たくさん貰ってしまったものを、ご近所さんにお裾分けする。そんなよく見るシーンは、私の家でも展開されている。私は、小さめの紙袋いっぱいに入ったじゃがいもを持って、幼い頃からお世話になっている幸村家へと向かっていた。ドアの前に立って、ピンポン、とチャイムを鳴らすと、はーい、という声が中から聞こえてきて、玄関のドアが開けられた。私を出迎えたのは、おばさま、つまり、精市のお母さんだ。

「あ、悠里ちゃん。ちょうどいいところに」

私の姿を捕らえた瞬間に、おばさまの表情がぱぁ、っと明るくなった。ちょうどいいところ?と聞き返したくなったけど、とにかくこのこの重いものを先に渡してしまいたくて、それは後回しにすることにした。ドアの外から中へと入って、玄関に通された。入った瞬間に、花のいい香りがした。

「これ、お母さんがおばさまにって。じゃがいもです」

私は、目の前にいるおばさまに中身が見えるように、紙袋を広げた。おばさまは、それをのぞき込んだ。

「あら、ありがとう。こんなに沢山貰っちゃっていいのかしら」

お母さんは、小ぶりのじゃがいもを15個入れていた。ちょっと多いから迷惑かな、と思ったけれど、おばさまが心配しているのはそこじゃないみたい。

「箱で貰ったので、まだ家にいっぱいあるんです。芽が出ちゃう前に、誰かに食べてもらった方がいいって言ってました」
「ふふ、それなら遠慮なく頂くわね」

おばさまに紙袋を差し出すと、おばさまも手を差し出した。紙袋を受け取った瞬間に、おばさまの手が一瞬だけ、重力の方向に動いた。これだけあったら、しばらく困らないわね、と言っておばさまは笑った。私はじゃがいもから解放された手を、何回か握ったり開いたりした。案外重かったそれで、手のひらが少し熱を持っている。外気に熱が奪われ始めたとき、おばさまが私の名前を呼んだ。

「そうそう、悠里ちゃん。忘れない内に言っておかなくちゃ。今日ね、加藤スポーツショップの方から、精市が頼んだラケットのガットの張り替えが出来たって電話があったの」
「加藤スポーツって、青春台のショップですよね?」
「そう。精市、明日試合あるし、今日ラケット持って来た方がいいんじゃないかって思って。小さな大会でも試合だから、万全の体制で送り出したいって思って」
「そうですね。きっと精市、手は抜かないと思いますし」

そうなのよ、と言って、おばさまは目尻を少し下げた。でも、なんだか少し嬉しそうにも見えた。

「夜にはショップが閉まっちゃうからその前に行っておきたいんだけど、精市は夜まで練習があるし、私はこれから用事があって二人とも取りに行けないの。だから、もし良かったら悠里ちゃん、代わりに行ってもらえないかしら。もちろん、用事がなければの話ね」

どんな話かと思ったら、こんな小さな頼み事だったとは。どきどきしながら聞いていたけど、これくらいならお安いご用だ。

「いま暇してるので大丈夫です。おばさまと精市には、いつもお世話になってますし」
「ありがとう、宜しくね。ラケットの伝票、冷蔵庫に張ってあったから、持ってくるわね」
「お願いします」

おばさまは少し早足で、家の中へと入っていった。私は玄関に飾ってある花を見ながら、ただ待っていた。

「はい、伝票。それと、これ。おつりで、帰りに好きなケーキでも買っていってね」

これ、と言われた瞬間に、伝票の入ってる封筒と、千円札1枚と何枚かの100円玉が入ったがま口のお財布を渡された。交通費は往復500円かからないくらいだから、ケーキが5つくらいは買えそうだ。美味しいと評判のケーキ屋さんが青春台にあるから、おばさまにも一つ、買って行こう。

「ありがとうございます」
「気をつけてね」
「はい。行ってきます」

それから私は家に帰って、お母さんに事情を簡単に説明してから、出かけてくるねと言った。暗くなる前に帰ってくるのよ、と言われたので、ただ頷いた。まだお昼前だし、ショップまではバスで15分くらいだから、暗くなる前には帰ってこられるはずだ。どんどん、日が落ちるのが早くなっていくから、門限もどんどん短くなっていく。そんなことを思いながら最寄りのバス停へと向かうと、5人くらいの列が出来ていた。時計を見ると、バスが来る1分前の時刻だった。直ぐにやってきたバスへと乗り込み、私は青春台を目指した。

東京の青春台にあるそのショップは、私も精市もよく利用するお店だ。ラケットをそこで買ってから、ガットの張り替えはずっとそこで頼んでいる。私はもう、利用していた、になっちゃったけれど。家の近くにもたくさんショップはあるけれど、一種の願掛けのようなもので、ショップを変えようという気は起こらない。変えてしまったら、何となく、今までとは違う感触となってしまいそうな気がするのだ。県外とは言っても家からバスで一本でいける場所にあるから、大した不便もない。

そこは、大型のスポーツショップとは違って、こじんまりとしたところだ。店長さんのご厚意で、たまに店長さんの弟さんがコーチをしているというテニススクールにもお邪魔させてもらっている。精市は、大人の人にも簡単に勝っちゃう。大人の人が手を抜いてるような様子はないから、やっぱり精市は凄いなぁ、と私はただその光景を見ているだけだった。

バス停を降りて、ほんの少し歩いたところに、見慣れた建物がある。そこに入ると、いらっしゃい、と明るい声が飛んできた。

「あれ、河原さん。久しぶりだね」
「お久しぶりです。あの、ラケットを取りに来たんですけど」
「伝票はあるかな?」
「この封筒に入ってます」

封筒をそのまま渡すと、店長さんが中から紙を取り出した。

「ああ、やっぱりこれか。取ってくるから、少し待っててね」

そう言って、店長さんはレジを離れて、奥の部屋へと向かっていった。そこに預かったラケットが保管されているのだ。私は精市が使っていたラケットとラケットケースを想像しながら、店長さんが持ってくるものを待っていた。精市はラケットを2本持っているから、そのどっちかだろうな。そんなことを思っていたら、ほんの数分で、店長さんが戻ってきた。でも、手に持ってきたものは、想像していたものとは全然違っていた。

「このラケットで、間違いはないかな?」
「はい」
「ストリングスとテンションは伝票通りに仕上げたけど、間違いないかな?」

店長さんはそう言って、伝票に書かれたストリングスの種類とテンションの数値を指でなぞった。

「はい、そうです」

そう返事を返すと、店長さんはラケットをラケットケースへと戻し、机上に置いた。そのラケットを、私は自分の方へと引き寄せた。

彼が使っているラケットはどちらも、フレームが寒色のものだ。エメラルドグリーンのものと、水色もの。でも、今、私の目の前にあるラケットは、暖色だ。ピンク色のフレームで、彼が使っているメーカーのものではない。これは、私の部屋からなくなったラケットそのものだ。そして、張り替えられたストリングスもテンションも、私が使っていた状態のままだった。

どうして、精市がこれを持っているんだろう。ラケットをほしがっていた誰かは、精市だったのか。ぐるぐると謎が頭を巡っていく。
でも、その渦は直ぐに止んで、その中から真理が顔を出した。簡単なことだ。きっと精市は、待ってるんだ。私が、コートに戻ってくるのを。でも、テニスが好きだからじゃなくて、精市と一緒にいたいから、あの約束をしたんだなんて言えない。彼はテニスを愛しているのに、私はテニスを愛せない。一緒に居られないなら、私にはテニスは必要ないのに。罪悪感が、ちくちくと私の心を刺してくる。


「張り替えを頼みに来たのは幸村くんだったけど、河原さんは何か用事でもあったのかな?」

私がラケットを見つめながらそんなことを考えていると、そう店長さんが声を掛けてきた。いつもここでガットを張り替えていたから、店長さんは私がこのラケットの持ち主であることを知っている。

「は、はい、ちょっと」

店長さんには、何となくテニスをやめたとは言いにくい。でもきっと、これから私がここを訪れることはなくなるから、それで察してくれるはずだ。

「幸村くんと言えば、この間のジュニア、凄かったね。この間は訊きそびれちゃったんだけど、進学先はもう決めてあるのかな?」
「はい、立海に行くって言ってました」
「やっぱりそうか。青学だったら良かったのになぁ。河原さんは?」
「立海です」
「じゃ、来年から立海のテニス部は、男女共に期待出来る訳だね」

私が居る未来は、もう創られないのに。私はただ愛想笑いを浮かべることしかできなかった。


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