影時間の景色というのは決まっていて、ほの暗い緑と粘着質な赤と切り取ったような黄色で構成されているのが常だった。よく言えば安定、悪く言えば単調な世界。だから僕は彼が見ているものを何一つ理解していないと言っても過言ではないだろう。彩色に溢れる世界を、僕は見たことがない。

「さくら?」
「そう、桜」

そう言って彼が差し出したのは桃色の花だった。五枚の花弁で構築されているそれはこぶりで可愛らしい。

「知らないだろ?」

会ってから今までのたった数日で、僕は彼にたくさんの質問を浴びせていた。影時間しか知らない僕には彼の話がすべてなのだということはわかっている。それゆえに、彼が映す景色に心惹かれるのはほとんど必然だった。
だから彼も僕がその花を知らないと思ったのだと推測してみる。けれど、

「なんで取ってきてくれたの?」

確かに僕はさくらを知らない。でもだからと言ってわざわざ花を持ってこようとまで思うだろうか。

「さぁ、なんでだろうね」

彼はさも投げやりに口を動かし、あくびをひとつ吐き出していた。
少し残念な反応だった。けれど、たとえ深い意味がなくとも彼が僕のために花をとってきてくれたという、その事実だけが僕を歓喜に震わせた。
彼の目がぼんやりと宙をさまよっている。眠いんだろうな、と見ただけでわかる。そうだとしてもなんのその。彼の安眠を妨害して矢継ぎ早に質問三昧。
どこに咲くの?いつも咲いているの?有名な花なの?君はさくらが好きなの?

僕はまだ君と話がしたい。


眼をこすりながらも、彼は一つ一つの質問にちゃんと答えてくれた。律儀とかそういうのではなく、彼は優しいからだと知っている。僕は彼の笑った顔や怒った顔を見たことがないから、こういうのを無表情と言うんだろう。彼のことを僕はまだよく分かっていない。でもその無表情がただの無愛想でないことは感じていた。
僕の前に存在している、単調な世界に似つかわしくないほど鮮やかな青が、彼のすべて。淀みの無い青が、吸い込むように、なだれ込むように。
何を映すでもなくただ世界を見ていた。

彼はそれを縁取る長いまつげをぱしりぱしりと動かしながら、同じ花がたくさん咲いた桜の木はとても綺麗だということ、散る花びらまでも美しいということも教えてくれた。これだけじゃあまり綺麗とは思わないかもしれないけれど、と付け足して。
くるくると指先の花を回した。このちいさな花がひしめきあって誇らしげに咲いている様を想像できない。

「見たいな。その満開のさくらの木」
「今年はもう無理。見るなら来年」
「じゃあ来年。来年いっしょに見に行こうよ」
「…どうでもいい」
もうだめねむいおやすみ

眠気が限界にまで達したのか、ばふと布団を被るとものの数秒で寝息が聞こえてきた。僕よりも幾分大人な彼でも、寝顔はまだあどけない。
疲れてるよね、悪いことしちゃったなと思いながら指通りのいい髪を撫でた。ほのかな青が胸の奥深くに広がった。
不思議と彼に触れると安心する。規則的な呼吸音が心地よい。僕はたぶん、彼と仲良くなりたい。
彼の寝音に合わせるように、僕もゆっくり呼吸した。

春はもう終わるらしい。
それはとても残念なことだけれど、彼と来年も会う約束ができたなら、それもいいと思う。

まだ見ぬ春に思いを馳せた。窓辺に小さな桃色を飾った。
ほの暗い世界にポツリと置かれた桃色は、まだこぼれるように咲いていた。




(きっと来る終わりがあまりに近いことも、僕はまだ)

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