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「それは人格の違いって奴?」
「アナタがタラシなだけでしょう」
「失礼ね。何処かのお店のマスターと違って、私は節操なしじゃありません」
「お前が節操なしじゃなかったら、俺なんか仙人だと思うけど」
「仙人? 千人斬りの間違いじゃないの?」
近くの席の常連さんが、肩を震わせて笑っている。
私は会話を切り上げ、顔見知りの常連さん達に、頂き物のチョコレートのお裾分けを始めた。
途中、マスターにはあげないの、と突っ込まれたが。
「面倒くさいんで」
と、一言で片付けた。
こっそりカウンターの方を見たら、麟太郎は笑っていた。
上手く誤魔化せた、と私はほっと肩をなでおろした。



それから暫く、バレンタインのことが話題になることはなかった。
私は仕事が忙しくなり、尚且つ、引越しのことで頭が一杯だった。
独り暮らしを始めたのは大学を出てからだが、最早趣味とまで言われる程、私は引越しが好きである。
とは言うものの、《猫の杜》のせいで、いつも引越しは業者に呆れられる程、近い所ばかり。
それでも定期的に、引越したくて堪らなくなる、ヤドカリ病が発症する訳で、そろそろ引っ越そうかなあ、と思い始めていたのだった。
しかし今回ネックなのは……《猫の杜》、なのである。
今のアパートが《猫の杜》に一番行き易い場所にあるのだ。
引越すなら、更に行き易いアパートにしたい。
が。
そんな物件はない。
毎日《猫の杜》の前を通って会社にも買い物にも行ける、そんな住まい。
一応、近くの不動産屋を覗いたり探して貰ったりはしているのだが。
閉店間際のお店のカウンターで溜息をついていると、看板等を店の中に取り込んで、すっかり閉店の準備を整えた麟太郎が言った。
「また病気か」
毎年のことなので、マスターもお見通しである。
「春だからね」
「今年くらい、2年目に突入してみたら」
「えー? 飽きたー」
私が空のカップを脇に置いて頬杖をつくと、苦笑いをして、カウンターから出て来てお冷やのお代わりを注いでくれる。
「今のアパート、便利でいいと思うけど」
「確かにね〜。駅もスーパーもコンビニも此処も近いしね〜」
「ふうん」
麟太郎はカウンターの中に戻った。
「便利な所がいい?」
「そりゃあそうでしょ。駅もスーパーもコンビニもこの店も楽に行けるのが最重要事項でしょ?」
「ふうん」
麟太郎は私の正面に来て、言った。


「うち、来れば?」



幻聴かと思った。
固まってしまって、声が出ない。
「……え?」
暫くして、やっとのことで聞き返す。
「だから、うちに来れば?」
麟太郎は私に構わず、言葉を続けた。
「うちは今の侑のアパートよりもずっと駅やスーパーやコンビニに近いけど」
「それはそうだけど……」
ちょっと待て。
これは一体どういう意味だ?
考えられる選択肢は、2つばかり思い浮かぶけれど。
……まさか。
「下宿人募集中?」
一応、片方の選択肢を尋ねてみると、麟太郎は心底嫌そうな顔をした。
「どうしてそういう答えが返って来る訳?」
「いや、あの」
……何故、怒る?
怒るってことは。
まさか。
「あの……間違ってたらごめんなさい、つまり……それは、柳行李1つ、とか?」
勇気を出して、顔を上げて、聞いてみたが。
……うわあっ、どうしよう!
顰面が、無表情に変わっている。
なまじ顔立ちが整っているだけに、恐ろしさは3倍増しだ。
……うわあ、やっちゃった!
げに恐ろしきは勘違い。
背中に嫌な汗が流れる。
私は出入り禁止になるんじゃなかろうか。
こうなったら、謝るしかない。
「ご、ごめんなさいっ! 今のなかったことにして!」
申し訳ないっ、と手を合わせて、目を瞑り、拝み倒す。
「……」
麟太郎、無言。
体感温度は零下50度。
このまま凍死するんじゃないかと思われた。
身体はカチコチに固まっている。
すると。
何やら、吹き出すような音が聞こえた。
反射的に目を開けて、顔を上げてみれば。
「あっはっはっは……っ!」
普段のクールな麟太郎は何処へやら。
声を上げて笑っている。
「今時、荷物が柳行李1つな訳はないだろ」
「……え?」
私がポカンとしていると、麟太郎は笑いながら言った。
「バレンタインに、『面倒くさい』なんて言われたから。お返しだよ」
「ひっどおい!」
「泣きそうな顔してるし」




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