悠里がボールを打つ音のした方向へ歩いてくると、一般向けに解放されているコートへとたどり着いた。
これはいったい。彼女は、目の前に広がる光景に、ただただ驚くばかりであった。
審判台に座っているのは、彼女の幼なじみである、幸村精市。コートに入っている人物は、同じく彼女の幼なじみである真田弦一郎。
真田の反対側に立っている人物は、東京で、日本で一番強いと評されるジュニア選手、手塚国光。
何故、彼がここにいるのか。今日の試合には出ていなかったが、観戦しに来たのだろうか。
しかし、そのことと、現状は結びつかない。何故、彼らは試合をしているのか。
疑問を解消してくれる当事者は、皆、コート内に居る。そして各自が展開している試合の構成員だった。
こんなタイミングで聞けるはずはない。
彼女はただ、その試合を見つめていた。
ゲームアンドマッチ、ウォンバイ手塚、6ー0
審判席に座っている幸村が、そう告げた。
つまり、真田が、1ゲームも取れずに、負けたということだ。全国のジュニアの中で2番目に強い、彼が。
真田はコートを出て、ベンチに座り込み、大きなタオルを頭からかぶっている。
そして、しばらく視線を伏せた後で、ガシガシと頭を拭いた。水分補給をして、彼は審判台へ上った。
真田が審判台に上ったことを確認すると、手塚と幸村もコートへ入った。
誰一人、彼女の存在を認識していないようだ。
三人の視界には、自分以外の二人しか映していない。
まるで、自分が要されていないかのような感覚に、彼女は寂寥感を感じた。
しかし、自分の体は、彼らに対して存在を示そうとはしていない。声が出ない、体の上手く動かない。自分の脳は、彼らの邪魔をするなという指令を出しているのだ。
自分自身が、彼らの世界に入ることを拒絶している。
その根拠は、圧倒的な実力差だ。
「お待たせ、手塚くん。休憩は取るかい?」
「結構だ。ちょうどいいウォームアップになった」
その言葉に、真田は唇を噛んだ。
全力を出したが、彼に遠く及ばなかった。それが分かっているからこそ、悔しさを感じていた。
悠里は、真田のそんな心情を察していた。
緊張感が、彼女の居るコートの外にも伝わってくる。
彼らは間違いなく、同世代の中で、最強の二人だ。
何故、手塚がこの大会に出場しなかったのかは知らない。
しかし、本来ならばこの二人が戦うべきであったのだ。
今、日本で一番強いジュニア選手は誰なのか。
それが決まるのは、この試合なのだ。
彼女の体が、小さくふるえた。
真田のコールで、試合が、始まった。
彼女は、コートを見つめていた。
鉄製の網が、指の関節に食い込む。痛みを伴っているというのに、彼女はその行為を止めることが出来ずにいた。何かに縋りついていなければ、目の前の光景を受け入れることが出来ない。
彼らは、こんなにも遠いところに居たのか。彼女は、距離を、認識した。
「やはり、お前は違うな。幸村」
「ふふ、それはこっちの台詞だよ」
ジュニアとは思えないレベルの展開を広げているというのに、彼らは楽しそうに会話をしながら、プレイをしていた。
幸村が攻めれば、手塚が守る。
手塚が攻めれば、幸村が守る。
試合はシーソーゲームであった。
いつしか試合はタイブレークに突入し、二人の体力は共に限界を迎えていた。集中力を切らした方が負ける。そんな展開を迎えていた。
先に集中力を切らしたのは、幸村だった。
幸村の放ったショットが、ネットにぶつかる。そしてコロコロと幸村の方へと転がってゆく。
ゲームセット、ウォンバイ手塚、7ー6
真田のそのコールに、幸村は座り込んだ。
悔しいなぁ。顔を上げ、手塚を睨みつける。
そしてその後、手塚に向かって不敵そうに笑った。
幸村は立ち上がって、ネットへと歩く。そして手塚に手を差し出した。次は、負けないよ。手塚と手が重なった瞬間に、幸村はそう不確定期限の宣戦布告をした。
今日、日本の小学生で一番強いと認められた彼が、同い年の彼に負けた。
彼女はその事実を、目の前で起こっていた試合を受け入れることが出来ずにいた。
三人に気づかれないように、悠里はその場を去った。
「手塚ァ!」
審判台から降りた真田は、コートから出ようとする手塚を引き留めた。
「俺は、必ず、お前を倒す。それまで、首を洗って待っていろ!」
手塚はゆっくりと彼の方へと振り向き、表情を変えずに彼の目を見た。
「期待している。俺は、俺の道を行くだけだ」
そう言い残し、彼はコートを出ていった。
「負けちゃったな」
そうつぶやいた後、幸村は真田の方を見た。帽子を深く被っている彼の表情は、見えない。しかし、きっと悔しさをかみ殺しているのだろう。
「悔しいね」
幸村の言葉に、真田は頷いた。
「ああ」
彼は帽子を被り直し、一つため息を落とした。
「あーあ、練習して帰らないと」
「付き合うぞ、精市」
「うん、宜しく」
彼らは、打ち合いを始めた。
彼との試合のイメージをなぞるかのように、彼らはボールを打ち続けた。