彼女、森下茉莉の席は、廊下側の、前から3番目にある。
普通ならば、教室の廊下側には天井近くの小窓以外には窓などなく、その前後に入り口があるだけだ。
しかし、この高校の校舎は少し特殊な構造であった。
廊下側にも、窓側と同様、開け閉めができる窓があるのだ。

無論、壁全面が窓という訳ではない。
壁に窓が埋まっている形である。
机の高さから、女子の身長くらいの高さまでが窓であるため、彼女が自分の机に座り、廊下側を向くとそこに窓がある。

そんな環境である。
彼女はいつもは廊下側を見て、知り合いが通ると窓を開けて声を掛けたりしているのだが、今日はどうにもそんな気分にはなれなかった。


「何かしたかな」


彼女の脳内で、先ほどの徳川のあの表情が、行動が、頭から離れずにいた。
廊下側から目を背け、ただ音だけを聴いて、自分のした行動を振り返っていた。

そんな時であった。


「どうしたんですか、茉莉センパイ。廊下にまでくらーいオーラが漏れてますよ」


廊下から、聴き慣れた高さの音が聴こえてきた。
少し高いその声は、彼だ。
彼女は机から頭を浮かせ、顔を廊下へと向けた。

「入江くん」

いつの間にか開かれていた窓から、彼女に話しかけた人物の名は、入江奏多という。
色素の抜けた、癖のある毛はまるで安定の状態を知らないかのように、ふわふわと揺れ続けている。
ぱっちりとした目に、小さな顔。身長はあるけれど、華奢に見える体つき。
彼は、聖書に出てくる天使を彷彿とさせるほどに可愛らしい容姿を持つ。

しかし、彼はれっきとした男性である。
彼は彼女の一つ下の学年であり、徳川を通じて親交がある。


「そんなに落ち込むことがあったんですか?気になるなぁ」


窓を開けたことにより発生した窓一枚分の小さな空間に、彼は体重を乗せた。

足は廊下に投げ出したまま、彼女から見て右斜め前の位置に座る。
座高が低い彼は、窓のあったそのスペースにすっぽりと収まっていた。
窓枠に背中を預け、見下ろす形で彼女の方を見やる。

立ち話も何だから、という言葉を先読みしての行動なのだろうか。
彼女から何かを言われる前に、彼はもう聞く体勢へと入っていた。

「聞かせてくださいよ。僕でよければ、力になりますから」

聞かせてくれ、と彼は言ったが、今のこの状況を踏まえた上でこの言葉を翻訳すると、話せよ、となるだろう。
彼女は苦笑いを浮かべ、彼の目をじぃっと見た。


「それは、善意から?悪意から?」

彼がからかうつもりなら、相談するだけ虚しくなるだけだ。
彼女は、真意を聞いた。


「僕にとっては善意ですよ」

笑顔でそう言い切る彼に、彼女は脱力した。

そうだ、彼は自分に利益がなければ、こういった事はしない。そういう人間だ。
まぁ、聞きたいというのなら、いい機会だ。協力をしてもらおう。

彼女は、そう決意した。


「まぁいいや。あのさ、徳川くんがなんだかよそよそしくて・・」

「いつもの事じゃないですか、そんなの」

確かにそうだが、今回ばかりは少し事情が違う。


「違うの。何かこう、怯えてるというか、逃げたそうにしてるというか」

「逃げたそう?」

「うん。今日の朝、どう見ても体調が悪そうだったから保健室に連れていこうとしたら、手を払いのけられちゃって」

今までそんな事はなかったから、気になって。
彼女がそう付け加えると、彼は右手を顎にあてがい、へぇ、と声を漏らした。


「それは、確かに珍しいですね」


体調が悪そう、そして、彼女の手を払いのける。
あの徳川には考えられない二つの様子の存在に、入江は興味を抱いたようだ。


「悩みがあるなら聞いてあげたいけど、いいアドバイスをあげられる自信がないし。
そもそも、朝の感じだと、私が何かしたのかもしれないし・・」

彼女にとって、徳川は大切な存在だ。
幼少期からテニスを愛していた彼女は、5年前に徳川のテニスを見たことで、テニスの楽しさをより一層知ることとなった。
そうしてテニスは、彼女にとって欠かせないものとなった。

だが今では、そんなテニスだけではなく、彼女をここまで導いた徳川という存在も、同様に欠かせないものと化していた。


そんな存在である徳川が、何か問題を抱えているのであれば、それをなくしてあげたい。
しかし、自分がもし問題そのものであるとしたら、彼女が何かアクションを起こすことは、逆効果となる。
そしてきっと、またあのように拒絶をされるだろう。

もう、拒絶はされたくない。

彼女は、ただ動けずにいた。
そして、動くことの出来ない自分に、無力感を感じていた。


そんな彼女の心境を、入江は察していた。

そして彼は、彼女から与えられた情報と、彼の知っている徳川という人間の性格を基にして分析をした。

仮説は、直ぐに立った。
これは、あらゆる情報と矛盾をしない。
もしこの仮説が正解ならば、彼女には非はない。
そして、とても面白い話を聞けそうだ。

入江は、窓枠から腰を上げ、スラックスを軽く叩いた。


「分かりました、僕が代わりに様子を見てきます」

「え、本当に?」

面倒なことは嫌う彼の珍しい申し出に、彼女は思わず立ち上がった。
窓枠から少し顔を出し、廊下にいる入江との距離を少し詰めた。

「たぶん、茉莉センパイには言いにくい悩みだと思うんで」

「すると、やっぱり、私が原因なの?」

彼女の表情が、また曇った。

「かもしれません。でも、大丈夫です。
たぶん茉莉センパイには過失はありませんから、ね」

入江は至極楽しそうに笑った。

それってどういう意味?
彼女がそう問いかけようとした時、入江が、あっ、と声を挙げた。

「もう授業が始まっちゃうんで、また後で」

いつの間にか、授業があと5分で始まる時間となっていた。
彼は学年が1つ下であるから、教室はここから1つ上にある。
階段を昇り、更に教室まで歩くことを考えると、もうタイムリミットが到来していた。


手を2、3回横に振り、階段に向かって歩き出した彼に、彼女は手を振り返した。


自分に原因があると聞いたため、モヤモヤは晴れなかった。
しかし、頭の回転の速い彼が言う「たぶん過失はない」という言葉を、信じることにした。


彼女が席に座ると、前に座っている友人が、振り返って話しかけてきた。
仲いいね、という友人の冷やかしを、ハイハイ、と軽く聞き流す。その後、彼女は窓に手を掛け、閉めようとした。

先ほどまで入江が居たその空間が、自然と目に入る。
その空間を眺めて、彼女は徳川を想った。

徳川くんも足は長いけど、きっとここには収まらないだろうな。
そもそも、徳川くんは真面目だから、そんなことはしないか。

気がつけば、こうして徳川のことばかり考えている自分のことを、彼女は今更ながら自覚した。
教師が教室に入って来たのを視覚した彼女は、直ぐに窓を閉めた。
その後で、小さく溜息をつく。
その溜息は、授業開始を告げるチャイムによってかき消された。

 


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