今日も変わらず元気なお天道に悪態と汗をこぼしながら帰路につく。いくら学校のプールで体を冷やしてきたとはいえ、この暑さではそう長くは持つまい。体感温度はひたすら上昇。重たいプールカバンを邪険に思う。
帰ったら即アイスだと自己決定していると、寮の玄関付近で青い物体が縮こまっているのが目に入った。この暑いのによくもまあ。

「なにしてるんですか」

「あぁ、天田か。ちょっと、蝉の死骸を、ね」

炎天下のアスファルトの上にいたのは我らがリーダー。
彼の頭と道路を垂直に結んだ先に、死骸がひとつ、転がっていた。
彼の長い前髪は暑苦しそうだったが、死骸観察に余念がないためそんなことはどうでもいいのだろう。

「セミは一週間しか〜とか言い出しませんよね」
「生きられないけど必死に生きたって?
そんなもの人間が自分たちを崇高に見せるために作り上げた定型文だ。考えても無駄だよ」

一歩引いたからっぽの場所から冷めた目で物事を見つめる彼の頭の中は、常に否定と無干渉がひしめいている。そこから絞り出されるものはある意味では心理。
この人の思考を鵜呑みにしたらきっとものすごくひねくれた大人になるだろう。今の彼のような。
これぞ真の反面教師。しかし彼は僕を虜にしてやまない。無敗のボクサーとはまた違った魅力に心惹かれた。

「今度、虫とりでもする?」
「遠慮します」

どうせこの人のことだ。僕が飛び回る虫に躍起になる隣で死骸を集めて墓を作り、土の肥料と墓標に刻むに違いない。

「死体は気持ち悪いね」

吐露した言葉は予想通り。しかしそう言って死骸を掴んだ指先があまりにも優しくてぎょっとした。
気持ち悪いというのに自ら掴むという行為も理解し難いが、穏やかな空気をまとう彼は気味が悪かった。薄らと笑みを浮かべたくちびる、目尻。言葉と行為の反比例。あぁ、それはただの死骸ではないか。
手先の行方を目で追っていたら、潰されたら可哀想だろと涼しい顔で返された。死体には変わりないからね、と。死体は綺麗にあるべきであるというのがこの人の持論だった。死骸となった後でも人間にないがしろにされることを彼は憂いたと言う。

蝉の死骸は道路の隅にひっそりと移されて、あとは夏の陽差しで干からびていくか、或いは蟻の腹を満たす糧になるだけである。自然現象に対しては、彼は何も言わなかった。

「そうだ、天田」
「なんですか」

彼なりの、そう、本当に彼なりの供養が終わったところで、興味の矛先は僕に向けられた。表情は死骸を見たものと寸分の狂いもない。
僕を死骸と同等と見たのか、死骸を僕と同等と見たのか。わずか一つの情報で判断することは叶わない。
死骸を見たのと同じ瞳で見つめられ、僕はさながら死刑宣告をされる犯罪者のような気分になった。こめかみを伝うのは暑さからくるものと、恐怖からくる生理的なもの。冷える思考回路。彼は僕を何とする。


「明日は映画を見に行こう」


死刑執行人は、僕にとっては楽園への案内人だった。

「戦隊物を大きなお友達一人で見るなんて恥ずかしいじゃないか」

僕らを揺らす陽炎は消える。
はにかんだ笑顔は健康な17才男児。

「強制…ですね」
「強制です」

本気で見たかったらしい。まじまじと見つめた彼は、それはそれは嬉しそうな顔をしていた。先まで死骸に向けたものの欠片もない。
仕方ありませんねと言いながらそれに応じた。
本当は、嬉しい。
生ぬるい空気は喉を通り清々しい気体へと変わる。夏の暑さはどこへやら。先の彼への恐怖は昇華した。明日の楽しみはこうも僕を揺すりあげる。喜びは映画に対してか、はたまた彼との外出に対してか。どちらにせよ僕は"大人"だから、飛び跳ねて喜んだりはしない。ただ彼に「寝坊しないでください」と釘を刺しておいた。

よほど楽しみらしく珍しく浮ついている眩しい笑顔の持ち主は、僕のプールカバンをかすめ取ると「アイス、食べよ」と嬉々として玄関へと足を向けた。

どうせなるなら、彼のような大人になってもいいかもしれない。一歩離れて冷めた目で物事を見ているように見せながら、本当は深く干渉し温かく手を差し伸べているような彼に。思考に一滴の愛を宿し、蝉の死にすら一種の感傷を持つ程に。
彼はあんなことを言っていたが、その傍らで寿命を全うした(であろう)蝉に優しさを注いでいた。おやすみ、いい夢を。僕と蝉を映した瞳に子を見る母を見た。

「そういえば」

彼は目に映るすべてを、死すら等しく愛しているのだとそう遠くない未来に知ることとなる。

「おかえり」

「ただいま」

今はまだ遠い背に、僕は近しくありたい。
背伸びをしても無理なようだから、明日は手をつないで歩くことにする。

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