徳川と茉莉のちぐはぐが解消した翌日のことであった。
〈もし今日の昼お暇だったら、ランチ一緒に食べない?〉
徳川の携帯電話に、そんなメールが届いた。送信者は、彼女、森下茉莉だ。その誘いに徳川はとぎまぎした。しかし、その後に続いていた〈入江くんも一緒にいるよ〉と言うフレーズを見たことで、徳川の心拍数は平常のものへと戻っていった。
入江さんが居てくれるのなら、正直助かる。徳川は、ふぅと息を吐いた。
茉莉を異性として好きだと自覚してからと言うものの、徳川は、彼女と二人で話をする度に、自分の寿命が縮まっているような感覚を得ていた。まぁその分、心の何処かが満たされているような充足感を得られるのだが。
送信者の名前を再び見て、徳川はほんの少し、口元を緩めた。
三人は、階段を最上階まで上りきった地点で待ち合わせることになった。入江からそこで待ち合わせようという旨のメールが来たためである。
そして昼休みとなった。
屋上に繋がる厚い壁の前で、徳川と茉莉は入江を待っていた。待ち合わせ場所を指定してきた彼は、まだ来ていない。
「ここに来たってことは、屋上にいくのかな?ここじゃ狭いもんね」
そう彼女が言うように、この場所は、男子2人と女子1人が座るには少し狭いように思われた。
「かもしれませんね。でも、鍵がかかってるはずですけど」
屋上は、生徒の立ち入りが禁止されている。
鍵は先生が管理しており、生徒がその鍵を手にすることは難しい。
そんな徳川の言葉を受けてか、彼女はドアノブに手をかけた。
「うーん、やっぱり開かないよ」
左右に回してみるが、ガシャガシャという無機質な音を奏でるだけで、開く様子はない。徳川も試してみたが、結果は変わらなかった。
とにかく、この場所を指定したのは彼であり、その彼が来ないことには話は始まらない。
二人は、雑談をして、入江を待つことにした。
それから5分ほど経った頃、階段を上がる音が聞こえてきた。二人は会話を中断し、階段の方を眺めていた。
「入江くんかな?」
「たぶんそうでしょうね」
そんなやりとりをしていたときであった。
「やあ、お待たせ」
踊り場に現れた人物が、そう挨拶をしてきた。
それは待ち人だった。
「あ、やっと来た」
入江は、踊り場から更に階段を昇った。
そうして待ち合わせ時間から10分遅れて、入江は待ち合わせ場所に到着した。
「撒くのに時間がかかってね」
「ファンの子たち?人気だね」
そうからかうように言うと、もう慣れっこですから、と返してきた。そうだ、からかいのフレーズは、彼には効果がないのだ。
少しだけ悔しく思った彼女の内心を察したのか、彼女を見て、彼は少し目を細めた。
「入江さん、昼ご飯はどこで食べるんですか?」
そう徳川が切り出すと、彼女もその疑問に同調した。
「屋上だよ。僕たちだけでゆっくり食べられるし」
入江のその発言に、彼女は首を傾げた。
「でも、鍵が掛かっていましたよ」
その鍵は、生徒が持っているはずはないものなのだから、開けることは不可能なはず。
その旨を伝えようとした時、入江が制服のポケットを漁り始めた。まさか。徳川と彼女のそんな期待に応えるかのように、入江のポケットからは、銀色の物体が出てきた。
「鍵、あるから大丈夫だよ」
鍵に付いている鈴が、チャリン、と鳴った。
「なんで鍵持ってるの?こういうのって、先生が持つものだよね」
当然生じる疑問を、彼女は入江にぶつけた。
「前に借りたときに、こっそり合鍵を作っておいたんです」
爽やかな様子でそう言い切る入江に、徳川は苦笑いを浮かべた。
「悪い生徒だね」
彼女がそう感想を述べると、まぁ、否定はしませんよ、と返した。
しかし、入江は先生や一般の生徒からの評判はいいから、まさかこうした行動をしているとは、誰も思わない。知っているのは、彼に近い人間くらいだろう。
そうして入江についての考察を巡らせてみると、彼の要領のよさを痛感することとなった。
「あ、それじゃ茉莉センパイ、開けてくださいよ」
一番ドアに近い位置に居たためか、入江はそう言って彼女に鍵を渡した。
「よし、任せて」
これから、誰もいない屋上に入る。
優越感とも背徳感とも言えない感覚を、彼女は感じた。
「何かわくわくするね」
そう感情を漏らして、彼女は鍵を回した。
ガチャリと言う音が鳴ったのを確認して鍵を抜くと、二人にドアから離れるように指示した。
その大きなドアは、手前に引くタイプであり、近くに立っていては危ないためである。
二人が下がったのを確認した後で、彼女はドアノブを回し、手前に引いた。
「あれ、鍵開いたのに開かない。
ちょっと待ってね」
鍵は開いたはずなのに、ドアは押しても引いてもびくともしなかった。
そんな彼女を見て、徳川は格闘している彼女の近くに歩み寄った。
「茉莉さん、代わります」
彼はドアノブを回し、彼女と自分にぶつからない程度手前に引いた。
少しだけ重かったが、ドアは簡単に開いた。
「あ、開いた」
あんなに力を込めてドアに挑んだというのに、私は開けられなかった。でも、徳川くんは簡単に開けてしまった。これが、男女の差なのか。彼女はその事実に、少しだけ悔しさを感じた。
「ああ、確かにこのドア、茉莉センパイには少し重かったかもしれませんね」
小馬鹿にするように笑う入江を見て、彼女は少し不服そうな表情を浮かべた。
「うーん、そんなに非力な方じゃないのになぁ」
そんな彼女を見て、つい徳川は笑みを漏らした。
徳川を小突いて、彼女も笑った。
彼女の攻撃に、徳川の心臓が、きゅう、と縮んだ。
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