懐かしい。
と、認めればそれは確かな感情として落ち着いてしまいそうな気がした。
「何とか言えよ」
頬に触れた手にあるのは青峰の温度だった。言葉にするとややおかしい表現かもしれない。けれどそれはあの頃いつも感じていたことだった。熱いも冷たいもそれを表すには合わない、呼ぶとするならそれは青峰の温度。ただ一つ確かなのは溶けるように同化するということだった。どんな季節であっても環境であっても。まるで触れ合う状態が当たり前みたいに、違和感など、なく。
その上に自分の手を重ねてみれば、目の前の手の持ち主は少しだけ驚いた素振りを見せた。どちらが体温が高いのか、考える間もなく同じ温度になる。同化する。青峰と同じに。
「赤司」
紡がれた三文字は耳を掠めて、そうしてまた静寂。同じように呼び返せばいいんだろうか。青峰と?それともあの頃数回だけ呼んでみせた下の名前で?変えない表情の下でこんな風に思考が巡っているなんて、奴はきっと気付いていない。
沈黙を了承と捉えたのか、ふいに青峰の顔が近付いてきた。予想出来る行為に、それが重なる瞬間歯を立てた。
「…ってぇ」
噛み付いた唇には少しだけ血が滲んでいた。立てた歯によって付いた傷。青峰は眉をしかめながら指でなぞると、不可解そうにその視線をこちらに向けた。
「てっめ……何すんだよ」
「単なる疑問だ」
「は?」
「この傷についてどう説明するんだろうと思ってな」
チームメイトにでも指摘されて、不意をつかれて口ごもる青峰を想像してみると笑いが込み上げた。切れた場所は口の端ではないから喧嘩と言っても理解され難いだろう。噛み付かれたと正直に言う訳はなく。仮に噛み付かれたと言うのなら、それならばどんな理由を付けるんだろう。思考は曖昧にぼやけた。なあ、小さな呼び掛けに青峰は顔を上げる。
「お前にとって僕はどんな立場になる?」
「あ?…ああ」
思い返せば恋人と呼んでいい、それなりの行動をとっていた。それでも間に流れているこのぎこちなさは、もはや過去の一部を共有していただけと言って等しい。
それなのに、今こうして、床に置いた手は重なったまま。
「青峰」
抱き着くようにして全体重を掛けると、想像していたよりもあっさりとその身体は倒れた。聞こえた鈍い音は背中をフローリングに打った音だろうが、痛みなど知ったことじゃない。そのまま馬乗りになってみればいつの間にかその腕は腰に回されていて、それもあの頃と同じだった。
「おい、撫で回すな」
「抱いて欲しけりゃそう言えよ」
「…馬鹿か」
組み敷いた青峰が笑う。屈んで唇を舐めると傷口に滲みたのか小さく呻き声を上げる。また顔をしかめるのかと思って見ていると、今度はそのまま首を引き寄せられて口付けられた。少しだけ血の味がする。
「大輝」
小さく目が見開かれたかと思うと、それはすぐに元に戻った。
「やっと呼んだな」
笑った顔も声も余裕ぶったものに思えた。それがなんだか悔しくてもう一度噛み付いてやろうとしたけれど、瞬間腕が掴まれてそれは叶わなかった。そのままゆっくりと反転する世界。見上げれば青峰と天井が見えた。
「もう一回呼べよ」
「…誰が言うか」
擦るようにして前髪を撫でながら青峰が小さく笑う。どうしたのかと見つめていれば目が合った。
「今日いつもより大人しくねぇ?」
「うるさいな」
答えながらその背中に腕を回してしまう辺り、持ち合わせている感情の名前は。言ってやるつもりはない、頬に添えられた手が、時間を感じさせない言葉が嬉しいだなんて。絶対に。認める代わりに開いた口は、青峰によってまた塞がれた。
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二人の復縁は、やり直そうとか愛してるだとか、絶対に言わないんじゃないかと思います。
20130310