TRABANT
郊外にそびえ立つ廃墟がある。コンクリート製で、洋風の城のような作りとなっている。
それ故、夏の時期は熱を発し、暑苦しくなる。今のような、冬の時期は冷感を保っている。

ここで、二人の男女が生活をしていた。

一人はメイド服を着た女、もう一人は、高価そうなスーツを着た男である。

端からは、何処ぞの御曹司と、それに仕える召使いのように見えるだろう。
しかし、現実はそうではなかった。

さて、世に名を轟かせるクロロ=ルシルフルという人がいる。かの有名な幻影旅団の頭を務める、極悪非道な人物である。
実は、スーツを華麗に着こなし、女の煎れた紅茶をすすっているこの男こそが、この人物なのである。

それに対し、キサラギコウという人物も世にいる。裏の世界ではそこそこ名の知れたよろず屋である。
彼女は、頼まれれば何でもこなす。
例えば、赤子を育てることも殺すことも、頼まれさえすれば彼女には可能なのである。やはり極悪非道な人物である。
この人物は今、メイド服を着て、クロロ=ルシルフルに奉仕をしている。

では、そんな彼女は何故こんな事をしているのか。理由は明快であった。
彼女は彼にそう依頼を受けたからである。

しかし、コウとクロロの接点は、とても薄いものであった。過去に一度、仕事を共にした。それっきりの仲である。
このように、1ヶ月の間、彼の身の回りの世話をするように申し付けられるほどの信頼関係を置いた覚えは、彼女には全くなかった。

彼にどういう思惑があるのかは分からなかったが、彼女は自分の仕事、よろず屋に誇りを持っている。断ることは選択肢にはなかった。



依頼は、掃除、洗濯、料理など、仕事は家政婦さながらの事のみであったから、コウは淡々とそれらをこなしていった。

それらについて問題は全くなかった。しかし、ただ一点、彼女の発する言葉についてのみにクレームが寄せられていた。

彼女は最初の一週間、彼をルシルフル様、と呼んでいた。
それは彼女が大抵、依頼主をファミリーネームに敬称をつけた形で呼ぶようにしているからであった。

しかしその週末に、呼び方を変える様に指示を受けた。

そして彼女は、クロロ様と呼ぶことにした。

しかしまた彼女は、次の週に同様の指示を受けた。

それではと、クロロさん、と呼ぶようになった。


さて、更にその翌週、つまり今週の指示は、口調を素のものにしろ、というものだった。

コウは、素のもの、というフレーズにピンと来なかった。物心のついた頃から生業としているこの職のせいもあるのだろう。
しかし、あまり気を遣わずに話せばよいのだな、と判断し、思ったことをそのまま言う事にした。

そして今は、そういう生活に漸く慣れた頃であった。


「クロロさん、味はどうでしたか?」

「不味くはない」

「そうですか」

コウの手料理を提供した後で、彼らはこう言葉を交わした。

いつもそう言いますよね。抑揚のない調子で、彼女はそう呟いた。その声はとても小さかった。

たぶん彼に他意はない。
しかし、一定期間続いてきたこのフレーズは、他意の存在をちらつかせるのだ。

自分に対して、何か考えてくれている様子を見たい。そう思うのは、贅沢な悩みなのか。

そもそも、自分は対価として給料を貰っているのだから、それ以外の付加価値を要求する事など、許されはしないはず。

余計な感情が生まれてしまったものだ、と彼女は心中で舌打ちをした。

そう、彼女は、仕事を忘れ、自己を省みるようになっていたのだった。
それでも、それを口にする事は許されない。それが、仕事であるからだ。


そんな小さな呟きが生まれた後、彼女は、意識をしていなかったのだが、悄然とした表情を浮かべていた。
只人であれば気づかないレベルの変化ではあったが、この場には只人は居ない。クロロは直ぐにそれに気付いた。

呟きを聞き、その表情を見て、クロロは揺れた。
彼は、彼女に弱かった。

そして彼は、コウ、と彼女の名を呼んだ後で、らしくない発言をつい漏らした。


「別に、不味い、とは言っていないだろう」

人間とは、一つ何かを貰えばまた他のものを求めるもの。キサラギは、もう一歩を欲してしまった。

「美味しいかどうかは?」

水と共に言葉を飲み込んだ後で、彼はまたらしくない言葉を発した。


「否定は、しない」

躊躇いがちな調子でクロロがそう言った直後だった。

コウは、出てきそうな言葉と高ぶる感情を押さえ込むかのように掌で口を覆った。
その後で、ごつん、と大きな音をたてて机に伏せた。そして、肩を震わせ、しばらくそのままの状態を保っている。

まさか、さっき共に食した料理に、毒でも入っていたのか。
0に近い可能性を懸念し、クロロはコウに、どうした、と声をかけた。

すると、彼女は漸く机から頭を離した。

しかし、時間を置いたところで、彼女の感情は、押さえられるほどのレベルにまでは低下していなかった。

「計算してるんですか、それ」

無事が確認出来て何よりではあったが、意図の分からない質問に、クロロは困惑した。

「何の話だ?」

「天然ですか、そうですか」

「だから、何の話だと」

「私が拗ねた後にフォローを入れて、その後に遠まわしに褒める。これを、いつもクールなルシルフルさんがやると、平生とのギャップに戸惑うんです」

思いの丈を一気にぶつけると、彼は眉を顰めた。

「それは悪かったな」

珍しく気を遣ってやったら、馬鹿にされてしまうとは。そう推察し、彼は気分を害していた。

彼女は、そんな彼の様子を見て、彼が誤解している事に直ぐに気がついた。

「いや、悪い意味ではなくて、いい意味でです!」

しかし、彼には真意は伝わっていなかった。

「俺には意味が分からない。説明をしろ」

睨みつけると、彼女はたじろいだ。
言うか言わまいか悩む様子を見せた後で、彼女はついに口を開いた。


「クロロさんが凄く、可愛かったので、照れてしまいました」


一つ一つ、そう言葉を紡いでゆくと、彼の額の皺が解消された。

ああ、それはとても不名誉な話だ。クロロは、毒を吐いた。

「まぁ、お前よりは可愛げがあるかもしれないな」


ああ、やっぱり可愛くはないな、この人。
そんな本音はしまい込んで、彼女はただ彼に笑顔を向けた。


「コウ。お前、最初の頃とだいぶ変わったな」

それは本音だった。

「クロロさんがそう望まれたんじゃないですか」

怪訝そうな様子で彼に問いかけると、彼は頷いた。

「確かにそうだな。最初からそれが見たかったんだからな」

その回答は、彼女の疑問を更に深いところへと追いやった。

「そもそも、こんなの召使いらしくないじゃないですか。クロロさんは私に何をさせたいんですか?」

クロロの意図は、依頼を受けた時からずっと闇の中に葬られたままである。
そのために、ついにコウは疑問をぶつけた。

すると、あのな、と彼は前置きをした。

「そこまで分かっていて、どうして分からないんだ」


その言葉を受けて、コウは、悪くはない頭で推察をした。ああ、もしかして。そう察した所で、彼女のストッパーは崩壊した。


「召使いらしからぬこと、もう一つあるんです。聞いてもらえますか?」

彼女が顔を赤らめると、彼は綺麗に笑った。

そして彼女は、人生で初めて、人に無償の依頼をした。


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