徳川は、茉莉と一緒に様々な匂いを試した。

その中でふと、あるアロマが、彼の目に止まった。シンプルなデザインのそれは、ラベルに、ローマンカモミールと書かれていた。その名の通り、カモミールの花が、ラベルに書かれている。そのアロマのテスターの蓋を開け、彼はその香りを吸い込んだ。

−これ、いい香りだな。
彼が直感的にそう感じたのは、このアロマが初めてであった。

「それは?」
「ローマンカモミールです。シトラス系のもの、みたいですね。これにしようと思います」

徳川の言葉を受けて、彼女は興味を抱いたらしい。徳川の持っていたテスターを指さし、それ、借りてもいい?と訊いた。徳川は彼女にそれを渡した。

「これ、いい香りだね。カモミールって、もっとリンゴの香りがするのかと思ってた」
「日本のリンゴと、西洋のリンゴは違うんだそうです。西洋のものは、日本のもの程、甘い香りを放たない、と聞きました」
「もしかして、お母さんに?」
「はい」

彼のその答えに、彼女は満足そうに笑った。

「あ、入江くんにも買っていかないと」

そう言って彼女は、彼と全く同じ品を手に取った。『徳川くんと同じ物を買ってきてくださいよ』という、入江との約束を果たすためである。



さて、試験的にアロマを試す、ということで、二人はその一種類のみを購入して、店を出た。

「快眠出来たら教えてね」
「はい」

それじゃ、私はここで。そう言って立ち去ろうとする彼女を、徳川は、茉莉さん、と呼び止めた。

「どうしたの?徳川くん」
「家まで、送っていきます」

数年前から面識がある彼と彼女は、互いの家を知っていた。彼のことを気に入っている彼女の兄が、彼を家に招いたこともあった。それゆえ徳川は、現在地が、彼女の家に近いことを知っているのだ。

「え、でも。徳川くんはこれから練習でしょ?」
「始まるまでにあと40分ありますから、大丈夫です。最近は、物騒ですから」

ここから彼女の家は、歩いて10分ほどの所にある。往復しても20分だ。確かに、彼に残された時間は、この所要時間の倍もある。

「大丈夫だよ、家近いし。それに、痴漢だって、狙うならもっと可愛らしい子を狙うって」

微笑みを浮かべて、彼女はそう言った。しかし彼は、その彼女の主張を退けた。真剣な眼差しで彼女を見つめて、こう言い放った。

「茉莉さんは十分、可愛らしいです。もっと、警戒をしてください」

彼女は一瞬、徳川の目を見て固まった。その後で、少し俯いて、両頬に手のひらを置いた。彼は真顔で冗談を言うような人間ではない。そう分かっているからこそ、彼の発言は、悪質なのだ。この表現は、あまりにも心臓に悪い。

数秒経って顔の熱が治まった後で、彼女は彼を見上げた。

「本当に、時間大丈夫?」
「はい。問題ありません」
「それじゃ、お願いしても、いい?」
「はい」

徳川は、安堵した表情を浮かべた。

「これで、私がショップに付き合った借りは、チャラね」

照れ隠しにそう言うと、彼は、嬉しそうに笑った。

「そうですね」

彼が笑う度に、彼女の心臓はきゅんと悲鳴をあげる。恋ではない、憧れが悪化しただけだ。言い聞かせるようにそう唱え、彼女は彼に向けて笑みを返した。

いつものように、他愛ない話に花を咲かせている内に、彼らは第二の目的地へとたどり着いた。徳川の隣を歩いていた彼女は、彼の一歩前にでて、くるりと彼の方へ振り返った。

「徳川くんと、久々に出かけられて楽しかった。また機会があったら、誘ってね」
「はい、是非」
「今日はありがとう」
「それは、こっちの台詞です。ありがとうございました」

小さく頭を下げた彼に、彼女は小さく手を振った。

「うん。練習、頑張ってね」
「はい」

それじゃ、と言って、今来た道を帰ってゆく徳川の姿を、彼女はただ見つめていた。彼の姿が見えなくなった頃に、彼女は家の中へと入っていった。

 


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