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「え、やんないの?」
永野君の言葉に、麟太郎が笑った。
「絶対嫌だってごねた奴がいてね」
「だってあんなの見せしめとか見世物以外の何物でもないじゃない!」
私が頬杖をつくと、麟太郎がお冷やを目の前に置いた。
「……この人、本当に女性なのか疑うだろ」
「普通は女の方が挙げたがるもんだよな」
「うちの親が、せめて2人だけでも近くの神社に行って来いって説得して、何とかそれは承諾したんだけどさ」
「それだけか」
「それだけ」
「金、かからねえな」
「指輪もこの人嫌いだから。100円ショップでいいって言うし」
「あり得ねえ……しかも100円の指輪じゃあ3日でなくすんじゃないの?」
永野君が天を仰いだ。
……なくさないわよ。
私はお腹の中で悪態をついた。
「それで身1つでこの家に入るんだろ?」
麟太郎が頷くと、尚も言葉を続ける。
「いいなあ、金かかんなくて。外食もラーメンでいい訳だし」
「そうそう」
……うるさいな。
つい、横を向いていると、目の前にリンが紅茶を置いてくれた。
カップから立ち上るマスカットフレーバー。
典型的な、農園もののダージリンの香り。
……あんなに言っても出さなかったのに。
一口すすってみると、繊細でトロリと甘いのが口に広がり、香りは鼻に抜けて行った。
身体にじんわりと染み渡って行く。
春摘みの青さや夏摘みの何処か尖った処が抜け、まあるくなった秋摘みのダージリン。
歳をとるってこんな感じなのかも知れない。
「委員長っ、結婚を考え直すなら今の内だぞ」
「何で考え直さなきゃならないのよ」
「こんな、人の反応見て喜んでる奴なんかと一緒になったら不幸になるの決定だろ」
「人を何だと思ってるんだ」
麟太郎が苦笑したのを見て、私は言った。
「……まあ、永野君の言うことにも一理あるかも」
「だろう?」
「でもねえ、どっちかって言うと、このやり取りを見てるあの人の目の方が怖いんだよね」
「ああ、分かる分かる。俺も時々殺されるって思う」
「でしょう? まだ私、死にたくないから」
麟太郎は私達のやり取りに苦笑いしながら、他のお客の応対に行った。



閉店間際。
お客は私1人。
麟太郎はお店の外の片付けを終え、今度はお店の中を片付けている。
私は文庫本を読みながら、仕事が終わるのをじっと待つ。
いつもの週末を迎える為に。
この家に引越してしまったら、きっと営業時間内に客席に座ることは出来なくなる。
この指定席にいられるのは、あと少し。
「寂しいなあ」
そんなことを思って呟くと、麟太郎が言った。
「何が」
「お客としては此処にいられるのがあと少しだから」
「どうせ夜だし、普通に其処に座ってれば問題ないだろ」
常連さんは皆知ってるんだから、と言葉を続ける。
「それはそうだけど」
「いないと俺が落ち着かない」
「そうかなあ」
そう言いながらも、ちょっと嬉しかったりする。
顔がにやけるのが抑えられない。
「鯵、まだあったっけ」
「リンが使うと思って、今朝、冷蔵庫に移した」
今夜の御飯はあっさりとした和食、らしい。
「出汁も一応今朝とって冷蔵庫にしまってあるし、冷凍御飯も残ってる」
「他には?」
「お豆腐は昨日買ったし、納豆と、漬物と、あとホウレン草は昨日茹でたやつがあって……そのくらいかな、すぐに使える奴は」
まるで朝食のような献立になりそうだと笑うと、麟太郎も笑った。
「閉店時間だな」
そう言って、お店の外の灯かりを消して。
また後片付けに精を出す。
私はまた文庫本に目を戻した。
あとは、ぽん、と肩を叩かれるのを待つだけ。
「行こう」
そう言われるのを待つべく、私は文庫本の頁をめくった。
本の中で、探偵が事件を解決するのが先か。
麟太郎の笑顔を見るのが先か。
ほんの少し、わくわくしながら。
私はお冷やのグラスをカウンターの上に置いた。



「侑、行こう」



私は横に立ったその人を見上げた。
笑みを浮かべて、立ち上がる。
店の入口から出て、外で待つ。
まもなく、麟太郎がいつもの鞄を持って、家の玄関から出て来た。
自然と指が絡んで、手が繋がる。
そっと身を寄せると、目の前を梅の花弁が掠めて行く。
「ダージリン、ありがとう」
そう囁くと、どういたしまして、という言葉が耳元に降って来た。
そして。
今日も、また。
所々街灯が灯り、家々の灯りが照らすコンクリートの道を。
一緒に、ゆっくりと歩いて行ったのだった。




(終わり)







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