●●●指が紡ぐ願い事
お腹を空かせた高校生たちに、救いのチャイムの音が鳴り響く。
昼休みを迎え、午前中の授業から解放された教室はにわかに活気づいた。
「鈴木。今ちょっといいか?」
『!澤村先輩?』
跳子がお弁当を食べ終わって友人と話していると、後方のドアからここでは珍しい人の声が響いた。
それに気づいた数人の女の子が途端に色めき立つ。
呼ばれた跳子が慌てて澤村の元へ向かうと、なかなか足を運ぶことのない1年生の教室の雰囲気にちょっと気まずそうにしながら立っていた。
『どうしました??』
「いや、なんだか若いなぁと思って。」
『…先輩、またおじさん発言ですよ。』
「そんなこと…あるか?」
笑いながら二人で廊下に出ると、澤村が面識のない女の子たちに挨拶をされる。
「澤村先輩、あの、こんにちはっ」
「?あぁ、こんにちは」
疑問に思いながらもにこやかに応える澤村に、小さくキャーキャー言いながら去っていく二人組の女の子。
『…お知り合い、ですか?』
「いや、知らないと思うんだが…。」
なんせおじさんなもんで記憶がなぁ、と冗談めかして続ける澤村の言葉に、跳子は先程のように素直に笑うことが出来ず、少し困ったような笑顔になってしまった。
(何この後輩受けのよさ…!)
普段あまり目にすることはない好きな人の現状を目の当たりにし、跳子は少なからず焦りにも似た思いを燻らせる。
(先輩がモテないわけがないと思ってはいたけど…1年生でこれだと普段はもっと、なのかな…?)
こうなると、急激に普段見えない生活にも不安が走る。
廊下の窓際で、澤村が手に持っていた部活の書類を片手に本題に入るが、自分の眉間に刻まれた皺はそのままなことに跳子は気づいていなかった。
「…どうした?珍しいな。」
『?…なんですか?』
「…ここ。」
言いながら澤村の手がまっすぐ跳子の眉間に向かい、皺を伸ばすように軽くさする。
その時に初めて自分が不機嫌な顔をしてしまっていたことに気づいた跳子が慌てて弁解する。
『ごめんなさい!何でもないんです!』
「それならよかった。俺の冗談があまりにつまらなくて怒らせたのかと焦ったよ。」
『そんなわけないじゃないですか…!』
本当に気にしていないように澤村が笑ってくれたので跳子は安心する。
「まぁあまり見れない表情だと思って、つい見いっちゃったけどな。表情豊かなのって、いいと思うよ。」
眉間にあった手が今度は優しく跳子の頭上を行き来する。
(〜〜っズルいなぁ、もう…!)
澤村の言葉が、手が、目が、全てが優しくて。
(先輩の中で自分が特別なんじゃないかと、勘違いしちゃいそうになるよ…。)
ゆっくりと自分から離れる手に感じる寂しさを隠しながら、跳子は今度こそ笑ってみせた。
『−あ、先輩ここ。間違ってますよ。』
「えっどこだ?うわ、本当だ。助かった。」
一緒に書類を確認していた跳子の言葉に、澤村が恥ずかしそうに頭を掻いた。
跳子がくすくす笑いながら持っていたペンを渡す。
受け取った澤村が、ノートを下敷きにしながら器用にその場で書き直す。
訂正線を引き、その下の空白を使って埋めていく。
(あ…澤村先輩の字だ。)
一文字ずつしっかりと書かれる、バランスのとれた大きくて優しい字。
澤村自身を表しているようなその字を見るだけで、なんだか跳子は心がほんわりと暖かくなるのを感じた。
その手が途中でピタリと止まったので、跳子は不思議に思って顔をあげる。
「…いかん、ド忘れした。"タイショウ"って漢字はどれだったか…。」
いよいよ本当におじさんか…と小さくため息をつく澤村に跳子は思わず吹き出した。
「あっ!鈴木、そんなに笑わなくてもいいだろう!」
『だって今の先輩、結構本気でしたもん〜!』
ひとしきり笑い、今度は跳子が澤村の手にあるペンを手に取る。
澤村の字の横に、控え目に自分の字を並べた。
『"対象"−これなら多分、この漢字です。』
「おっそうだった。さすがピチピチ!ありがとな。鈴木。」
それを見てすぐに訂正文を書き終えた澤村が、ジーっと跳子の文字を眺める。
「…鈴木の字は小さくて丁寧で、キレイだな。お前みたいだ。」
『えぇ?そんなことないですよ!』
「そうか?…俺は好きだぞ、鈴木の字。」
字を見ていた澤村の目が、跳子の方を向いて細まる。
まるで自分自身に言われているように思える。
(…嬉しい。)
『…私も、好きですよ。澤村先輩の字。』
色々な意味も含めながら、跳子が精一杯の返事を返した。
優しい時間。優しい空間。
寄り添うような二人の文字に、そっと小さな願いを込める。
((ーずっと隣に、いられますように。))
リクエストありがとうございました!
← | →