静謐。そう呼ぶにふさわしいと、息を呑んだ瞬間そう感じた。まるでいつまでも更けないように感じられた空もいつしか藍に染まり、やがてそれは濃紺となった。仰いだ天には星が瞬く。取り囲む夜の森から虫の声が響いて、辺りが暗いせいか星々はより明るく思える。まるで独り飲み込まれそうな感覚に、蒸し暑い夜の空気を吸い込んだ。

「赤司くん?どうかしましたか」

「黒子」

下駄の音と共に現れたのは綿あめを手にした黒子だった。慣れない浴衣のせいかやや歩きにくそうにしながらこちらに向かってくると、星が綺麗ですね、と呟く。

夏祭りに行こうと提案した黄瀬の誘いに訪れたのは、家から二十分ほど歩いた場所にある神社だった。地元で行われている祭りらしく、目玉である花火を目当てに河川敷はひどく混み合っていた。河川敷から少し離れたところになだらかな山があり、川を見下ろす形でその中腹に位置しているのが今六人のいる神社だった。そこに向かうことも穴場らしいと聞きつけた黄瀬の提案によるもので、混雑を避ける目的もあった。ちょうど花火が見える位置にその境内があるが、出店は河川敷付近に固まっていること、また神社へ向かう山道には街灯も少なく、夜になると人気がなく危ないということで人は寄り付かないらしい。

浴衣みんなで着ようよ、とはしゃぐ黄瀬に対して特に反対する者はいなかった。提案した黄瀬を含め、赤司と緑間以外は誰も浴衣や小物を持ち合わせていなかったために赤司が実家にある私物を貸し、緑間と共に二人で全員の着付けをして出掛けてきたのだった。

「時間が経ってもなかなかしぼまないものだね」

「そうですね、食べ始めると早いですけど。水分があると溶けていくようなので」

ピンク色をした綿あめはふわふわとおぼろげで、その存在そのものが幻のようだと赤司は思った。祭りに来たことは数えるほどで記憶もなく、それを手に持って楽しそうにはしゃぐ子供を見かけてその存在を感じる程度だった。自分の体験ではなく、その光景を眺めることこそが赤司にとっての夏祭りだった。

「食べてみますか?」

「いや、……ああ、ありがとう、頂くよ」

一瞬断りかけたものの、こんな機会は滅多にないですよ、と言いたげに微笑む黒子に背中を押されたようで、その申し出を受けることにした。手でつまむと、その見た目から想像するよりも柔らかかった。力を入れずとも容易にちぎることができて、口に含むと同時に音もなく溶けていった。

「甘いな」

「想像通りでしたか?」

「ああ。美味しいよ」

一般的な観点から言えば、ざらめのみで出来たそれはただ単に甘いだけで、美味しいと断言出来るかどうかは難しい。けれど、夏の夜に食べること、共にいる誰かと一緒に共有すること、それにより付加価値が生じて、"美味しい"という感想に辿り着くのだろうと思った。現にそれを食した今、素直に美味しいと赤司は感じていた。

「皆は?」

「すぐ来ると思いますよ。あ、ほら」

黒子の指差す方向に後ろを見やると、赤司や黒子同様に浴衣を着て、下駄を鳴らしながら階段を上ってくる四人が見えた。黒子と同じくピンク色の綿あめを持った黄瀬がそれを奪おうとする青峰から逃れており、抵抗虚しく半分ほど引きちぎられて悲鳴を上げた。

「あっま」

「2つ食べてる紫原っちに貰えばいいじゃないっスか!」

「えー?あげないけど」

「喉乾いた。緑間飲み物くれ」

「だから巾着を持っていけとあれほど言ったのだよ」

小言を言いながら緑間がペットボトルを手渡し、青峰が歩きながら飲み干す。赤司と黒子に気が付いた様子で、よお、と左手を軽く挙げた。

「赤司っち歩くの早いっスねー」

「和装には慣れているからね」

あーそっか家でね、と納得した様子で黄瀬が呟くと、きょろきょろと辺りを見渡す。ここに来るのは初めてだなと緑間が言うのと、空を見上げた黄瀬がうわ、と大きな声を上げるのはほぼ同時だった。

「何大声出してんだよ」

「空!星すごいんスけど!」

黒子と赤司は先ほどまで眺めていたため特に驚くこともなかったが、その他の三人は黄瀬の声をきっかけに天を仰いで、各々が感嘆の声を漏らした。最寄り駅から離れた場所にあるとはいえ、そもそも山があるということも今までに意識したことはなく、ここに来るのは今日が初めてのことだった。赤司が周りを見渡すと、先ほどまで聞こえていた虫の声はぱたりと止んでいた。人の賑やかさに虫がいなくなってしまったのか、いや、喧騒でかき消されてしまっているだけか。そう考えながら赤司は口元に笑みを浮かべた。

「ねーここ座ってもいいの?」

「大丈夫だろう」

緑間に了解を得て良しとしたのか、紫原が境内の端にある岩に腰を下ろした。それは長椅子と呼べそうなくらいに大きな岩で、ごつごつと角張ったそれに座った紫原は固いと小さく感想を漏らした。花火の開始時間まであと少しだと時計を見ながら緑間が言う。呼び掛けるまでもなくそれぞれその岩に腰掛け、所狭しと六人が横に並んだ。

「なんかあれっスね、試合のベンチに座ってるみたいっスね」

「ここ体育館のつもりかよ。つーかこれ岩だぞ」

だって六人並んでるから、と黄瀬が言うと、懐かしいですね、と黒子が微笑む。高校二年、一度だけチームを組んで戦ったあの時のこと。誰も口にはしないが流れた静寂に、各々が思い出していることが分かった。

「あ」

ドン、と大きな音が鳴ると同時に夜空が明るく照らされる。打ち上げられた大きな花火は地上で見るよりも距離が近く、手を伸ばせば届きそうにも思えた。その名の通り大きな花のように広がるもの、空へと長く尾を引いて打ち上がるもの、散り際に星のようにまばゆく光るもの。大小色とりどりのそれは燃えるように夜の空に咲き、散っていく。それは輝く星よりも明るいとすら思えた。けれど次の瞬間には儚く消えて、空に残る煙だけが存在していた証だった。

たーまやー、と黄瀬が空に向かって声を掛け、食い物買えば良かったと青峰が溢す。これあげようかと懐からまいう棒を取り出した紫原に、青峰は素直に受け取ると袋を開けて食べ始めた。綺麗ですねと黒子は顔をほころばせて、無言で見入っていた緑間がしばらくして美しい、と呟いた。

「今日、来て良かったですね」

隣に座る黒子がそう言いながら赤司に向かって微笑んだ。思えば全員が一緒に暮らすようになってから祭りなどに行ったことはなく、今日のように格好まで整えて参加することは初めてだった。

「ああ」

良かったと、口にしなくとも伝わっているようだった。口元に笑みを浮かべたまま黒子は再び空を見上げる。
こうして全員揃って祭りに行くことも、花火を見ることも、残り数えるほどしかないのかもしれない。全てが目新しく満ち足りた毎日でさえ、目まぐるしく過ぎる日々の中でやがてそれは思い出になって、長い時間を構成するひとつの欠片になってしまうのかもしれない。それでもこうしてここに並んで夜空を眺める時間は存在している。今、確かなものとして。ひときわ大きな花火が連続で打ち上げられ、空一面にまばゆい光が溢れた。

「終わってしまったな」

名残惜しそうな緑間の声が響く。花火の終わりを告げるアナウンスが遠くで聞こえる。んー、と背を伸ばしながら黄瀬が立ち上がると、ねえねえ、と一団に声を掛けた。

「お参りしないっスか?この神社、このあたりの氏神様らしいし!」

「別にいいよー」

「ここに住んでだいぶ経ちますしね」

賽銭貸して、と青峰が当然のことのように緑間に向き直り、自分の金でないと意味がないのだよと言いながら緑間が財布を出す。小さい神社であるものの手入れは行き届いており、手と口を清めるべきだと緑間が手水舎へと誘導していく。賽銭を入れ黄瀬と黒子が鈴を鳴らすと、重く澄んだ音が響いた。二礼二拍手一礼と、事前に緑間が説明した通りに各々がうやうやしくお辞儀をする。その様子を横目でひそかに見つめる自分に気が付くと、まるで子供がちゃんと出来るか見守る親のようだと赤司は独り心で笑った。

「黄瀬涼太!ここに住んで一年ちょっと経ちます」

突然の大きな声に他の全員が閉じていた目を開ける。声の主は止まることなく喋り続けようとしていた。

「ちょっと黄瀬ちんどうしたの」

「え?だって神様に自己紹介した方がいいんでしょ?」

「いや、それは心の中でという意味なのだよ」

焦ったように緑間が訂正する。他に参拝客がいたら目立ってましたね、と黒子が驚いた顔で呟いた。だって願い事するなら口にした方がいいかと思って、と屈託のない笑顔で黄瀬は言うと、神殿に向き直して目を閉じた。

「来年も再来年もこうして皆でここに来れますように、花火もお祭りも初詣も一緒に過ごして、あとそれから」

「お前願い事多すぎだろ」

「声に出すと願い事って叶わないんじゃなかったー?」

「というかそれは僕たちに言うことじゃないですか」

横から次々と挟まれる口出しに、邪魔しないでほしいっスと黄瀬が困ったように声を上げた。けれど誰もが笑っていて、黄瀬の声もどこか嬉しそうなものに聞こえた。まったく、と隣で溜め息をついた緑間の口角は上がっている。同様に自分も微笑んでいることを赤司は自覚していた。

「そんじゃ帰るか」

「あっその前に出店寄らないっスか?久々に金魚すくいとかやりたいっス」

「射的なら得意だよー。あ、でもその前にりんご飴と焼きそば食べたい」

騒ぎながら階段を下りていく面々を眺めながら、今日は遣いすぎを注意しなくていいのかと赤司が尋ねる。祭りだからなと答える緑間は、それなりに今日という日を楽しんでいるようだった。

「緑間くんも焼きそばでいいですか?」

「俺はたこ焼きと決めている」

「えーじゃあ俺も食べようかなー」

「紫原っちすごいっスね!あーかき氷すごい列っスよ」

「俺ブルーハワイ。お前もだろ、テツ」

そうですね、と口にしながら黒子が赤司の方を振り返る。

「赤司くん、もう一度綿あめ食べますか?」

出店に挟まれた小道はオレンジ色の光に照らされて眩しいほどに明るい。先ほど仰いだ夜空の星とは違う、けれどそれと同じくらいに。遠くから祭り帰りの子供を眺めた憧憬が今、この場所と瞬間に重なり合う。手が届かないと思っていた場所と、今ここにある五人との時間と。代わりに願われた未来の約束と。


「ああ。そうするよ」

それじゃ行きましょう、と引かれる手にともなって下駄が小さく音を立てる。着いて来ていることを確認するかのようにこちらを振り返る五人の笑顔に、そのまばゆさに目を細めた。








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20170808
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