鬼灯さん、一緒に金環日食を見に行きませんか。そう彼女、玲から誘いがあったのは、今朝早くのことであった。金魚草に水を遣っていた鬼灯は、面倒だからと断ろうとした。しかし、ぐいぐいと腕を引っ張る彼女についに折れて、渋々、観測についていったのだった。
しかし、この日は太陽に厚い雲が掛かっていた。待てども待てども、雲は晴れない。そしてついに、金環日食の時間が訪れても、雲が消えることも途切れることもなかった。
「金環日食、見られませんでしたね。お付き合いさせちゃって、すみません」
「まぁ、私も少しは興味がありましたから。でも、現世ではよく見えたそうですよ。ニュース番組でも見れば、映像が流されるでしょう」
「でも、肉眼で見たかったんです!折角、鬼灯さんを捕まえられたのに」
「そういえば。何故、わざわざ私を誘ったんですか?」
「それは」
彼女は、発していた言葉を止めた。そして、あっ、と短く叫んで、その足を止めた。
「鬼灯さん、ちょっと止まってて下さい」
「何ですか、唐突に」
「変なことはしませんから!」
いきなりの展開に、鬼灯は少し戸惑った。しかし、もし自分に何か変な事をすれば、その10倍の仕返しが来ることを、彼女は痛感しているはずである。どうせまた、何かくだらないことでもするのだろう。鬼灯は、彼女のお願いに従った。
彼女は、鬼灯の背後に回った。そして、2、3歩歩いたところで、彼女の足音は消えた。彼女は、鬼灯の真後ろで立ち止まっている。
「これで金環日食……なんちゃって」
おどけた様子で、彼女はそう言った。鬼灯が地面に目を向けると、自分と彼女の影が、自分の目の前で重なっていた。
彼は、体を彼女の方へと向けた。そして冷たい視線を、彼女へと注ぐ。
「あああすいませんそんな蔑んだような目を向けないで下さい」
冷や汗をだらだらと流して、彼女はそうつらつらと言葉を綴った。
「蔑んだような、ではなくて、蔑んでいるんですよ」
「で、ですよね……」
「そもそも金環日食は、大きく見えている太陽の中心に、月が重なることで起こる現象です。再現するのなら、私があなたの後ろに居なければおかしいでしょう。玲さん、そのままこっちに来て下さい」
「え。こう、ですか?」
彼の誘導する通り、彼女は移動をした。二人は、先ほどと同じ方向を向いているが、彼女が前に居る状態となった。彼は、彼女の肩に手を置いた。
「ええ。私が太陽と仮定しましょう。それで、あなたがゆっくり横からやってきて、重なります。この状態だと、あなたの体が、私の体の一部を覆っていることになります。覆われていない部分、つまり、私の頭や肩のみが視覚される。この状態を、日食と言います」
「へー!こんなカラクリだったんですか」
「そして、金環日食は、月がこういった状態になっていることで起こります」
彼女の両脇に、彼の手が差し入れられる。うわっ、と彼女が声を上げると、そのまま彼女の体が宙に浮いた。
「こうして太陽の中心に月が来ることで、太陽が輪のように映るんです。これが金環日食です」
「鬼灯さ、降ろして下さい!」
「分かりましたか?」
「分かりましたから!降ろして下さい!」
声を荒げて抗議をしていた彼女は、ゼェゼェと息を深く吸っては吐いてを繰り返していた。
「20越えて抱っこされるなんて……って言うか今、胸触りましたよね?」
「不可抗力です」
「揉んでましたよね?」
「揉むほどないでしょう、あなたには」
その返しに、彼女はぐっと言葉を呑んだ。
「それにしても。あなたは、日食を理解もせずに、見ようとしていたんですか?」
彼女には、真後ろにいる彼の表情が見えない。しかし、その声色は〈信じられない〉と言う感情を含んでいるように思えた。
えへへ、と誤魔化すように笑うと、彼は一つため息をついた。
彼女は、顔を真上に向けてから、少し横に傾げた。鬼灯の視線と、自分の視線がかち合ったのを確認してから、恐る恐るこう尋ねた。
「怒って、ます?」
「呆れているんです。よく理由もなく、動けるものだと」
彼のその言葉に、彼女は上げていた顔を戻してから、その体を半周させた。正面にいる彼を見上げて、ぽつりとこう漏らした。
「その、私が現世にいた頃の話なんですけど、金環日食の日にプロポーズをして欲しい、っていう歌が流行っていたんです。それで、好きな人と金環日食を見ると幸せになれるってジンクスが出来ていて。だから、鬼灯さんと見たいなぁって、思ったんです」
そう言った後で、彼女は俯いた。常日頃、彼に好意を伝えているとは言え、やはりその動機は口にする事は照れくさいものだった。
「また、呆れてます?」
「あなたにも、ロマンチックな一面があったんですね。驚きました」
「えっ、ひどい…!」
彼女は、勢いよく顔をあげた。彼の目は、平生よりも優しい物であった。しかし、直ぐに彼の目はその温かさを失った。
「まあ、次は直ぐにやってきますよ。ここでの生活は、長いですから」
「次も、一緒に見てくれますか?」
「スケジュールを入れるには、少し遠すぎますね。次は確か、20年後でしょう?」
「あ、そうですね」
「まぁ、検討しておきます」
その言葉に、彼女は無邪気に笑った。
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