そうは言うものの、濃口醤油を使っていながら、ここまで薄口醤油に近い味を出すとは、と、メンチは密かに感嘆していた。
名称は似ているものの、この二つは全く異なるものである。
薄口醤油は、濃い口醤油よりも、使う原材料の種類が多い。それに加え、醸造法も異なっている。
そうして作られる薄口醤油は味にまろやかな旨味が生じ、色も薄くなる。
それ故、濃い口醤油を水で割れば出来る、という訳ではない。
彼女の場合は、水で割った上に砂糖と塩を足し、旨味成分の代わりに何かの出汁を加えたようだ。
アバウトな性格から生み出される料理は、皮肉にも、繊細な和食。
しかし、悪くはない。
そう思うからこそ、こうして彼女は此処に通っているのであった。
美食家である彼女の舌を満足させるコウの腕は、
この大陸に限って言えば準一流のレベルであろう。
一流になれないのは、彼女に一流の気質がないからだ。
無論それは一朝一夕で得られるものではなく、
料理に対する強いこだわりを持つことで初めて生まれてくるものである。
所謂プロ意識を持っていない彼女に、プロ意識を持たせることが、メンチの近年の目標であった。
そして、美食ハンターになりたい、と思わせる事で、向上心が生まれるだろう。
そう推測を立てた彼女は、
コウにこんな提案をした。
「ねぇ、コウ。あんたさぁ、ハンター試験受けるつもりない?」
彼女は、頬杖を突いたまま、そういい放った。
彼女の言うハンター試験とは、先ほど説明した、ハンターいう国家試験を経て得られる国家資格である。
その難易度の高さは、数ある国家資格の中でも抜きん出ていると言われている。
求められる身体能力は、オリンピック選手さえも凌駕するもの。
求められる頭脳は、IQで言うならば、見たことのない数値を叩き出すもの。
だがしかし、それを突破すれば、公共機関を無料で使えたり、世界中のあらゆる禁止区域に立ち入ることが出来るなど、
誰もがのどから手が出るほど欲しがるあらゆる特権を得ることが出来る。コウとてそうである。
「ハンター?何でまた」
首を傾げてそう言うと、彼女はにっこりと笑った。
「上を目指すコックなら、一度は憧れるでしょ?美食ハンターに」
「そりゃ憧れるけど、私にはちょっと荷が重いなぁ」
苦笑を漏らすコウに対抗するように、メンチは、はぁ、と息を漏らした。
「向上心ないわねぇ、あんた」
心底呆れたような表情で、彼女を見つめる。
「まぁ、メンチみたいに、有り得ない運動能力持ってないとなれないみたいだしね」
そう正論を吐くと、彼女は納得をしたようだ。
そう、彼女とは違い、コウは一般的な運動能力しか持ち合わせていない料理家である。
ハンターのライセンスは、彼女の脳内で、欲しがっても手に入らないもの、とカテゴライズされていた。
「まぁ、確かにあたしはハンターの中でも優秀だもの。でも、下はそうでもないわよ?」
鼻高々にそう言う彼女を見て、コウは再び苦笑をする。
「自画自賛ですか」
「まぁ、とにかく、考えておいてちょうだい」
コウの皮肉をさらりと受け流した彼女に、はい、とだけ返事をした。
現実離れしたものを真剣に考えるのは、学者や無能な政治家だけで十分だと思いながら。
「ああ、あたし、そろそろ帰らなきゃ」
そういうと、彼女は手荷物を整理し始めた。
「あ、そうなんだ。残念」
「全然、残念って顔してないじゃない」
「だって、毎回こう傷をえぐられてたらね」
眉尻を下げてそういうと、メンチは不服そうな顔をする。
彼女が寂しさをストレートに伝えられる質ではないことは理解している。つまりは演技をしているのだ。
それならば、と彼女もその喜劇に参加した。
「今度、調味料いろいろ買ってくるわ」
赤子の機嫌を取るように飴を差し出すと、赤子はキラキラと瞳を輝かせた。
「メンチ様、またのご来店、お待ちしてます!」
「現金ね、ほんと」
調子よくそう言う彼女に対し、呆れたように、しかし少し喜を含みながらメンチは笑った。本当に彼女は、手がかかる。
そして荷物をまとめ終えると、そのまま店から出て行った。