前では何もかもが息を潜めていた。

「この街はどうだった?」
「いい街だと思う。楽しかったし、それにとても素敵だった」

「……ありがとう」

大きな瞳が僅かに揺らいだ。ちいさな宇宙が溢れるようだった。
再度ふわりと笑い、それから何度もありがとうと言うものだからそんなに嬉しいのかと聞いたら、間違ってはいなかったからだと返ってきた。

「君も、守りたいものは」
「あるよ」

節々に違和感を感じながらも、それが当然であるかのように会話は進む。
少年はよかったと言う。

「守ることは難しいけれど、守ることだけを目的とすれば案外簡単なものなんだよ」
「ずいぶんと自信満々なアドバイスだな」
「経験者は語る、ってやつ?」

ふいに顔が間近に見えてドキリとした。
今更ながら、綺麗な人だと思う。顔もそうだが、なんというか、すべてが。
青年よりも小柄な少年はどこかあどけなさを残しながらも、人を見透かして語る。青年の行動を知っているような口調だったが、気に留めることもなかった。

君が死に触れないように

とん、と額に指を置かれた。置かれたのは青年。

「おまじない」

右手人差し指を掲げた姿に既視感を覚えた。
一瞬だけ記憶がリンクした。目の前の少年の運命を断片的に感じた。脳が解きほぐされてすべてがクリアになった。わかってしまったことが悲しかった。
追いかけて正解だったのだ。
この人はもういないのだから。

「君も後悔のない選択を」

懐かしくて暖かくて、だから苦しい。
存在を噛みしめたくて、ありがとうと抱きしめた。小柄な体、体温は確かに存在し、なぜいないのか不思議でたまらない。青年の苦をよそに、本人は暑いと身も蓋もないことを言っていた。

「助けに行くのは、得意だけど」
「生憎、親子水入らずだから」
「…そっか」

触れた少年はあたたかかった。



親友の呼ぶ声がする。
やや長く伸びた影が一人分。照りつける斜陽に汗がぽたりと落ちてアスファルトを濡らす。空には蝶がたゆたっていた。洋館はたった一人の住人の帰りを待ち続けている。
青年はまばたきをした。幻かと思ったが、額にも腕の中にも触れた感覚が残っていた。









(修学旅行にて)




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ゆいの様リクエスト、3主と4主でした。
4主の口調が…迷走してすみません。
赤の他人な2人で妄想したらこんな感じになりました。4の修学旅行は3好きにはたまりません。
もっとたぎる3・4主を書けるよう精進します…!
リクエストありがとうございました!

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