その日は朝から気温が高かった。

筋肉を冷やすため体育館に冷房を入れることはできない。

いつも以上に湿度が増し、体育館の温度は上がっていた。



「10分休憩!熱中症にならないように水分補給してねー」



カントクの声もいつも以上に遠く感じる。
恐らくこの中で一番体力のない僕は、すでに湿り気を帯びたタオルで汗をぬぐっていた。


「ごほっ」

「何だよ黒子、朝からずっと咳してんな」

「…してませ…けほっ」

「嘘つけ。夏風邪か?風邪引いてる場合じゃねーだろ」



答えるのもだるくて横目で彼を見やる。

彼が言う通りだ。今体調を崩している場合じゃない。
だからこそ余計に、言い返す言葉なんてなかった、どこにも。



「栄養のあるもん食えよ」

「…頑張ります」


正直、この暑いのに食欲は湧かない。


「休憩終了!こっちに集まってー」

「黒子、行くぞ」

「は…」



視界が一瞬まぶしく光った。
あれ、と思ったときにはもう、目に映る世界がぐにゃりと歪んでいた。






* * *






「…ん、」


目が覚めると、世界は真っ暗になっていた。

…なんてことはなく、視界を闇にしていたのは乗せられた濡れタオルで。

それを取ると、薄汚れた天井が見えた。瞼がひやりとして気持ちがいい。


「お、気付いたか」

「…火神くん」


消毒液の匂い。妙に青白いシーツの色。ここは保健室だ。


「先生は…けほっ…いないんですか」

「土曜だからな。開いてたから勝手に使ったけど」

「…ありがとうございます」

「お前体力ねーな」

「……はい」


ああ、また。

言い返す言葉なんて、ない。
僕はこの人を影で支えようとしているのに、支えるどころか、支えられている。

…情けない。



しばらく僕らは言葉を交わさなかった。

ただ、冷房の効いたひんやりした空間に、彼の息遣いと僕の咳込む声だけが響いていた。


彼のことだ、一秒でも早く体育館に戻って練習をしたいに違いない。


それなのに彼は黙ってただ座っている、腕を組みながら。珍しい。



表情は見えないけれど、いつものように不機嫌な顔をしているのだろうか。


「ああ、そういや、スポーツドリンク持ってきたんだけど」


こちらを振り返る顔は怒っても呆れてもいない。


「水のがいいのかもしんねーけど、塩分とかも必要なのかと思って…」



俺頭悪くて、よく分かんねーから。

そう言って頭を掻く。



「…ありがとうございます」

「飲むか?」

「はい……………っわ」


受け取ろうと起き上がった瞬間、またも世界がぐるりと廻った。

頭が重たくて、自分じゃなく世界が廻っているような、制御できない気持ち悪さ。

伸ばし損ねた腕は、飲み物の代わりに空を掴んで、
そのまま身体ごともつれて、大きなものにぶつかった。


『大きなもの』は、彼だった。


あ、今度はすこし、…呆れている。



「あーもうどうすりゃいいんだよ……」

「…すみま、っごほ…」


駄目だ。
まるで頭が固定されていないみたいだ。

頼りない、情けない、……自分が嫌になる。



「…大丈夫です、火神くん、戻ってもらって…」

「あほか。今戻ったら見殺しにしてるようなもんだ」

「……けほっ…」


大体このままほっといたらカントクたちになんて言われるか分かんねーよ、とか何とか、ぶつぶつ呟いている。

言葉とは裏腹に、僕の身体を全身で支えてくれながら。

彼の温度が伝わる、温かい。



そうだ、『あたたかいひと』。



そう思い始めたのはいつからだっただろうか?

カントクも、先輩たちも優しいけれど、それとは少し違う。



「おい」

「…はい?」

「喉渇いたか」

「…はい」


じゃあ、と続けて、彼は突然顔を背けた。

表情は見えないけれど耳元まで赤くなっているのが分かる。

どうしたんだろうかと考えていると。



「……あのな、…」

「はい」

「これはお前を助けるためであって、何の他意もないからな!」

「…?はい…」


息継ぎもせずに大声で言い切ると、彼はスポーツドリンクを飲み干して、



「っ!……ふ…」



スローモーションのようだった。


目の前が彼でいっぱいになった。


口内に甘い味が広がるのを感じて、それが一瞬の出来事だったのだと気付いた。




「…気持ち悪くて悪かった、でもお前動けねーから…」


ばつが悪そうに、また横を向いて。さっきと同じように、頬を赤く染めて。




「…ありがとうございます…ごほっ…」


僕も顔を背けた、

自分でも分かっていたからだ。頬の熱さに。



――――困った、


『何の他意もないからな』



…困った、

僕には感情が生まれてしまったみたいだ。



「…早く良くなれよ」

「…はい…」



互いに目は合わせなかった。

合わせ、られなかった。


まるでこの感情の呼び名を決めあぐねているかのように、
思考は視界と共にぐるぐる回った。


ぼやけていく意識の中で答えは出ていた、
まどろむ頭の片隅で、



頬を染めた意味が僕の想像するものでありますようにと、

…彼も同じ感情であれと、


願った、そのときに。


















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これは恋なのかと、気付いて、迷って、悩む、その葛藤がとっても好きです。

20120504


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