「いらっしゃい、敦」
部屋に入った瞬間、匂いがした。
室ちんの匂いだ。
何の匂いと言われたらはっきりとは例えられない。でも、室ちんのいい匂い。傍にいると分かる、いつもの。
「なんかいい匂いする」
「美味しいか分からないけど、お昼を作ってみたんだ。簡単なものばかりだけど」
「じゅーぶん」
誰かを招くときに手料理を用意する男子高校生なんて、他にいるだろうか。考えを巡らせてみると、黒ちんの隣にいる火神が浮かんだ。…なに、アメリカ流ってやつなの?
どうかしたの、と訪ねてくる室ちんに、なんでもないよと答えて部屋に入る。
ミートローフにスープにサラダ。
ドレッシングは何種類か作ってみたよ、なんて言いながら盛り付けてくれる。
「美味しい」
「そう?良かった」
いつもより良く食べてくれるね、と嬉しそうに笑う。
室ちんが作るものだから食べたくなるんだよ。とは、言わないけど。
室ちんは器用だから、練習なんてしなくてもこのくらい作れてしまうんだろうけど。
練習とかしたのかな、だとしたら、嬉しい反面。
「ねえ、他の奴にも食べさせたことあるの?」
「え?」
「室ちんの料理」
想像してみると、ちょっと嫌かも。
そう考えていたら、頭にそっと手が載せられた。
「ないよ」
「…ほんとー?」
「本当だよ」
口尖らせて、と笑いながらゆっくり撫でられる。
あ、また室ちんの匂い。
この手はずるい。
なだめるような、不満もすべて包み込んで消してしまうような。
「手ー食べていい?」
「何言ってるんだ」
半分本気なんだけど、と思いながら、敦は時々面白いことを言うね、と楽しそうに笑う室ちんを眺める。
「…続き食べる」
「ああ。冷めないうちにね」
あれはなんだったっけ。
いつか読んだいいひとの物語。
見返りを求めずに自分のすべてを与え続けた、ああ、銅像だったっけ。
室ちんも笑って与えてくれるんだろうな。
ぜんぶちょうだい、って言ったら、いいよ、って。
俺が室ちんに与えられるものはないかもしれないけど。
せめて、与えたいと思えるような人間でありたい。
「ごちそうさま」
「いいよ、俺が下げるから」
「ねー室ちん、膝枕して」
「膝枕?それじゃ片付けてから…」
「今」
色々やってくれるの、嬉しいけど。
室ちんが傍にいないんじゃ意味ないよ。
そう、聞こえないように呟いたつもりだったのに、どうやら耳に入っていたみたいで、そうか、と笑うような声が聞こえた。
「今日はありがとう」
「それは俺の台詞でしょー」
「いいや。来てくれて嬉しいんだよ、俺は」
話しながら、髪から首筋に、流れるように撫でる手つきは優しい。
そうやって、こっちに気を遣わせないようにしてくれるのは。室ちんの癖だ。
いつも我が儘言ってるのは俺なのに。許してくれてるのは室ちんなのに。
ありがとうって、本当は俺が、
いつも。
変わらないんだろうなあ、これからも。
敵わないんだろうなあ、これからも。
これからも、
(好きなんだろうなあ)
「敦?どうしたの」
「なんでもない」
分かってるんでしょ、と呟くと。
うん、なんとなくね。
そう言いながら髪を撫でられる手が気持ちよくて、そのまま目を閉じた。
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20170718