紅桜に抗う者 | ナノ
に抗う者





永い冬を終えて季節の変化を告げる淡い花弁達は、その生命力を解き放つように空を目指し咲いている。



「見事なものですね…」

「ええ…本当に綺麗」


寄添いながら歩く双子座と女神は、桃華を見上げながら感嘆の息を漏らす。
柔らかな紅と澄んだ蒼色の、鮮やかな対比は観者を魅了して。









沙織の緻密な仕事捌きにより得た、僅かな自由時間を。彼女は身体を休めるよりも精神的な休息を選ぶ。
しかし一人で並木を散策しようとした女神は、護衛である双子座を上手く切り抜けることは出来ずに。


“女神、どちらに行かれるのですか?”


後ろから降り掛かる呼び声に、びくりと躯を震わせて。振り返る前に、女神は色々な知恵を頭の中で駆け巡らせ。
ゆっくりと近付く足音が、止む瞬間を見計らって満面の笑顔を差し出した。


“桜…!見て見たいでしょう?サガも”


そう、一言上目遣いで誘われれば。
眉間に深く刻み込まれた縦皺も、咎める予定の言葉も瞬時に消え失せてしまう。


女神が聖域で生活し、初めて知った双子座の男。それまで正面から向き合う機会も、皆無だったのだから仕方ないが。
外見を裏切らず真面目で堅物なのは否定しない、でも。


沙織に対しては明らかに他の者と態度が違う。崇拝する神だからという理由では無い。
向ける表情、掛ける声色。全てがどんな砂糖菓子よりもずっと、ずっと甘いのだ。


不幸中の幸いなのは、彼は本心を上手く隠しており彼女には知られていない位か。











美しく咲き誇る可憐な花々が、揺れる度にサガはその魅力に心奪われる。
そんな自身を不思議に感じながらも、眼はずっと追い続け。


(何だ……?この感覚は…)


普段、草花に対し特別感動することも無い人間だと思っていたのに。この桜という花はどうしようもなく、自分を捉えて離さない。
















「本来、桜は白色なんですって。それが…どうしてこのように綺麗な薄紅色なのか分かりますか?」

「―――いえ…」


未経験の感情に少々動揺していた為、投げ掛けられた問いの反応が遅れてしまう。
空に浮かぶ桜達を見ながらの質問であったから、そんな彼の態度にも気付かない。


「樹の根元に埋まっている死者の血を吸っているから、だと…」

「は……?」


飛び出した言葉がこの長閑な景色とは全く結びつかない、不吉なもので。その瞬時、サガは焦燥の色を濃くして沙織の様子を窺う。


「そんな顔しないで…?ただの、御伽噺よ」


眉を顰めた双子座に向かって、くすりと笑う女神はこの上なく美しく。そして物悲しいと感じてしまったのは。
一瞬、サガの頭を過ぎった、ある思考の所為なのだろうか。


(そう、か…だから私は)


優しく凛として咲いているのに、最期は儚く寂しく散ってゆく。
その様は目前の佇む、愛しい女性と重なってしまう。


(この、桜という華に異常な程惹き付けられるのか)


曖昧であった感情の理由。それは今現在抱いている女神への想い。ふ、とサガの口元に自嘲めいた笑いが込み上げた。












花片が春風に乗ってふわりと、沙織の開いた手中へ舞い落ちる。その一枚に指先で優しく触れながら、静かに思いを吐露していく。


「似ていると…思うんです。私も……沢山の犠牲の上に立つ者だから…」


咄嗟に出掛かった否定の一切を、男は必死に飲み込んだ。
貴女は地上の為に、その命を顧みず戦って来たのだと。口に出すのは容易いことであった。
それでも、サガは無言を貫く。


(この御方は、慰めの言葉など最初から望んでいない)


幾等災いを齎す敵とはいえ、その者の亡骸を後にして運命のままに進んで来たのは紛れも無い事実。
魂の怨恨、それらを全部受け入れても未だ孤高の存在を維持しながら。


しかし、それだけなら彼には生まれなかった。この焦がれる程の情愛は。
張り詰めた一本の糸のように。何時も限り限りの場所に爪先立つ女神が、時折見せる孤独な瞳の奥。その脆さは息を飲む程艶やかで。
それを知っているのは、聖域でも限られた者だけ。


「だから、同じように…散りたいと願ってしまうの」

「―――教皇が聞いたら嘆かれそうな科白ですね」

「ええ…だからこれは秘密ですよ、サガ」


淡々と連なる言詞は、教皇は疎か他の聖闘士がこの場に居れば、あまりにも不謹慎だと憤慨したに違いない。
何故なら互いの表情は穏やかで、笑みすら湛えているのだから。
















その刹那、この時期特有の花嵐が二人を襲う。桜吹雪が女神と双子座の間を絶っていく。
仄かな紅は瞬く間に愛くるしい色を変え、彼女を浚うように覆い尽くして。


視界から消えかけた沙織を、サガは慌てて追い掛ける。しかし、伸ばした掌は空を切って。
懸命に阻む欠片を払いながら、目を凝らして藤色を探し求める。


―――まだ、散る時期ではない。
そう頭では理解出来るのに、一度不安に侵された心は一気に溢れ出し。


「きゃっ…」


限界まで広げた両腕は、小さな女神を掻き抱いた。


「サ、ガ……?」


力強く竦められて、男の匂いに包まれながら沙織は驚きの声を上げる。それでもサガの籠る力が緩むことは無く。
伝わる鼓動が速くなって、接した胸元は高鳴り始める。


「桜が…貴女の望みを叶えてしまうかと」


彼女の纏う香と肢体の嫋やかさを全身で感じて、漸く安心すると彼は口を開いた。


「ふふ、随分情緒的なのね。もしかして、本気にしたの…?あの御伽噺を」

「―――まさか」


抱き締めた格好を崩し、サガは沙織を見下ろした。背中に回した片手は逞しく、二人の距離は吐息の温度を感じる程に近い。


「ですが。もし…もしも。散り逝く時は…このサガも一緒に参ります」


先程の桜吹雪の名残が、眸を見開いた女神の口許に一片。それを器用に双子座は唇で優しく取り除く。
微かに届いた体温は、彼女の核心を僅かだけではあるが触れることを許してしまう。


「有難う、サガ…」


運命を変えることは出来ない。抗うことも出来ない。
それならば、せめて。


……せめて、寂しくないように。孤独な闇に被われないように。


泣きそうな笑顔も、再び下りて来る熱を煽る結果にしかならない。語られた秘密は、又も吹き荒れる花風に頑なに護られる。






サガが振返り様に見た、桜は。あれだけ舞散ったのが嘘のように、そこには鮮やかな桃花が咲き乱れていた。







2010.05.08



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -