『なあ、あっちって何県?昨日あんなのあったっけ』

『あれは蜃気楼って言うんですよ、温度差で起こる現象です』

『だから街みたいのが見えんの』

『そうです、あるはずのないものが』

『ふーん』


生返事ですね、呆れたように呟く言葉に、いつも笑って返していた。

質問をするのは知識が欲しいからじゃなかった。ただ、自分が投げかけた疑問に答えようと考える表情と、空気の中にゆっくりと落ちていく声を吸収したいだけだった。

なんで、こんな会話、今さら。


目を開けてぼんやりとした頭を巡らせる。灰色の石、数分前に水をかけた石。テツくん、そう呼んで笑っていたばーちゃんが眠っている場所。

ああ、だからか。


海が好きな祖母だった。夏休み、テツを連れて遊びに行ったことがあった。会話の中で、覚えたてのテツという名前を繰り返し呼んで、嬉しそうに笑っていたのを思い出す。そのときだった、二人並んで海を見て、水平線の向こうにぼやけて浮かぶ町並みが見えて。それが何かと尋ねたら蜃気楼だと教えてくれた。あるはずのないものが見える現象だと。

水の入った桶を手に歩き出す。線香の匂い。うるさいほどに響く蝉の声。
砂利を踏む音、ひとつ。


「………テツ?」


蜃気楼。

浮かんだ言葉はそれだった。

墓地の正門前に見えた後ろ姿は、確かにテツのものに見えた。青いジーンズに白のパーカー。

この場所にいるはずがない、この場所をテツが覚えているはずもない。ここに訪れたのは一度きりだ。一筋、流れた涙が綺麗だと、不謹慎にも思ってしまったのを覚えている。
だから蜃気楼だと思った。目を擦ると汗がしみて少し痛い。


振り返ったそれは言葉を発した、


「青峰くん」


響いた六文字の言葉。少しかすれた声は蝉の音に紛れて溶けた。


「お久しぶりです、」


口角が上がったのにつれて、声は少しだけ和らいだ。蜃気楼じゃない、馬鹿みたいに頭の中で繰り返す。何度も聞きたいと思った声と、何度も見たいと思った表情と。何度も抱きしめたいと願った姿と。


「お前、なんで」

「逢いたくて」


二人に。

そう呟く、手には仏花。白い菊だけで作られた花束。菊の花が好きなんだよ、色は白がいい。地味だって周りには言われるんだけどね。そう笑って話すばーちゃんと、そうなんですか、と笑顔で返すテツと。そんな二人をすぐそばで眺めて、同じように笑っていた俺を。覚えていたんだろうか、


「来いよ」

「はい」


そう言ったまま動かない。墓地と外を区切る正門の溝、そのすぐ外側に立つテツと、内側に立つ俺と、向かい合ったまま。Tシャツの下、背中を汗が一筋流れるのが分かった。風が吹いて一斉に大きさを増した蝉の声。まるで早くとせき立てるみたいに。

目を伏せたテツの向こうに海が見える。どこまでも青い。入道雲とのコントラスト、痛いくらいに眩しい白。俺が突然飛び込んだらどうする?あの海と空を眺めながら交わした会話。


暑いんですか?じゃあ、僕も混ざります。

青峰くんについていくって、決めてますから。


けれど言った通りにはならなかった。高校を卒業した後音信不通になって、そのまま。番号を消したのは故意だった。原因は嫉妬か何か、今となってはどうでもいい。それでも頭の片隅に、11桁の数字はこびりついて離れなかった。

意識は現実に戻る。空いた時間の分だけ線引きされた50cm。近くて遠くて、向かい合ったまま時間が流れる。俯いたままのテツの額に浮かぶ汗。

先に踏み出すのはどっちでもいい、


「来いよ」

腕を掴んで引っ張る。あ、と小さくあがった声を無視してそのまま進むと、黙ってそのままついてきた。歩きにくいですと呟く声が後ろで聞こえたけれど気にしない。

墓前で手を合わせるテツを見ながら心の中で話しかける。騒々しくてごめん、ばーちゃん。でも嬉しいだろ?また逢えて。…嬉しいんだ、俺も。



海に向かって歩き出す。手を繋ぐと互いに何も喋らない、昔からこうだった。繋いだ手の内側がじわりと汗ばんで、初めてこうしたときのことを思い出す。

試合中何度も拳を合わせているのに、意識して手を繋ぐだけでいつもよりも熱く感じた。お前汗かいてる、そう言って笑ったら、青峰くんだって、と小さな声で呟いた。照れてんのかとからかうと、怒ったのか手を離そうとするから、笑いながら握りしめた。あの時と変わらない手。もう絶対に離したくない、離してやらない、そう思いながら。


「なあ」

「はい」

次から次へと浮かぶ、色褪せていないテツとのやり取り。あんなに忘れようとしていたのに、これだけは脳が削除することを拒んだのかもしれない。そう思いながら前を向いたまま口にした。


「お前、俺との思い出とか、覚えてる?」


少し間が空いて、柄にもなく少し不安になって、思わず隣を覗き見る。目に入ったのはこっちを向いているテツの右顔、目が合った瞬間ゆっくりと口が開かれた。



「これから増える予定です。また」


耳に届いた言葉を頭の中で繰り返す。14文字。数えきって呟いた言葉に、何ですかそれ、と一言。

嬉しいと思ったなんて知られたくはない。別に、昔と同じ返事をして話題を変えることにした。それよりお前の話聞かせろよ。いいですよ、青峰くんも聞かせてくださいね。笑う顔。ああやっぱり好きだ、この声も表情も。


どれだけ時間が掛かったっていい、繋いだ手が今より汗ばんだって。知りたいことも伝えたいことも十二分にある。空白を埋めるために、消そうとしても消せないのならいっそ、濃すぎるくらいに。


差し込む光が眩しくて目を閉じる、どこまでも青い空。突き抜けるほどに青い。




















*******
青黒×蜃気楼。
一度別れてまた寄り添う二人。


20120825





×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -