鬼の目にも涙、にはなってないんですね
〈結城葬儀社〉と描かれた建物の横に、ありふれた外観の一軒家があった。その居間では、コタツを挟んで、男女が会話に花を咲かせている。しかし、会話の内容に、華はない。一般人は口にしないような単語が、二人の口からどんどんと発されていく。
男は、鬼灯という。地獄で閻魔大王の第一補佐官をしている鬼神だ。その向かいに座っている少女は、玲という。この家の住人で、彼をここへと招いた張本人である。

話は、今から、1時間ほど前に遡る。
現世での視察を終えた彼は、薬草を買ってから地獄へと帰ろうと決めていた。
薬草は現世のあらゆる場所で買い求めることが出来るが、地獄へ帰ることを考えると、アクセスの悪い地へは飛びたくない。出来れば、空港の近くで用を足してしまいたい。

そう考えると、ここ、彼方市が一番都合がよい。ここには、日本国内でも有名な国際空港がある。それだけではなく、不動明王をご本尊とする寺があるおかげか、漢方の店が何店舗かある。そのどれもが、伝統ある店だ。あの白澤も、現世に来る際にはよく利用しているそうだ。どの店の薬草も値は張るが、確かに良質なものばかりが揃えてある。今日も、いい買い物をした。
そして彼は、今日の宿を探すべく、散策をしていた。このあたりはホテルが多いから、宿が取れなくて困ることはない。しかし選択肢が多いからこそ、悩んでしまう。どうせ経費で落とすのだから、高い宿にでも泊まってしまおうか。そんな事を考えながら、彼はこのあたりの景色を眺めていた。そうしている内に、彼はふと、あることを思い出した。このあたりは、去年あの少女に出会った市だ。一目で自分を人間ではないと見抜いた、葬儀屋の娘。確か、名は結城玲と言ったはず。
彼にとってみれば1年は息を吸って吐いてをしたくらいの感覚であるが、現世の人間にとっては1年はかなり大きな年月の単位だ。しかも彼女は、まだ15才と言っていた。あのときの出会いは、変化の激しい人生の、ほんのワンシーンでしかない。きっと、あの瞬間に発したきまぐれな一言など、覚えてはいないだろう。彼は、腕を組み替えた。

このあたりで一番高い宿は、寺に近いところにある日本旅館だ。そこで、空きがあるかどうか尋ねよう。今居る坂を下りきって、右に曲がったら宿へと着く。彼は、坂を下り始めた。その時、彼が曲がろうとしたところから、制服姿の少女が現れた。
その少女と彼の目が合った。彼は直ぐに彼女から目をそらし、横を向いた。しかしその直後、パタパタ、とアスファルトを打つ乾いた音が聞こえてきた。その音は次第に大きくなり、彼の目の前で止んだ。

「お兄さん、久しぶりです!」

少女は、1年前に出会った人物、結城玲であった。噂をすればなんとやらとは言うが、まさか本当に現れるとは。この運命的な再会に、鬼灯は少しだけ驚いた。反して彼女は、たいそう驚いたようだ。

「…鬼灯です」
「ホオズキ…もしかして、あの名刺に書いてあった漢字って、そう読むんですか?」
「ええ。鬼に灯と書いて、ホオズキと読みます」
「じゃあ、鬼灯さん。久しぶりです」
「お久しぶりです、結城玲さん」
「本当に覚えてくれてたんですね」
「それは、こちらの台詞です」
「忘れませんよ。別世界の人との出会いなんて、忘れたくても忘れられませんよ」

確かに、それもそうだ。自分と彼女が違う世界の住人であることを、彼は失念していた。

「あっ、鬼灯さん。折角ですし、うちに来ませんか?」

彼女は、両手を合わせて、パンと音を鳴らした。

「家にはご両親がいらっしゃらないんですか?」
「居ますよ。自営業ですから」

彼女は、何でそんな事を?と言いたげな表情を浮かべていた。

「どう説明なさるおつもりですか、私のことを」
「どうって、フツウに説明しますよ?たぶん、二人とも歓迎してくれますよ」

普通に、ということは、鬼であり、地獄の住人であることを説明するということだろう。彼は、ふぅ、とため息をついた。

「そんな簡単に話が進むとは思えませんが」
「大丈夫ですよ!ほらほら、行きましょう。近くなんですよ、私のうち」

彼女は背後から、鬼灯の背中を強く押した。
彼は、彼女の押しに折れた。分かりました、と言うと、彼女は鬼灯の前へと移動し、家への道を示した。


こちら、鬼灯さん。地獄に住んでる鬼なんだって。帰宅するなり、彼女は両親にそう紹介をした。

常人であれば、娘がそんな紹介をして人を家に連れてきたら、詐欺にでもあっているか、精神を病んだのではないかと疑うだろう。
しかし、この両親は違っていた。目をキラキラと輝かせ、彼にあらゆる質問を投げかけた。娘の言葉を、疑うことなく信じたのだ。
30分ほど質問責めにあってから、両親は仕事の打ち合わせへと出かけていった。半ば強制的に、この家へと泊まることが決まった鬼灯は、彼女と共に留守番を託されたのだった。そして、現在に至る。

「鬼灯さんは鬼なんですよね」

彼女は煎餅を、パキッと割った。そして、今更と称せられるような質問を、彼に投げかけた。

「ええ。葬儀屋さんには、いつもお世話になっています」
「色々な人の葬式やりますからね。でも出来れば、地獄には行ってほしくないです。でもそれだと、鬼灯さんの営業妨害になっちゃうんですよね?」

地獄のシステムはよく分からないが、たぶん地獄に人が行った方が都合がいいんじゃないか。彼女はそう推測を立てていた。

「いえ、こちらとしても、天国へと行かれた方が助かります。地獄はなかなか収容場所がありませんし、今は地獄で働かせる人材が著しく不足していますから」
「働かせる、って?」
「現世で言う、刑務官のような職です。地獄に行くと決まった方は、罰を受けさせなくてはなりませんから、天国へ行ったり、地獄から卒業した方から求人をするしかないんです」
「たしかに、刑を受ける本人たちが、刑を執行していたらおかしいですもんね」

罰を受ける本人たちに罰を仕切らせては、罰が罰ではなくなる。そんな流れは、彼女にも簡単に推測出来た。

「ええ、そういうことです。ですから、多くの方に、出来るだけ早めに天国へ行って頂けのであれば、我々は助かります」
「じゃあもしかして、49日で天国行きが決まる人って、少ないんですか?」
「全体の1割にも満たないですね。人間は、何かしらの罪を抱えていますから。しかし、それを打ち消すほどの善行を行っていたり、それなりの事情があれば、情状酌量となります」

最後に現れた単語に、彼女は、首を傾げた。

「ジョウジョウシャクリョウ…」

彼女の疑問を、聡明な彼は直ぐに察した。

「例えば、幼少期に酷い虐待を受けていた人が傷害事件を起こしていた場合は、地獄での刑を免除することがあるんです。それを情状酌量といいます」
「な、なるほど」
「葬儀も、場合によっては49日目の裁判に寄与しますよ」
「そうなんですか。じゃ、頑張らないと」

彼女は、ぐっと拳を強く作った。

「そういえば。鬼って、本当にツノがあるんですか?」
「ええ、ありますよ。ここに」

彼は、被っていたキャスケットを取った。

「うわぁ、すごい。触ってみてもいいですか?」
「いいですけど、痛感は通っているので、あまり強い力はかけないで下さいね」
「じゃ、そっと触りますね」

手を添えると、彼の眉がピクリと動いた。そして手を先端から根本へと動かす。

「…なんか、ざらざらしてる」
「満足しましたか?」

彼の問いかけに、はい、と答えて、彼女はツノから手を離した。

「そういえば。鬼のツノってたしか、ウシのツノなんですよね?何でなんですか?」

そう問うと、彼は少し驚いたような表情を浮かべた。

「よくご存じで。玲さんは、鬼門はご存じですか?」
「あの世から、鬼が入ってくるところですよね」
「ええ。それは今で言う北東に位置するんですが、昔は北東は牛虎、と呼んでいました」
「もしかして、牛虎だから、ツノが牛ってことですか?」
「ええ。そして、鬼の下着は虎柄で描かれているものが多いですね」
「へぇ」

鬼灯さんもなのかな。虎のパンツを穿いた彼を思い浮かべながら、彼女はそう相槌を打った。

「ちなみに、私は、穿いてませんよ」
「え、そうなんですか」
「毎日同じものを身につける趣味はありません」

その言葉に、彼女は少し引っかかった。

「じゃ、一着は持ってるんですか?」
「そこは、ノーコメントで」

意味深長なその回答に、彼女は笑った。
ふと、彼女の視界に、掛け時計が入ってきた。現在の時刻は、17時半だった。

「あっ、ご飯用意しなきゃ」
「玲さんが作られるんですか?」
「そうですよ。両親が仕事のときは、私が夕飯の担当なんです」
「それなら、手伝います」

彼女は、目を丸くした。

「鬼灯さん、料理出来るんですか?」
「あまり凝ったものは出来ませんが、簡単なものなら出来ます」

台所へと移動しながら、二人はそう会話をする。

「じゃ、タマネギとニンジンと、あとピーマンをみじん切りにしてもらってもいいですか?」

彼女はまな板を出し、その上に包丁を置いた。まな板を置いた直ぐ脇の流しに、6人分に必要なだけの3種の野菜を置く。慣れた手つきでタマネギとニンジンの皮を剥き、それらをまな板の上に置いた。

「分かりました」

彼にその場を任せて、彼女は、冷蔵庫へと向かった。やたらリズミカルな音が、背後から聞こえてくる。鬼灯さんは、料理が上手なんだなぁ。とりあえず、タマゴあるか確認しとかないと。そう心中で思いながら、彼女は冷蔵庫を漁った。タマゴの個数を確認して、それらを取り出す。そして扉を閉め、彼の方へと振り返った。それと同時に、音が、止んだ。

「終わりました」

その言葉を受けて、彼女はまな板をのぞき込んだ。先ほどまで個体だった野菜たちが、細かいものへと化していた。

「早いですね!しかも、すっごい綺麗に出来てる…」
「これくらい、当然です」

彼は、ふふんと鼻で笑ってみせた。彼女は、そんな彼の瞳を見た。

「鬼の目にも涙、にはなってないんですね」

明るい調子でそうおどける彼女に、鬼灯は少し表情を柔らかくした。

「なりませんよ、こんなものでは」

鬼灯の表情は、彼女に伝染した。

「地獄はもっとスゴそうですもんね」

彼がみじん切りにしたそれらをザルに移し、
彼女はそれを炒める。課程を経て、夕食は完成した。

帰ってきた両親と、弟と兄と私。そして、鬼灯さん。不思議な光景だなぁ。彼女はそんなことを思いながら、オムライスにスプーンを差し入れた。


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