2

立っている子供の前に座っていたお兄さんがすっと立ち上がり、子供に席を譲った。
「あ、すぐ降りますから」
お父さんがお兄さんに言ったのだが、お兄さんは「俺もすぐなんで」と言い、子供に向かって笑いかけた。
「すみません」
お父さんは頭を下げ、子供にお礼を言うように言い、子供は小さな声でお兄さんにお礼を言った。
……あ。
子供の前に立つお父さんのくたびれたような顔。
もしかして、お父さんの方が疲れてるんじゃないだろうか。
隣に座っていた私は気の毒になり、立ち上がった。
「あの……どうぞ」
すると。
余程疲れていたのだろう、お父さんは素直に「すみません」と言って座った。
心なしか、車内の空気が和らいだ気がした。
席を譲るなんて、以前、相手に断られてから滅多にしていない。
……譲って良かった。
私も、何となく気分が良くなった。
――更に、数分後。
お年寄りが乗って来た。
すると、お父さんは網棚に大きな荷物を上げて、子供を膝の上に乗せ、目の前のお年寄りに声をかけた。
「此処、どうぞ」
「どうもすみません」
お年寄りは子供が座っていた場所に腰を下ろした。
譲る、連鎖。
何と心地良いものだろう。
普段、なかなかこんなにスムーズに席を譲り合う光景は見られない。
……私だけかも知れないけど。
そして。
お互い、降りて行く度に有難うございました、という言葉が飛び交った。
何だか……嬉しい。
乗った車両の一角に、たまたま優しい人達が集まっただけなのかも知れないけれど。
私も其処に加われたのだろうか。
このことを、誰かに話したい。
美弥ちゃんとか夏奈ちゃんとか須美ちゃんとか。
――狩野君、とか。
鞄の中の携帯を取り出し、電源を入れようとして――やめる。
……話したいけど、別件の話は嫌だ。
すぐにまた鞄に放り込んだ。



珍しく途中下車をした。
定期があるって素晴らしい。
各駅停車しかとまらない駅。
駅前にはお店が並んでいるが、其処を通り過ぎ、住宅地との境目くらいに存在する小さなカフェ。
狩野君とは絶対一緒に行かないと決めているお店だ。
誰も知らない、私の逃げ場になっている場所。
古ぼけた木の看板には《紅茶専門店 猫の杜》とある。
そっとドアを開けると、いらっしゃいませ、と涼やかな声が奥から聞こえて来た。
「お久しぶりです」
マスターがにっこり笑って迎えてくれた。
本当に顔を覚えているのかは分からない。
でも、「お久しぶり」なのは確かだ。
いつもこの人の顔に一瞬見とれてしまう。
綺麗という言葉はこの人の為にあるのかも知れない。
お店の中を見回してみると、常連らしき何処ぞの奥様方が一角を占拠しているが、幸い、私がいつも座る2人がけの席は空いていた。
その席に腰を落ち着けると、美形のマスターがメニューを持って来てくれた。
……甘いものが食べたいなあ。
何となくそう思い、シフォンケーキとミルクティーを注文した。
「畏まりました」
マスターはメニューを持ってカウンターに戻って行く。
……奥さん、どんな人なんだろう。
マスターの結婚は結構ショックだった。
私を含め、彼を目当てに通っていた女性客は多い筈だ。
聞いた話によれば、奥さんはそんな女性客の中の1人だとか。
美人、なんだろうなあ……きっと。
マスターと並んだら絵になるような。
夜、閉店間際によくお店にいるらしいけれど、私は大概昼間に行くので、お会いする機会はないような気もする。
……でも、見てみたい。
「お待たせしました」
シフォンケーキとミルクティーが運ばれて来た。
シフォンケーキにはホイップとジャムとミントの葉が添えられている。
ミルクティーは、大きなカップになみなみと入っている。
何でも、紅茶の葉をミルクで煮出して作るのだそうだ。
角砂糖を1つだけ落として、スプーンでかき混ぜる。
熱々の状態で提供されるので砂糖はよく溶けるのだが、猫舌気味の私はすぐには飲めない。
お茶をかき回しながら、暫し冷めるのを待つ。
「本当にお久しぶりですね」
涼やかな声が降って来た。
顔を上げると、お冷やのサービスに行って来たらしいマスターが目の前に立っていた。
「彼氏でも出来ましたか」
「え、ええと……」
咄嗟に言葉を返せずにいると、マスターが笑った。
「以前と雰囲気が変わったなと思ったんですよ」
「え?」
いや、あの、と私がしどろもどろになっていると、マスターは微笑みを浮かべて、カウンターに戻って行った。
……千里眼でも持っているのだろうか。
というか、滅多に行かない私のことを何で覚えているのだろう。
不思議だ。
だからと言って、わざわざ「マスター私のこと覚えてるんですか?!」とは聞けない。
そんな度胸はない。
――大人しくケーキとお茶を味わうことにした。
ゆっくりとケーキを食べ、お茶を飲む。
胃袋も心も満たされるのに肩が凝るのは何故だろう。



[ 26/28 ]

[*prev] [next#]
[目次]
[しおりを挟む]



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -