夢の扉 | ナノ







「――――今夜は必ず全ての子供達に、幸せが訪れることでしょう」


グラード財団が寄付している慈善団体の集会にて、是非とも挨拶をとの懇願に笑顔で了承した総帥は先の言葉で締め括った。

大きな拍手を浴びて城戸沙織は壇上にて優しく微笑むと、より一層の喝采へと変わる。

“最近の彼女は、益々気高く美しい”

集まった関係者や来賓から、そんな囁きが聞こえてくるのは超越した能力の成せる技なのだろうか。



















毎年、同じ時期に開催されるこの懇話会は多くの孤児達に、クリスマスプレゼントを贈る名目の下行われており。


「ふふ、皆喜んでくれたかしら」


子供達との触れ合いの貴重な時間を、惜しむように後にした多忙な総帥はそのまま城戸邸の執務室に戻って。

出番を待ち続ける書類の塊に手を付けながら、沙織は仕掛けた悪戯に思いを馳せていた。


「ええ、そう思います」


カノンは山積みになっている文書の束を器用に除けて、沙織の為に淹れた御茶を置く。

彼女はその返事に対し、頬を緩め笑みを浮かべた。




今回、贈物を選抜いたのは沙織が自ら行っており。忙しい仕事の合間に、カラフルな画面を楽しそうに眺めていたのを彼は思い返す。

通例であれば、差別が起きないように同種類の玩具を寄贈するのだが。

女神は金銭的な価値だけを同等とし、可能な限り豊富な玩物を揃え上げた。


「サンタさんになった気分ね」


思わず口にするのは、今日の主役の名。架空の世界の人物なのに、その存在は万国共通なものだから。


「サンタクロース…女神は信じた事は?」


カノンは話題を咲かせようと、それとなく聞いてみた。

しかし、予想に反して緩々と彼女は静かに首を振る。


「御爺様は確かに私に甘かったけれど…夢を与えてはくれなかった」


僅かに俯いて過去を解く沙織は、哀愁を纏っても尚麗しさは色褪せない所か増すばかりで。

切ないような、嬉しいような。双子座は複雑な気持ちに支配される。


「きっと…私が女神であるとの運命を忘れない為でしょうね」


覚醒した時からずっと、否。それよりもっと以前、幼子の頃から心に常にあった使命を。

どうにかして振り切ろうと、酷い我侭を無理矢理通したりもしたけれど結局は逃れられなくて。


「ええ、勿論…分かっています。私は他人と同じ事を望んではいけないことも」


カノンに話し掛けているのか、それとも自身に言い聞かせているのか。

完全に表情を隠して沙織は続ける、それに合わせるように薄紫の艶髪はさらさらと流れ。

男はその儚い情景に心奪われ、視線を外す事が出来ないでいる。


「でも、少しだけ…無垢な夢を羨ましいと思っただけです」


本当に、それだけの感情。
今更の夢を追うつもりはない。
あの頃ならいざ知らず、今こんな望みで周囲の人間を振り回す訳も無い。


「女神の、夢は何ですか?」


「……え」


誰もが必ず、欲する望みを明確にしたものが夢ならば。

それすら自由に望めない、その存在が意味するものは本当に人類の希望なのか。

人間の求める究極の姿が、自分達より遥かに閉鎖された世界だと知ったなら誰もが絶望する筈なのに。

それでも、この女神は常に優しく微笑んでいるから。

だから、どうしても手を差し出したくなる。今のカノンのように。


「……そう、ね…出来るなら…」


軽々しく聞いた訳では無かったが、自身が叶えられる範囲なのかと。

彼女が返答する瞬間まで、彼の全身は緊張に包まれていた。


「普通、がいいです」


「普、通……とは…?」


予想していなかった意外な答えに、双子座は少々戸惑い同じ言葉を繰り返す。


「素敵な人と、クリスマスツリーを見て。手を繋いで、それから…」


きらきらと瞳を輝かせて語り出す沙織はとても可憐で、カノンは込み上げる愛しさを態と呆れ顔に変える。


「――――…子供達の贈物を選んでいたのではないのですか…」


恐らくはあの時、些細な欲望に負けて手が違う方向へと動いたに違いない。

しかし、そんな可愛らしい行為を誰が止められるのだろうか。







投げられた科白が、同情の色を含まない事に少しだけ落胆し。女神が溜息を心の片隅で一つ零し、視線を机上に戻した刹那。

ふわりと、暖かい物が小さな躯を包み込んだ。


「サンタクロースには及びませんが…」

「―――…?」


ああ、掛けられたのは先程まで着ていた白いコートだと理解した時には。




















「―――…!!」


言葉にならない、驚きは。固く握り締められた指先からカノンに直接熱と共に伝わって来る。

双子座の能力で行き着いた先は、女神が望んだ景色そのものだった。

普通の人々が行き交う、幸せな光景。楽しそうに弾む、恋人達の会話。

隣で微笑む彼とは、恋人同士の間だと誰が見ても思うだろう。

繋がれた手が、そんな感情を加速させそうで沙織は慌てて目前のツリーに視線を戻した。



「凄い、ホワイト…クリスマスね…!」


冷たく降り注ぐ雪の結晶も、女神が其処に居るだけで何と温かく感じるのか。

カノンは自分達以外をも覆う空間の一切が、一瞬で幸福な物へと変化したのを見逃さなかった。

皆の幸せは、女神が与えてくれる。

しかし、その女神の幸せは誰が齎すというのか。男は、それが自分だったらと願わずにはいられない。

(身の程知らずだと、笑われるだろうか)









「本当に、綺麗」


大きな樅の木に満遍なく鏤められた光の数々は、互いを尊重しているように見事に調和されて。

それでも決して、地味ではなく。見上げる人々の心に強く記憶させる魅力を持っていた。

他ならない沙織も魅了されて、叶えられた望みに涙が零れそうになる。


「とても、素敵な夢…」

「これで終わりませんよ、女神」

「え……?」


想像の世よりずっと、綿菓子のように甘く蕩けそうな世界は。沙織が一度も見たこともない場所。

それを知り尽くしている男は、余裕の笑みを見せると人の目も憚らず。


「―――…っ」


屈んだ瞬間に、無防備な唇にキスをひとつ落とした。


「これから、御教えしますよ。普通の、夢の続きを」


突然の出来事に、女神の思考は追い付かず。ただ只管に跳ね上がっていく心臓が、痛くて仕方なくて。

自分でも制御出来ない、その感情に侵されていくのが悔しいけれど何故だか嬉しくて。

そんな気持ちが、直に表情に出ていたようで。カノンは愛おしさのまま沙織を抱き締めた。



”夢の続きを一緒に、叶えましょう”



耳元でされた告白に留まっていた涙が一粒、流れ落ちた。







2010.12.25



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