「ところで、クラピカさん。もしも、の話です。特定の過去の記憶を封じ込めるとしたら、クラピカさんはどうしますか?」
あと一口で、ワインを飲み終える。そんなとき、ワインを先に飲み終えた彼女がそう切り出した。
「唐突な話だな」
過去の記憶、それは私の脳のどこかで、一定の割合を占めているものだ。クルタの仲間たちと過ごした楽しい日々と、クルタの仲間が虐殺されたあの日。そのどちらもが、過去という同じカテゴリーに所属をしている。
「というのも、レオリオさんがこの間、酔っぱらいながらグチを漏らしていたので」
「グチ?」
「グチというか、本音ですね」
彼女は苦笑いを浮かべた。
「レオリオさんは、あなたに人殺しをして欲しくないそうです。あなたが人を殺したいと考えるのは当然だけど、やはりそれを100%は支持できない。あなたに人殺しと言う肩書きを背負わせたくはないから、あなたが殺そうとした人を、片っ端から助けるつもりだ。そう言っていました。どうしてクラピカさんが人殺しをするのかまでは、聞いていませんが」
人殺しをする。それは、私が企てている復讐のことだろう。仲間たちを虐殺した、幻影旅団を根絶やしにすることこそが、私がハンターになった理由だ。仲間を失って、人を助ける道を選んだレオリオ。仲間を失って、人を殺すことを選んだ私。私たちはこの先、別の道を行くのだろう。
「バカな男だ」
私が大きくため息をつくと、彼女はクスクスと笑い声をあげた。
「それは今更でしょう?彼は、バカです。でも、あなたのことを、大切に思っています」
それはそうだ。レオリオにとって私は、私にとってレオリオは、仲間なのだ。認めたくはないが、奴との間にはゴンやキルアたちと同様に、絆が出来ている。彼女は、それを見抜いていた。
「あなたに何があったのか、私には分かりません。でも、もしクラピカさんが望むのならば、私は、記憶を奥底に沈める方法を、知っています」
「それを、施すと?」
「はい。私も、クラピカさんのことを、大切に思っています。あのとき、助けて頂いた恩もありますし、報酬等も要りません。必要なのは、あなたの意思だけです」
あのとき、とは、初めに彼女に会ったときのことだろう。
「そうですね、先に、能力について説明をしておきますね。私の能力は、プロテクト、と呼ばれるものです。その人が封じ込めたいと思っている記憶を、人に読みとらせたり、本人が思い出したりしないようにすることが出来ます。顧客のニーズに合わせて、色々と組み込むことが出来ます。例えば、読みとられそうになった場合に、その読み取り手を攻撃することも可能です」
能力、という言葉に私はハッとした。私は少しだけ、目に念を集中させた。彼女の周りのオーラは、彼女の周りをぐるぐると巡っている。それは、彼女が念能力者であることを示していた。
確かに、念を収得してから彼女に会ったのは、今日が初めてだ。しかし、既に彼女と会ってから1時間以上が経過している。気が付こうと思えば、いつでも気が付くことが出来たはずだ。彼女と過ごす時間において、自分がここまで気を抜くようになっていたとは。私はただその事実に驚くばかりであった。そんな私の心情を察したのだろうか。彼女はただにこりと笑った。
彼女の能力によって、私はこの忌まわしい過去から、解放される。一般的には喜ばしいことだろう。悲しみを背負うことなく、ただの人間として生きてゆけるのだから。しかし、それは果たして正解なのだろうか。私はまた、ふぅ、と大きく息を吐いた。
「そうだな、キミは、ロボトミー手術を知っているか?」
彼女の表情に、怪訝さが加えられた。本来ならば、このタイミングで出てくる話題ではないからだろう。
「精神を患っている方への治療法ですよね。術後、無気力状態となり、廃人のようになってしまった方が居たようで、今では禁止されているみたいですが」
彼女の指摘の通りだ。ロボトミー手術は、脳の前頭葉の一部を切除する精神外科手術のことである。鬱病患者が明るい性格へと変わったり、犯罪者が犯罪を行いたいという欲を無くしたりと、当時では有効な治療法とされていた。しかし今では、倫理上の理由から手術自体が禁止をされている。
「私にとって、記憶を封じ込めることは、その手術を行って失敗することと何ら変わらないのだよ。きっと、私は私でなくなるだろう」
「殺意が、アイデンティティなんですか?」
「ああ」
私はただ、冷たい声色で肯定した。
「殺意を生じさせるほどの、憎しみ。相当なものですね」
「レオリオには、悪いと思っている。しかし、私はやめるつもりはない」
「そう、ですか」
彼女はただ、空になったグラスをぐるぐると回していた。
「キミも、レオリオに賛成か?」
彼女も止めるつもりでいるのならば、バレないようにする手立てを考えなければならない。彼女と別れたあと、直ぐに、ヨークシンへと向かうことを察されることのないようにしなければ。まず私は、彼女の内心を探った。
「いいえ、止めませんよ。私にも見返さなければならないものがありますから、気持ちは分かります」
「見返す?」
「私も、殺意がアイデンティティなんです」
彼女のオーラが、冷気を纏った。今までに感じたことのないそれに、私は少したじろいだ。
「私の父は、殺されたんです。外国企業に」
彼女の父とは、彼女の会社の前社長のことだ。
「事故と聞いたが、違っていたのか」
階段から足を踏み外し、8階から転落をした。以前、彼女から聞いた内容はそういったものであった。
「形としては、自殺ですね。まぁ実際は、他殺に近いのですが」
「詳しく聞いても、構わないだろうか?」
「はい。是非、聞いてください」
そうして私は、彼女との境界を越えた。