「女の子みたい」
そう言いながら滑らせる、彼の指こそ異性のもののように思えた。決して華奢とは呼べない骨ばった、それなのにそう思わせる理由は、その仕草ひとつひとつが優しいからかもしれない。
「僕は男ですよ」
女の子みたいという言葉に、脳裏に浮かんだのは桃井さんだった。風になびく彼女のそれは確かに僕らとは違う柔らかさを持っていて、その美しさをもって価値をとらえた昔の風潮にも理解ができた。だからこそ余計に不可解さが増した。満足げに笑みを浮かべて僕の前髪を触る、彼の行動が。
「知ってるっスよ」
必要以上に気遣う指先はまるで壊すことを恐れているみたいに、力なく触れては離れてを繰り返す。
「君はおかしいですね」
「何が?」
「僕を好きなんて言って」
――不毛なのだよ。
低いあの人の声を思い出した。
言いもしていないのにまるで見透かすような声と目。そしてその通り彼は気が付いていた。もっとも目の前で髪を撫でる彼は自らの気持ちを繰り返し言葉にしていたから、気付くだとかそういう前提に持ち出せもしなかった。ただそれでも、決して表面に出していなかったはずの自分の感情もいつしか知られていた。
あの人の言う通りだと思う。理屈を組み立てれば彼の右に出る者はいない、だからごく自然に飲み込んだ。自分の感情を認めることはまるで、実をつけない植物を育てることみたいに思えた。
ふいに彼の顔が傾いた。ゆっくりと近付く影に、当たり前みたいに瞼を閉じる。そんな当たり前がおかしく思えた。おかしいのは彼以上に自分だと。
そしてそれは当たり前に、触れて、離れた。
目を開けると微笑む彼がいた。
綺麗だと、思った。
「あ、黒子っち。笑った」
「……え?」
向けられた言葉を脳内で噛み砕いている間に、目の前の彼はもっと嬉しそうに笑った。
笑ったつもりなんてなかった。
眩しいくらいの笑顔。数えきれないくらいの女性を虜にする笑顔を僕ただひとりに向けて勿体ない。そう思う、半面。
『二度と戻れなくていいなら』
あれは相談ではなかった。夕日が透けた後ろ姿の、彼の髪はいつもよりも朱かった。
『戻れなくていいのなら前を向けばいいさ、少しでも畏怖の感情が生まれたなら離れるべきだけどね』
中毒性に気付いたそのときにはもう手遅れなのだと、薄く笑みを浮かべながら。
同情もない笑顔でいつもよりも企みをはらんだ朱い目の、
「黄瀬くん」
「黒、 …」
塞いだ瞬間、重なった唇の隙間から彼の声が漏れた。
蓋をするみたいに角度を変えたら甘くて苦い味が舌を包んだ。
さっきまで彼が飲んでいたコーヒーの味だった、
苦さを中和しているはずの砂糖はいつまでたってもその味を残して、まるで弱さを隠しているみたいに。
口付けたまま彼の手首を掴むと小さく脈打った。馬乗りになって体重を掛けるとその身体はゆっくりと倒れて、組み敷いたその顔を覗くと少し驚いた彼と目が合った。
「…どうしたんスか?」
綺麗だと思った。
こんな綺麗な人が自分を好きだと言うのは嘘みたいだと思った、
なのに真っすぐ見上げる彼の目は限りなく透明に見えて、
『コカインのようなものだよ』
小説みたいな例えを口にしたあの人の顔を思い出した。朱い髪を揺らしながら笑う顔は問い掛けた。
『黒子はどうなりたい?』
あの時なんて答えたんだったかもう分からない、
それでももう構わない。
自分の身体を擦り寄せると呼吸が近くなった。
「僕だってこうしたい時くらいあります」
「珍しいっスね」
「嫌ですか」
「ううん、すごく嬉しい」
覆い被さりながら口付けると、彼はゆっくりと瞼を下ろした。当たり前の仕草。その当たり前に思うことは、認めざるを得ないのは、嬉しいという感情、例えおかしい常だと言われたとしても。
ああそうだ、
思い出した。
『それでも、』
「ソメイヨシノは綺麗ですから」
「…突然何の話っスか?」
「昔のことですよ」
「ふうん」
意味も分かっていないだろうに、ことのほか嬉しそうに、生まれて初めて触れたいと思った相手が目の前で、笑った。
何度目か分からないキスはさっきより味が薄れていた、
それでもまだコーヒーの味がした。
「普段からもっとしてくれればいいのに」
「いいから目、開けないでください」
本当は全てにキスしたいだなんて、言ったらきっと笑うから、きっと嬉しそうに笑うから、黙って頬に口付ける。また彼は目を開ける。
「あれ、口じゃないの?」
「そういう気分です」
「そっか」
これももういつも通りと呼んで良かった。また口付けながら交わす会話。どちらからともなく。
どうしてキスの瞬間目を閉じるんだろう。また開けるのに。どうして触れ合うだけで体温が上がるんだろう。上限なんてないみたいに。
分からないからまた口付けた。
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happy birthday Kuroko.
20130131