ちらりと時計を見ると、あと10分ほどで迎えが来る時間となっていた。

今、新しい話題を出しては途中で切らねばならない事態になるかもしれない。そう判断した私は、少し早いが、お暇させて頂く事とした。

「そろそろ時間ですね。では、失礼します」

「ああ」

聖川サマは、引き戸に手をかけ、横に引いた。彼は紳士だ。きっと、彼に先へ出るように誘導されるだろうと踏んでいた私は、ドアから3歩ほど下がった位置に立っていた。
読んでいた通り、ドアの動きに沿って彼も移動し、出口から逸れていった。

すると、ドアが開けられると共に、ひゃっ!と、小さな悲鳴が聞こえてきた。
そして、私の視界に、ボブヘアーの可愛らしいお嬢さんが入ってきた。

「あっ、あの、えーっと…」

「確かあなたは」

「その声は、春歌か。どうしてここに?」

私の言葉を遮り、聖川サマがそうお嬢さんに問いかけた。

「ごめんなさい。私も一言、赤松様とお話をさせて頂きたかったので」
「七海殿を部屋にお通しは出来ないから、話が終わるまでは別室で待つように話していた矢先に、戸が開きましてな」

彼女をフォローするように、藤川さんはそう事情を説明した。

「じゃあ、グッドタイミングですね。ちょうど今、お話が終わった所なんですよ」

そう告げ私は部屋を出て彼女から三歩ほど離れた場所で、彼女と向かい合うように立った。聖川サマは私の後に部屋を出、戸を閉めた後で、彼女のすぐ横に立った。

「すみません、今日はお急ぎでしょうから、彼女には後日そちらに伺わせます」

私が時間だから帰ると言ったためであろう。聖川サマが申し訳なさそうな様子でそう提案をしてきた。

「いえ、迎えの時間まではあと10分弱あるから問題ありませんよ。もちろん、簡単なお話ではなければ、後日また時間を作ります」

「いえ、5分ほどで終わる話だと思います」

じゃあ問題ないですね。そう私が述べると、彼女は小さく首を縦に振った。

「あなたが作曲家の七海春海さんですか。初めまして」

藤川さんと聖川サマの彼女への呼び名で、私はそう確信をしていた。そして、正面に立つ彼女に向かって頭を軽く下げると、彼女は勢いよく頭を下げた。

「はっ、はずめましてっ!」

舌を噛んだのか、痛みに耐える様子を見せる彼女に、私は笑みを漏らした。

そしてほんの数秒後、彼女は、また口を開いた。

「先日は、作曲用のソフトウェアを提供して頂いて、ありがとうございました!あれ、他のものにはあんまりない色々な機能がたくさんあって、凄く楽しいです!」

私を真っ直ぐ見つめたまま、彼女は語気を強めた。

それは先日のことである。彼らが所属するシャイニング事務所から、何かお勧めの作曲ソフトはないかと打診を受けた。
そのため、半年後に発売を控えているソフトを宣伝も兼ねて、彼ら二人に宛てて送ったのだ。彼らはそれをただの親切心と捉えているらしい。
その誤解は特に問題はないし、寧ろこちらにとっては好都合である。私はただ、ありがとうございます、とだけ告げ、笑んでおいた。


「それとっ、真斗くんをアイドルにした事で、赤松サマとの婚約を破棄させる結果となってしまって、申し訳ありませんでした」

彼女はまた、勢いよく頭を下げた。

「…確かに、あなた以外の人が変な曲を書いて聖川サマに提供していたら、彼のデビューはなかったでしょうね」

少し頭を上げ、こちらの様子を伺っていた彼女にそう告げると、彼女はまた視線も床に落とした。

「でも、私も聖川サマを応援していますので、今回のデビューは嬉しく思っています。気になさらないでください。七海さんも、彼と共に頑張って下さいね。応援しています」

「はっ、はひっ!」

舌の痛みにまた悶える彼女を見て、今度は聖川サマも笑みを浮かべていた。

この二人を取り巻く空気を見て、私は確信をした。
ああ、この二人は、愛し合っている。聖川サマは、アイドルだからという理由だけではなく、彼女の存在があったから、婚約を破棄したのだと。


ふふ、と笑うと、二人は不思議そうにこちらを見てきた。

「お二方、お幸せに」

「え?」

二人の声が重なったので、私はまた笑い声を少し漏らした。

「ああ、もう迎えが来る時間なので、失礼します。また機会があれば、お会いしましょう」

そう言って一礼をした後、私は聖川家の長い廊下を歩き始めた。
玄関まで送ると言って来た聖川サマを制し、行きと同様、藤川さんに案内をしてもらうことにした。そうして私と藤川さんは、私は玄関に来ているであろう迎えの車の元へと向かっていった。

「…俺たちの仲を、悟られてしまったみたいだな」

「えっ?えー!そ、それって、大丈夫なのでしょうか?」

「たぶん、な」

彼らの呟きは、聞こえなかったという事にしておこう。


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