猫に叱られるお茶

帰宅して、私はすぐに冷蔵庫に直行した。
麦茶用のガラスポットの中には鮮やかな緑色のお茶が入っている。
海外旅行に行った友人から貰ったお土産のお茶。
英語表記はミルクグリーンティーだが、ミルクが入っている気配はまるでない。
出勤前に密かに仕込んだ、水出しのお茶をガラスのコップに注ぎ、わくわくしながら飲んでみた。
「………」
微妙な味に私は首を傾げた。



今朝早く、義父と義母ご揃って旅行に出かけたのを見計らって、そのお茶を開封したのだった。
パッケージの上からも匂う甘ったるいミルクの香り。
美味しそうではあるのだが、ここまで強烈だとお店で淹れる訳にはいかず家の台所を使うしかないけれど、嫁の立場は非常に弱い。
鬼の居ぬ間の何とやら。
義父の知り合いがやっているらしい温泉地の貸間に夫婦揃って1週間ほとんど逗留するこの時を逃したら、このお茶はきっと飲めずに終わってしまう。
──でも、一番うるさいのは。
「これ、何?」
後ろからすっと伸びた手が、麦茶用のガラスポットをひょいと手に取った。
……音も立てずに近づくな!
紅茶専門店『猫の杜』の店主であるダンナサマは商売柄お茶には非常にうるさい。
「お店は?」
自宅の一角のお店はまだ営業中の筈であるが。
「ちらっと裏に入ったっていいでしょう」
相変わらず女性客を魅了する容姿だが、女房にまで流し目をおくるのは恐らく嫌がらせだろう。
「お客様、待ってるわよ」
早く行け、と追い払うジェスチャーをすれば、今度は目の前のコップをかってに取り上げる。
一口飲んで、曰く。
「……まずい」
「そうでしょうとも」
「家族会議が必要だな、これは」
そう言ってお店に戻って行くのを見送りながら、私は盛大に溜息をついた。



「捨てなさい」
お店を閉めて、遅い夕食を摂った、直後。
ダンナサマは袋にまだ大量に入っている茶葉と、ガラスポットに沈んだ出涸らしを調べるなり、こう言い放った。
「ええーっ」
袋を掴んでゴミ箱に持って行こうとするのを慌てて止める。
「ちょっと待ってよ、まだ色々試してないんだから!」
「これは駄目」
「何で!」
「茶葉が明らかにおかしいから」
そう言って、女の私よりも綺麗な指で茶殻の1つを取り上げる。
「こんなビリジアンな色の茶葉はない」
「もしかしたら茶じゃなくて別の植物かも知れないでしょ?」
「着色料だろ間違いなく。元は紅茶。しかもダスト」
「うっそぉー。だったら何で茶葉全部が緑じゃないのよ?全部色つけた方が楽じゃない」
「これ以上着色してみろ、食べ物の色じゃなくなるどろ」
「……」
「大体、これはどういう店で買ったものなんだ」
「市場だって聞いたけど」
「市場?」
「東南アジアに行って街中を歩いていたら地元の人向けの市場があって、スパイスとかを売ってるお店があったんだって。そこで、ブラックティー買おうとしたら倍の値段でこのミルクグリーンティーが売ってて、面白そうだから私向きのお土産だろうと」
「……まるで動物実験だな」
「実験な筈ないでしょ、失礼ね。ちゃんとしたお店で売ってるお茶なんだから!」
しかし。
「とにかく、これは捨てなさい」
「もったいない。絶対嫌」
「捨てなさい」
「ええーっ。やだーっ」
「……じゃあ、これ、読める人探して」
「え?」
「これ。成分表示だろ」
指の先には、私達には全く読めない文字列と、アラビア数字と、『%』。何かが94%で、何かが5%だということが分かる。
……メンドクサイ。
私は不承不承、携帯を手にとった。




仰せの通りに写メを撮り、更に指示されたパッケージの下の方にある文字列も撮影し、買って来てくれた友人に解読を頼むメールを送る。
すると、間もなく返事が来た。
曰く。

『成分は、茶が94%、砂糖が5%』
『もう1つの写真の文章は淹れ方。スプーン1杯で1000ccの水かお湯で4ー6分間。好みに応じて、砂糖やミルクを入れると良い』

何だ、ミルクティーにすればいいのか、とはしゃぐ私の横で、ますます顔をしかめる人が約1名。
「……侑。残りの1%は何だと思う?」
「残り?」
「茶が94%で砂糖が5%だろ?足したら99にしかならない」
……あ。
「着色料と香料で決まりだな」
「そんなの書いてないでしょ?」
「じゃあこの1%は何だ」
「……」
「捨てるぞ」
「待ってよ!まだミルクティーにしてない!」
「やめとけ」
「嫌っ!飲むっ!」
「身体に悪いから捨てろ」
「1回くらい飲んだっていいでしょ!」
「侑」
「飲まなきゃ気がすまないもん」
「……」
数秒間の睨み合いの末、勝手にしろ、と言ってダンナサマは台所から出て行った。
ええ、勝手にしますとも。
ミルクティー、作らせて頂きますとも。
美味しく出来てもあげないんだから。



気楽に作ろうと、小鍋に水を入れて火にかける。
ぐつぐつ、と煮えてきたところにスプーン1杯の茶葉を入れて火を止め、水と同量の牛乳を加えて混ぜて、更に砂糖を少し加えて混ぜて。
……ううむ。変なお香のような匂いが。
茶葉そのままだと甘ったるい香りなのだが、淹れると何故かお香のような匂いが出て来る。
水出しでも少し香っていたが、お湯出しで更に強調された気がする。
そこで甘くして誤魔化すことにして、砂糖に手を伸ばしかけたが、冷蔵庫に練乳があることを思い出し手、加えてみる。
それでもピンと来ないので、大量に砂糖を投入して混ぜた。
最早、病気になりそうな甘さだが、味は丁度良くなり、茶漉しで濾してマグカップに注いだ。
やっと飲める味になったけれど、あまりの甘さにマグカップ1杯飲むのが精一杯。
一気飲みは不可能。
でも、飲み慣れれば大丈夫だ、きっと。
舌に残る強烈な甘さに耐えながら、頑張って明日も作ってみようと思った。




翌日の夜。
食後にまた、甘ったるくてお香のような匂いのするミルクグリーンティーを作る。
ブドウ糖が唯一の栄養な脳みそにはいい筈だ、と自分に言い聞かせる。
けれど。
……これ、捨てよう。
中身が半分くらい残ったマグカップを眺めて思った。
だって、この茶葉500g入ってて、ミルクティー1回作るのにスプーン1杯の茶葉しかいらないんだもの。
美味しいお茶って訳でもないし、作っても作っても減らないじゃないか。
つい、溜息が出る。
すると、不意に脇を通りかかった人が、飲みかけのカップをそっと手にとった。
「……甘い」
そうでしょうとも。
ダンナサマはカップを私の前に戻し、開封されたグリーンティーのパッケージを持ち上げた。
そのまま、ひょいとゴミ箱に放り込む。
「糖尿になる」
彼はそう呟いて、お店の閉店作業へと戻って行った。
……うう。
悔しいけど、ダンナサマの言う通りだ。
私はテーブルに突っ伏した。



夕食後。
ダンナサマが小鍋でアッサムの茶葉を煮ている。
傍には牛乳の紙パック。
ミルクティーを作ってくれているらしいのだが、おそらくこれは──対抗意識というか何というか、まあそういったものだろう。
お陰で台所にいい香りが漂う。
「侑、お前もう何でもかんでも貰って来るな」
「だってしょうがないじゃん、お土産なんだし」
「頼むから訳の分からないものは貰って来るな。せめて中身がどんなものなのか分かるものにしてくれないと」
「……」
言い返せない。
確かにそうなんだけど。
ただ、そう言われると反発したくなる訳で。
……ああもう、お義父さんお義母さん、早く帰ってきてよー。
義母が旅行に行く直前に、久々の夫婦水入らずを楽しんだらいいじゃない、などと自分のことは棚に上げて言ってたけれど、無理だ、最早。
きっとこのまま数日間、ダンナサマの説教で終わりだ。
で、この状況がお義母さんに知れたら、だから早く子供をつくれ、とかまた説教される。
……お義母さん、今度から私も旅行に連れてって下さい。私、コノヒトと2人で留守番は嫌です。
ムスッとして頬ずえをついていると、目の前にマグカップが置かれる。
中には目一杯注がれた暖かいミルクティー。
砂糖もスパイスも入っていない、紅茶と水と牛乳だけの煮出しミルクティー。
「飲まないの?」
「……飲む」
マグカップを手ですっぽり覆ってダンナサマが取り上げようとするのを阻止する。
……飲むに決まってるのに。ムカつく。
ふと顔を上げれば、目の前に座った人が口に手を当てている。
「……何?」
「いや、別に」
肩が震えてますけど。
「何で笑ってるの?」
「面白いから。侑が」
「どこがっ?!」
「いや……」
……何でそんなに笑うのよ!テーブルに突っ伏してまで笑うとこじゃないでしょ!
憤慨しつつ、ミルクティーに口をつけると程よく冷めて飲み易い温度になっていた。
口の中に紅茶と牛乳の甘みが広がる。
悔しいけれど、やっぱり美味しい。
「明日は唐揚げだから」
監視の目がないのをいいことに、会社へ持って行くお弁当をダンナサマに作らせているのを義母が知ったら呆れるに違いない。
……あとはおにぎりと漬物か。
きっと朝御飯も作ってくれるだろう、などと考えながら、私は笑って頷いた。





(終わり)

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