!未来捏造
「馬鹿じゃねぇの」
久しぶりに交わした会話の一言目がこれだ。相変わらずっスね、くだけた調子で返しても、もう一度馬鹿じゃねえのと呟かれて終わった。怒りは言葉の端に滲ませたまま。
「俺決めたんスわ」
「それでいいのかよ」
「うん。いい」
「簡単に諦められるようなもんだったのかよ」
「はは、火神っちみたいっスね」
いつの間にそんな熱血になったんスか、
そう口にしようとして留まった。彼の怒りは笑ってやり過ごしていいものではなくて、俺を想って、俺のために生み出された怒りだ、そう気がついて。
視界にそっと入ってきた腕を引き寄せる。そのまま引っ張ると小さく音を立てて、ソファーに寝そべる自分の上に倒れ込んできた。
「黄瀬くん、」
しー、口に人差し指を当てて電話を見せると、開きかけた口はまた閉じる。
やり取りを察しているのかいないのか、無言になった電話口をそのままに、また話しかけた。
「青峰っちすごいっスね、こっちでも特集組まれてるっスよ」
「お前らも一緒に来ると思ってたよ」
話題は逸れない、腕の中でじっとしている彼の髪を指ですく。サラサラとした感触。
高校卒業間際、プロからのスカウトが来た。それは他のキセキ達にも平等に来たらしい。受ける者、断る者、その中で、意外にも即決したのは青峰っちだった。より強い相手に出会えるのならと。
俺はそのどちらにも属さず、躊躇する者に成り果てた。
モデルの仕事を続けながら考えさせてほしい、頼み続けて伸ばし続けて、大学生活が残り四分の一を切った今、最後の猶予が与えられたのだ。
そして俺が選んだ答えはNOだった。
理由は怒られそうなこと、(いや、すでに怒られたけれど)
『海外に行くから』。
「…テツ、か?」
「そうっスよ」
残念なことに、黒子っちにスカウトは来なかった。なのに、プロ入りの条件は単身渡米だった。
俺は迷いなく彼を選んだ。
「……羨ましい?」
「…そんなんじゃねーよ、じゃあ練習再開すっから。切るぞ」
「青峰っち」
「また掛ける」
ブツリ。その後はただ電子音。
「…あらら」
怒るのは日常茶飯事だったけれど、今日はそれだけじゃなくて、どこか物寂しさを含んでいるように思えた。そうさせたのは俺だ。
でも、話してよかったと思ってる。国内の数倍取られた今の通話料金だって、それだけの価値があるものだと思ってる。本当だよ。
無駄だったとは思わない。先輩たちと、皆と同じ先に向かっていた日々も、汗を流した練習も。叶えるために前に進む、その過程がかけがえのないものなのだと知ったのも、バスケをしている中でのことだ。
だけどそれ以上に、あらゆる天秤に負けないものがある。
「…まだ、戻れますよ」
「いいんスよ」
心配そうな顔をした、黒子っちの前髪をかきあげて口付ける。
戻るか戻らないかの瀬戸際で迷っているんじゃない。
道はとっくに決めている、けど、その一歩が踏み出せずにいる。
一押しでいいから欲しくて、
「黒子っち」
「一緒にいたいって、言って」
君の意志が、
「思ってなくてもいいから。言って」
うわべだけでもいいから、欲しくて。
決めたなら自分の力で進めよ、きっと電話越しのあの人ならそう言うと思う。でも、俺がここに存在する理由を持つのは、今目の前にいる彼だけだから。
「…一緒が」
きゅ、シャツの胸のあたりを掴む腕、手を添えると目が合った。
「一緒が、いいです」
「出来れば、ですけど」
力の限り抱きしめて、嘘でもいいや、と呟くと、嘘じゃないです、と少し怒ったような声で言った。そのまま身体を滑らせて、黒子っちに覆い被さる。
「嘘じゃないの?」
「ほんとです」
額を寄せて数秒間。やがて同時に笑い合った。
重力に身を任せて口付けを落とす、まだ、足りない。
「黒子っち」
「…はい?」
俺は夢じゃなく彼を選んだ。
多くの期待を捨てて一人を選んだ。
それはいけないことですか?
ねえ、八年前の二人に問い掛ける。
俺は恐らく笑うだろう、追いかけて追いかけ続けて、平行線の想いに明け暮れて、時に情けなくうなだれていたあの頃の俺は、嬉しくてたまらないと笑うだろう。ただその一言に尽きる。幸せなんだ。
「黒子っち、」
君も恐らく笑うだろう、
あのとき笑ってくれたからこそ、
「ずっと一緒にいてください」
隣に今笑う君がいるんだ。
「……はい、」
ほら、笑った。
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未来捏造です。
22歳、大学四年。バスケではなく黒子を選んだ黄瀬とそれに応えた黒子。
20120726