マロンの憂鬱




 くい、と引っ張られて私は元の道に戻った。
 ユウリちゃんの気配がしたと思ったのに。
 思っていても、彰子さんはこういう「余計なこと」には付き合ってはくれない。
 仕方ないので、彰子さんについて歩くことにした。
 かさかさと私と彰子さんが歩く度に、道の上に敷きつめられた枯れ葉が音を立てた。
 彰子さんは嬉しそうに足取り軽く歩いて行く。落ち葉の上を歩くのが好きなのだそうだ。私は…別に何とも思わないけど。芝生の上じゃないし。
「今日は、会えるかなあ」
 彰子さんが、小さく呟いた。
 いつも、このくらいの時間に恵比寿ガーデンプレイスの前で会う大きな男の人。リュウノスケっていう奴と歩いてる人。私はこいつが苦手。だってしつこいんだもの。だから、一緒にいるあの人もあんまり好きじゃない。
だけど。
 彰子さん、あの人に会えるのをいつも楽しみにしてる。
 会えないと、がっかりして、一日中沈んでいたりする。
 会えた日は、その日一日スキップしてるような勢いだ。
 あの人の前ではそんな素振り全然見せないのに。
 全く。同居人のくせに面倒ったらありゃしない。名前も未だに聞けないんだから。
 私はふと顔を上げた。
 今日は…いるわ。あの人とリュウノスケ。
 私には分かる。
 彰子さんは…まだ気付いてない。
 でも流石にガーデンプレイスが見えてきたら姿が確認出来たらしくて、彰子さんは走り出した。私も釣られて走った。
「お早うございます!」
 彰子さんが声をかけると、あの人も、お早うございます、と返してくれた。
 オハヨウ、オハヨウ、とリュウノスケがにっこり笑って私に話しかけてくる。
 オハヨウ…と一応返す。
『良い天気だねっ』
『…そうね』
『一昨日、僕達、車で旅行に行ったんだ〜♪ オンセンって所。楽しかったよ。昨日帰ってきたんだ〜』
 オンセンって…ハコネかなあ。まあいいや。旅行に行ってたのか。だから昨日はいなかったんだわ。
 彰子さんは…というと。
「…そうでしたか。それでいらっしゃらなかったんですね。で、どちらの温泉に?」
「箱根です。いつも行く、ペットOKな所がありまして、そちらにこいつと一緒に泊まりまして」
「そんなお宿があるんですか。知らなかった〜。マロンも行く? 温泉!」
 はい?!
 何で私に振るのぉ?!
 ダシに使われるのは嫌だけど、一応尻尾は振ってあげた。
「じゃあ、今度、調べて行こうね」
 …あのね。
 何で、其処で目の前のこの人に場所を聞かないのよ?!
 あわよくば一緒に行けるかも知れないでしょ?!
 全く、世話の焼ける…っ。
 その時。
 目の前の人のジーンズの後ろポケットの携帯電話が鳴り出した。
 ええい、イチかバチか!
 私は、その人が携帯に手を伸ばす前に、飛び上がってストラップをくわえて携帯を奪った。
「マロン!!」
 彰子さんが怒鳴ったが、私は無視して携帯をこの人の前に持って行った。
 その人は、びっくりした顔をしたが、すぐにしゃがんで手を出したので、私は手の上に携帯を置いて尻尾を振った。
 携帯の音が止んだ。
 その人は、しゃがんだままで、笑って私に話しかけた。
「有難う。電話を取ってくれたんだね」
 そうして、私の頭を撫でてくれた。
「すみません。ごめんなさい」
 彰子さんは本当に済まなそうな顔で頭を下げた。
「いいんですよ。メールですし、マロンちゃんは電話を取ってくれただけですから」
 そうよ、と私も彰子さんに向かって尻尾を振った。彰子さんは嫌そうな顔をしたけど、私は無視した。
「今度、一緒に行きませんか。マロンちゃんも一緒に」
「えっ…」
「実は、うちの龍之介がマロンちゃんのことを気に入っているみたいなんですよ」
 私は嫌だけどね。
「だから、あなたとマロンちゃんが来てくれると、楽しいと思ったんですよ。…嫌、ですか?」
「い、いいえっ。そんなことありません。それに、うちのマロンも喜びますっ」
 何ですって?!
 下心あるのはアンタでしょ?!
 何でこーゆー時に私をダシに使うのよっ!!
 はっと前を見ると、リュウノスケがにこにこ笑って、
『僕も、マロンちゃんと行きたいなあ〜、オンセン』
 むかむか。
 上を見ると、何やら和やかに話してるし。
 いいわよっ。私が我慢すればいいんでしょ。ジャーキーで手を打ってあげるわっ。
「そう言えば…聞いていなかったわ」
彰子さんは、呟いた。
「何を、ですか」
「私は原田彰子って言います。あなたの名前は…、何と仰るんですか」
 あっ、と目の前の人が苦笑いして言った。
「僕は、鈴木祐介です。そう言えば、犬の名前はお互い知っていても、人間の方は知りませんでしたね」
 そうですね、と彰子さんもくすくす笑った。
『僕はスズキ リュウノスケ』
 知ってるわよっ!
 全くしつこいったら。
 私は溜め息をついた。
 面倒くさいなあ。
 しょうがないか。この際。
 私は顔を上げて、にこやかに言った。
『私はハラダ マロン』







(終わり)





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