冬の朝陽は夕焼けに似ている。
そう思いながら眺める光はオレンジだった。限りなく朝陽に近い夕日の、淡い橙が窓から差し込んで白い壁を照らしていた。
もしこの窓がもっと大きかったら、もしくは角度が違えば、今浸かっているこの湯船もオレンジ色に染まるのだろうか。それはきっと綺麗だと、恐らく構造として難しい光景を想像してみる。
日中に湯船に浸かるのが好きだった。昼間ではなく、夕方の。電気を点けずに外の光が音もなく弱くなっていくのを感じるのが。もちろん普段の平日は学校に、多くの休日は部活に費やして、その機会は今日のような、たまにある部活の休みの時しか叶うことは出来なかった。
湯船の底に両手をつけて、膝を立たせて出来た隙間に顔を落とす。少し頑張ればこのまま潜ることができるだろうかと考える。やはりそれは難しく、背中を落として首からゆっくり沈んでいった。あごまで湯船に浸かって、そして、目を閉じる。静寂。落ちかけの光は少し感じられた。
お湯で圧迫された喉が小さく鳴る。水を飲んでいる訳ではないのに呼吸が苦しい。でも不思議とそれは嫌な感覚ではなくて、自分の肉体がお湯に溶け出していくような、一体になるような、静かな時間だった。
このまま肺の中まで水でいっぱいになればいい。それは、何かに似ていた。
『 』
遠くで何かが聞こえた。
ああ、これだ、
もっと、もっと沈んでしまいたい。
このまま息ができなくなるくらい。
「おい、黒子」
バン、と扉の開く音がして、ゆっくりと振り返ると隙間から彼の姿が覗いていた。
「…はい」
「はいじゃねぇよ、呼んでも返事ないから溺れたのかと思った」
「死んでませんよ」
ならいい、と背を向けたかと思いきや、すぐにこちらを振り返る。
「お前何してんの」
「溺れられるかと」
「は?」
「このまま息を止められたらと」
ああ、僕が肺を満たしたいのは水ではなく、空気でもなく。
君の呼吸、それで、窒息してしまいたい。
なんて、言えるはずもなく。
髪を拭きながらリビングに入ると、ソファに座りながら雑誌をめくる火神くんの姿が見えた。
「風邪引くなよ」
「はい」
彼は時々母親みたいな心配をする。
そう言ったら怒るだろうか。でも悪気ではなく本心で思うのだ。そして心配にも。他人に思われている以上に優しい彼が、神経をすり減らしてしまわないかと。
「死にませんよ」
「ん?」
「さっきの話です」
「ああ」
ソファに腰かけて身体をもたれると当たり前のように抱き寄せられて、そのままにしているとやがて抱き締められた。あったけー、と一言。何かを壊さないように、そんな柔らかさで。彼の身体はこんなにも固いのに、その仕草はいつも優しい。
「死ねませんよ、君の傍から離れるなんて」
できない。
目を閉じる。
静けさから心配して呼び掛けてくれた時のことを思い出す。どんな表情をしていたのだろう。想像してみるけれど、部活の練習中に慌てて駆け付けてきてくれるいつもの姿しか浮かばなかった。好きな光景。
ああ、あのとき目を開けていればよかった。その姿を焼き付けておきたかった。
僕はきっと、自分で思っている以上に欲張りだ。
「俺も無理だわ」
まるで実感するように呟く耳元の声は心地が良くて、このまま夜にならなければいいのにと思う。
「火神くん、明日、一緒に登校しませんか」
「?いいけど」
どこかで待ち合わせするか?と、身体を戻して首をかしげる、その両頬に手を添えた。
「いいです、ここから一緒に向かうので」
数秒沈黙のあと、はっ、と顔をくしゃくしゃにして笑う。
好きな表情。いや、嫌いな表情なんてないけれど。
「泊まっていっていいですか?」
「先にそっち言えよ。いいけど」
だって、黙っていても夜になってしまうのだ。
離れなければいけない夜に。
それなら、離れなければいい。
抱き留めてくれるのは分かっていたから、その身体に重さを預けた。
「このままじゃ夕飯作れねーんだけど」
「嫌ですか?」
「いや」
顔を上げる。
その一秒後に、僕は目を見開いて、そして嬉しさにまた目を閉じることとは知らずに。
「幸せってこういうこと言うんだな」
ああ、
「…困りましたね」
「何が?」
これだから。
「いいえ、」
これだから、僕は彼のことが好きで、
好きでたまらないのだ。
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20170611