恋、汝は何物か | ナノ
恋、は何物か





『今回の護衛任務は双子座のカノンです』


その名を聞いた時、人知れず溜め息を溢したのは…護衛される側の女神であった。

聖域を統括する教皇シオンが選んだ聖闘士が不服な訳ではない。カノン自身も過去は兎も角、任務遂行に当たっては何の問題も無い。

それでも、沙織の表情が曇っている理由。それは先日彼から告げられた一言。





“貴女が…好きです”




初めての経験に、その瞬間はどう対処していいか見当も付かず。それでもカノンを傷付けないよう接したつもりだが。

いざ冷静になって考えてみると。自分よりも…彼の方が辛く苦しい選択をしていると思えてならない。

そんな茨の道を進んで行くのを、やはり黙認することは出来ないと。

沙織は、カノンが好きだった。勿論恋愛感情などという甘いものではなく、親愛感に似たもので。だからこそ彼には幸せになって欲しい。

そう願い…自然な形で接触を控えていたのだった。













出発当日になっても、女神の計画は続いていた。双子座との間には私語等殆ど展開せず。何とも味気ない旅の道中となってしまっていた。

そんな雰囲気の自家用機で、日本へ向かう機内にて交わされた会話。


「カノン…あの、ね」

「は…」



「パーティの最中は…色々私も挨拶があるから…出来るだけ一人にして貰える?」


沙織は可能な限りの笑顔を貼り付けて、彼にそう告げた。罪悪感がちくりと胸を刺し、無意識に伏せ目になりながら。

カノンは、その様子を察して何か言わんとするが。女神の意志を尊重することを選んだ。


「――――御意」

(…避けられている…まぁ当然だな)












勢いに任せて口にした告白を、後悔は全くしていない。相手は経験無しの女神、結果こうなることも予想範囲内だった。

それでも、好きな女性に近付けない現実は男にとって苦いものこの上なく。ギュッと握り拳を作って、些細な痛みを耐える。

そして、二人は無言のまま。時間が過ぎ去るのを待つしかなかった。

日本へ到着した女神と双子座の聖闘士は、執事や秘書やらに囲まれて。事務的に互いの役割を担うべく連行され。

その夜はお互い同じ屋根の下に居たものの、一言も言葉を交わすことなく時は流れた。

胸に痞える、蟠りはその大きさを持続したまま…。














東京の有名ホテルを一つ貸し切り、盛大に行われているパーティ。20歳になったばかりの城戸沙織は、グラード財団の当主として出席している。

普段なら彼女が赴く必要は無いのだが、今回の主催者の一人が祖父と交流がある人間であるなら話は別で。

何時もとは趣向の違う、黒色を基調した大人の色気が存分に出ているドレスを身に着け。

さらりと靡く普段のものでなく、上に纏めた髪型によって露わとなる項もより一層艶やかさを増しており。

擦違う男性達の心を惹き付けるのは、無理もない話であった。例え同伴の女性に白い目で見られようとも。

目的の人物に早々と挨拶を済ませた彼女は。次から次へと現れるその世界では有名な人々に、仕事用の笑顔を振り撒く。

如才無い振る舞いと、独身という事実に、いよいよもって高まる求婚のアプローチの嵐。しかし、どれだけ魅力的な男性にも同じ微笑みを返すと。










沙織はひとり、噴水が見事な中庭へと逃避を果たす。其処はライトアップされ幻想的な一種の楽園を再現した、色取り取りの薔薇が咲き誇っており。

その、見事な咲き具合に沙織は感嘆すると…引き込まれるように一輪の真紅の華へと手を伸ばす。


「女神?」

「…ッ!」


その声に勢い良く反応してしまった沙織は、触れようとした花弁の守護たる棘によって。白く細い指先から流れる鮮血。




声主へゆっくりと向き合うと、微笑みながらその名を呼ぶ。何事も無かったように。


「…カノン…」

「大丈夫ですか?大分お疲れのようですが…」

「えぇ、大丈夫よ」


素早く指先を後ろへと隠した彼女であったが、敏感である聖闘士の感覚がそれを見逃す訳も無く。


「女神、血が…!」


咄嗟に御手を攫むと、その動きは一瞬だったのだが…しかし長い時間のようにも感じられた。


「カノ、ン…!!」


沙織の細指がカノンの口元へ近付くと、そのまま紅は男の舌によって優しく拭われる。咎める言葉も忘れる位、彼の所作は自然で。二人にとっては不自然なもの。

自らの冷たさと、双子座の熱さとの差に。軽く身震いした後、急く鼓動に戸惑って。



(…胸が…痛い…これは、何?)



初めての気持ちに、翻弄されながら。彼の熱に強く拒否出来ない自分。本気で向き合う機会を貰った砌。

想像しなかった人間に出会したことで中断されてしまう。














「…沙織…?」

「ジュリ、アン…!?」


正装に身を包んだカノンの嘗ての主、海皇ポセイドン。彼にはその記憶は無いのだが、過去の地位と沙織への想いはしっかりと残って。

光政翁と親交があった者としてこの場に居るのは何ら不思議では無い。

その青年からの視線と、絵になる両人を直視出来ずにカノンは無言のまま身を引く。勿論、護衛の為に女神の姿が見える限りの場所へ潜め。

瞬間、安堵した女神の表情を。視界の端に捉えてしまったカノンは、又も胸を刺す痛みに眉を顰めた。








「…やはり貴女は益々美しくなられる」

「ふふ、貴方は相変わらずお世辞が上手ですわ」

「お世辞なんかじゃありませんよ、本当に今宵の沙織は麗しい…」


褒め称える科白の数々に、あろう事か沙織は上の空で聞いていた。

その間、カノンに触れられた箇所が。冷める所か益々熱を持つような気がして、心を落ち着かせるのに必死で。


「ジュリアン…ごめんなさい、私」


















「まぁ…海龍様?」

「…テティス…か」


此処でも懐かしい再会を果たしている者達。過去は上下関係にあった海龍として、人魚姫として。
海界を護る者として身を置いていたあの頃。

お互い見た事もない正装姿に、笑みが浮かんでしまう。こんな形での出会いは予測出来なかったのだから。


「何だか丸くなりましたね…、あの頃はもっと殺伐としてましたよ?」


テティスは以前の彼を良く知っていた。纏う空気が全く違う、今の風采は穏やかで温かい。


「お前は相変わらず、らしいな…未だあの男に仕えているとは」

「…ジュリアン様は私の命の恩人ですから」


恋する瞳の見本である如く、彼女は真直ぐで純粋な色をしている。それは人魚姫であった時から眩しく感じていた眼差し。


「フ…それだけではあるまい。その様子だと進展無しのようだな。」


カノンはテティスが抱える気持ちを知っていた。ポセイドン神殿を復活させる日まで、長い間一緒に共にしたその身。

馴れ合いなど決して無かったが、同じ時を過ごしたからこそ分かる事もある。


「………それを貴方に言われるとは心外です、バレバレですよ?女神様のこと」


彼女はその言い分が気に障ったのか、挑発的な言葉で返すと。


「…余計な勘繰りは無用だ、テティス」


途端に目付きが鋭くなる。彼女はこの眼にとても覚えがあった。やはり、根本的なものは何一つ変わっていないのだ。

激しく燃え盛る激情の炎は、元々生れ持っているモノ。










その時、だ。二人の後方から、優しく偉大な小宇宙の破片を察知したのは。


「私達の関係を…知られたら不味いんじゃなくて…?海龍様」

「なッ……!?」


そう言うと、予想外の出来事に目を見開いて硬直したままの男の胸へと飛び込んだ。




「―――――!!」


ガサ、

若葉が掠れる音に振り向くと、青褪めた顔色の沙織と際会し。カノンが気付いた刹那、彼女は逸走した。
















(貴女はずるいわ…何でも持っているんですもの…)


女神の後を追った男の背中を、テティスは見送って。散らばった薔薇の花弁をひとつ、手に掬い取る。

完璧な逆恨み。自分でもよく解っている。けれど、少しばかり復讐しても構わないのではないか。
(…これ位の悪戯許して欲しいわ…だって)


海闘士としての智覚ではない。言うなれば…女の勘。海龍様を見つめるあの瞳はきっと、己がジュリアン様へ向けるものと同じ。


「そうやって、逃げてばっかりいると…振り返った時には、誰も居ませんよ?女神様」


テティスは、そう星を仰ぎ呟くと。今頃は傷心しているであろう、愛しい者の傍へ走り行く。






















私は女神。誰にも愛されない孤独な存在。至当の事実、それを忘れかけていた自分に嫌気が差す。


(カノンだって…一時の気の迷いです…)


黒絹のドレスの裾が汚れている。纏めた髪も乱れ落ちて。それでも構わず沙織は必死で走った。

先程の光景が頭に焼き付いて離れない。

走っているからではない、胸がとても苦しい。辛く、切ない想いに涙が込み上げて来る。


「女神…!」


普通の女性である身体が、聖闘士として鍛えられた男に適う訳がなかった。

追い着いたカノンに肩を攫まれると。沙織はどうしようもない気持ちを剥き出しにする。


「カノンなんて…大嫌いです!」

「!!」


その言葉に焦り、咄嗟にか細い手首を取って。意識外の行動はどうにも力加減が難しく。


「痛っ…」


悲鳴と同時に自分を睨み上げる翡翠の双眸からは、光輝く滴が流れ出していて。余りにも美しい情景にカノンの時間は刻むのを忘れる。

全身から沙織への情愛が、一気に溢れ出していく。もう、止められない。


「嫌、離して…!」

「離しません…!!」


力の限り抱き締めて。抵抗する沙織を、反動で打たれながらも辛抱強く懐抱する。

やがて落ち着いた女神を、胸に包んだまま。誰に見られても、構わないとさえ思った。











避けていたのはカノンの為なんかじゃない。

彼に惹かれている自分が怖くて逃げ出したのだ。

これ以上、好きになってはいけないと―――――――。







「カノンなんて…嫌いよ…」


啜り泣く小さな躯に。有りっ丈の愛しさを籠めて藤色を撫でながら、カノンは謂う。


「私は…愛してますよ、貴女を」

「嘘!だったら…どうして!?」


愛の告白を信じられずに、濡らした顔を上げて問い詰めるは。女神でも総帥でもなく…素顔の沙織そのものだった。

それを見たカノンは湧き上がる喜びを隠さずに、笑みを浮かべて続ける。


「あれは、誤解です。私の焦がれる方はこの世界に唯一人だけ」

(心が、痛いのは…カノンが好きだから…?でもまだ私には…)








「触れても…宜しいでしょうか…?」

「分からない、わ……でも」



“イヤじゃ…ないの”



消え入りそうな沙織の言葉に、カノンは静かに唇を寄せて。
初めて重なったその温もりと柔らかさに。涕が出たのは何方だったのか……。







2009.05.18




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