(一部"心中志願者"、"盲目的メシア"参照)


僕をマリアになぞらえたのは、僕の愛しい死神でした。
処女(僕に処女という表現は可笑しいですけれど)でありながら孕み、産んだという点ではマリアと似ているかもしれませんね。
受胎告知を受けたのは受胎して十年後、さらに産み落として1ヶ月後だったわけですが。

僕の美しい機械人形は、僕をイエスに重ねていました。
こちらは残念なことに共通点が見当たりません。僕は十字架を抱えて歩いたわけでも、弟子たちに慕われたわけでもありません。彼女は僕に何を見たのでしょう。

とどのつまり、僕という人間はマリアだとかイエスだとかそんなたいそうな存在ではないということです。僕は彼と彼女に特別な愛情を注いでいましたから、おそらくそのせいでしょう。悲しきかな、勘違い。彼(彼女)にとってのマリア(イエス)はただの人間。聖母のような尊い愛もなければ、聖人のような博愛主義的思考も持ち合わせてはいません。
ただの人間が生き足掻いた先が少し普通の人と違っていた。それだけの話です。

僕がしたことは世界にこれでもないほどの変化をもたらしたわけではありませんでした。現に誰も「変わった」などと口にしていません。当然です。空は青いままですし、木漏れ日のぬくもりは微々たるものですし、いつか見た海は相変わらず光を放っているだけです。
でも僕がしなければ世界はこれでもないほど変化していたでしょう。滅び、廃れ、色が消える。無彩色の世界。
それを食い止めたのです。守ったのです。空の青も、清らかな木漏れ日も、海の煌めきも。このちっぽけな僕が!
そのなんと素晴らしいことか!
これは僕という存在がこの世界にいたことの罪滅ぼしであり、そして存在を許してくれた世界への謝礼なのです。
いつかしたいと思っていましたが、最大級のカタチでお答えすることができました。これを幸せと言わず何と言いますか。
だから僕の死を悔やむことはありません。なにを悔やむ必要がありましょう。この世界にあなたがたがいて、そして確かに僕がいました。それで充分ではありませんか。
傍にいてくれたすべての人を、心から愛していました。それは今も変わりません。
彼と彼女。そしてあなたがたがいたから、僕は死に対して奇しくも立ち上がり迷わずこの選択ができたのです。
これも一種の贖罪でしょうか。イエスになるのも悪くないですね。
あの子を守る母にもなりましょう。現代のマリアは再び子を孕むのです。

ありがとう。ありがとう。
とても、とても幸せでした。
ほら、世界はこんなにも美しい。


ハッピーバース、僕の欠けた世界!
これから僕は全人類のために世界の高台で磔にでもされてきます。




(そうして彼はメシアとなった)

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