料理が広がっている、何mもあるテーブルの端から端まで。目の前のステーキにフォークを突き刺す。教科書の何倍も分厚い、前にバスケ部の皆で食べたやつくらいの………


「…くん、火神くん、起きてください。時間ですよ」

「……あー…?」


途端に目の前にあった肉の映像がぶれて、消えた。目を開けると黒子の顔。ああまた試合前に寝ちまったのか、そう考えながら目の前の黒子を眺める。白い肩に赤い跡。


「…お前、ユニフォームなくしたの?」

「何言ってるんですか。朝ですよ」


そう言いながら腕を伸ばすと、何かを取って目の前に突き付けられた。時計。針は9時を指している。背中越しに見えるカーテン、隙間から差し込む光。ああ、朝なのか。試合じゃなくて。


「…はよ」

「おはようございます」


耳に手を掛けると応えるように顔を近付けてきて、そのままキス。小さな音を立てて唇が離れた。横で静かに着替え始めて、衣擦れの音がする。枕を抱いて目を閉じながらそれを聴いていると、駄目ですよと枕を取り上げられた。


「朝ご飯何がいいですか?」

「お前が作んの?」

「時間がないので」

「なんで?」

だって今日、言いかけて壁に掛かったカレンダーを見る。今日はまだ夏休みのはずだ。部活もない。そう考えていると、忘れましたか、と言いながら冷蔵庫を開けた。


「食パンでいいですか?今日はプール掃除の日ですよ」









「めんどくせー」

「はいはい」

「なんで部活もねぇのに掃除とか」

「君がジャンケンに負けたからですよ」


耳につく鳴き声、蝉の声を聞くと余計に暑さが増す気がする。信号が赤になって、立ち止まった途端に汗が吹き出す。拭うのも面倒で何もせずに突っ立っていると、ふいに視界が暗くなった。少しごわついた感触。少ししてからタオルで顔を拭かれているのだと気付いた。


「…お前、拭くならもうちょっと優しく拭けよ」

「すいません、手がうまく届かなくて」

タオルの隙間から笑う黒子が見えた。額に浮かぶ汗が光って見える、自分だって暑いくせに優しい奴。そう思いながらタオルを奪って黒子の顔に押し当てると、苦しそうにくぐもった声が聞こえた。タオルがずれて口元が見えた瞬間、不服そうに漏れた声。


「拭くなら一言言ってください」

「んー」


タオルを外しながら唇を塞ぐと途端に大人しくなった。蝉の声も小さくなったように思う、それでも遠くで響き続けている。視界の端で、太陽の光を反射したアスファルトが白く光って見えた。


「…か、がみ、くん」

「ん?」

「信号、」


絶え絶えに発せられる訴えに、角度を変えて口付けながら横を見る。いつの間にか青に変わっていた信号。進もうと顔を離した瞬間点滅し始めて、すぐに赤に変わってしまった。溜息が聞こえて、横を向くとこっちを見ている黒子、そのまままた溜息。


「……君って人は」

「いいだろ別に」


また口付けようと顔を傾けると、駄目です、と言いながら押しやられた。君といるといつまでたっても学校に辿り着けません、呟きながら背けた顔は赤い。その頬に手を当てると、何ですか、と言いながら睨みつけてくる。


「顔赤けーぞ」

「暑いからです」

「ふーん、…いてっ」


ニヤつかないでください、そう言いながらボディブローを喰らわせてくる。まだ顔は赤かったけれど、もう何も言わないことにした。









「気持ち悪ぃな」

「……っう…」


足の不快感が耐えられない、底に張り付いた水苔のぬるぬるとした感覚に思わず声を上げる。黒子は時折小さく呻きながらデッキブラシを動かしている。


「おい、黒子平気か?」

「はい…」


腕で支えるとそのままゆっくりと胸に倒れ込んできた。全身汗をびっしょりかいている、熱中症になりかけているのかもしれない。休ませる場所を探したけれど、屋根がなく剥き出しで太陽の光を浴びたベンチはどう考えても寝かせるのには向いていなくて、一旦室内に入ることにした。抱き上げると腕の中ですみません、と小さく呟く声。頭を撫でてやりたかったけれど両腕が塞がっていたから、代わりに額に口付けた。さっきよりも熱い額。

更衣室のベンチに横たわらせる。苦しそうに上下する胸。筋肉のない腕、体力のない身体。なのに、時に驚くほど強がりな一面を見せる。大丈夫ですと言い張りながら糸が切れたように突然倒れるのはよくある話だ、その度に説教すると、たまたまです、と目を逸らしながら拗ねたように呟く。そんなとき顔をこっちに向けさせて目を合わせると、少しして必ず言うのだ、すみません、と。今みたいな声で。反省したというような声で。


「悪かった」

「…なんで謝るんですか?」

「お前、ジャンケン勝ってただろ」


プール掃除は毎年一年が行うものらしい、クラスで二人選んで二週に一度の交替制。そのジャンケンに一番乗りで負けた俺が頭を抱えていると、僕もやります、と後ろで声がした。

一人でやるより二人でやる方が楽しいですよ、そう言っていた。夏に弱いくせに、自分でもそれを自覚してるくせに。


「すみません」

ぽつりと声がした。下を見ると、膝の上で黒子が薄く目を開いてこっちを見ていた。



「すみません、また倒れてしまって」


かすれた声は消えてしまいそうで、聞いたことのある声のはずなのに、今日はなぜか胸の奥がざわついた。頬を撫でると温かい。よかった生きてる、と呟くと、死にませんよ、と小さく笑った。

帝光のときもこうやってしょっちゅう倒れていたんだろうか。今より身体は小さかったはずだし、体力だってなかったと思う。こうしてぱたりと倒れて、その度に介抱されていたんだろうか。キセキの奴らが介抱するときもあったんだろうか、


「火神くん?」


こっちを見つめる顔、汗ばんだ額を拭うと手の甲が湿る。不思議そうな顔。俺が今考えていたことなんて、まるで察していない顔。


「お前さ、」

「はい」

「もう俺以外の前で倒れるな」


また、不思議そうな顔をして。

少しして、小さく笑った。なんだか恥ずかしくて顔にタオルを被せると、そのまましばらく笑っていた。火神くん、と呟く声。


「火神くんはもっと自惚れていいですよ」

「…どういう意味だよ」

「君の側から離れません。だから、火神くん以外の前では倒れません」


タオルから顔を覗かせて。



「…ならいい」

つーか倒れんなよ、そう言って頭をはたこうとして留まった。伸ばした手を額に乗せると、そうですね、と言ってまた笑った。自分の手を絡めながら。今日はよく笑う、嬉しそうに。倒れているくせに。


「残りの掃除は俺がやって来るから。寝てろよ」

「ありがとうございます、じゃあお礼に今日の夕ご飯…」

「作ってくれんの?」

「…作りません」

「んだよ」

髪をぐしゃぐしゃと掻き回すと、首を傾げてくすぐったそうに笑う。今日の夕飯何がいい?そう尋ねると、笑いながらカレーと答えた。お前食えんの?食べれます。食べたいです、火神くんのカレー。

分かった、返事をしながらプールサイドへ繋がる扉に向かう。ドアを引いた瞬間、火神くん、と遠くで呼び掛ける声がした。


「僕、今日、楽しかったです」

「…ああ。俺も楽しかった」


起きたらカレーですか?
そう、今にも寝そうな声で言うから、思わずドアから手を離して振り返る。ベンチに横たわった黒子の顔は見えない、小さく聞こえ始めた寝息。


「…おぶったまま買い物すんのかよ」


独り言はもう黒子の耳には届かない。仕方ないから今日は言う通りにしてやろう、そう思いながら扉を開けた。頑張ってくれたアイツのために。目が覚めたら驚くくらいに、嬉しそうに笑う姿を見るために。





















******
火黒×プール掃除。

独占欲と熱中症。



20120828
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