猫にはプリン





 街路樹の葉も色づき、いよいよ秋も深まって来た、或る日。
 いつものように混沌のお方の三毛猫がふらりとやって来て、縁側から座敷に上がって一鳴きした。
 また我が家の三毛猫のぬいぐるみの所に遊びに来たなと思っていたのだが。
「あの……」
 縁側から遠慮がちな声が聞こえた。
 あの方の側近のナナさんが其処にいた。
「先日電話した件なの、ですが」
 ……ああ。
 祭があるのだという話だった。
 何処ぞの学園祭なのだそうだ。
 飲み会は強制参加で拉致されたのだが、祭は強制参加で決定事項――って前回と同じじゃないか!
 ううっ。
 とにかく、今回は大がかりなので、ナナさんはこうして前もって説明をしに来て下さっているという訳だ。
「問題は最終日なの、です」
 スタッフ用の極秘資料を見ながら、ナナさんは言った。
「ワルシャワ・フィルハーモニーの伴奏で、別の方とコンビを組んでアニメの歌を沢山歌うの、です」
「へ?」
「この前の飲み会で酔って踊っていたのが目にとまったらしいの、です」
 ……ワタシ、ソンナキオクアリマセーン。
 勿論、拒否権なんかないけど。
「曲目はこんな感じで、楽譜は此処に全て用意してあるの、です。振付は或る筋にお願いしてビデオに収めたので、リハーサルまでに覚えるの、です」
「えええええっ?!」
 無茶言うなっ!
「衣装は向こうに用意してあるの、です。アイドルになりきるのがポイントなの、です」
「えええええっ?!」
「それから」
「まだ何かっ?」
「ステージとリハーサル以外の時間、貴方を野放しにしておくのは非常に危険なので――」
「どーゆー意味ですかっ!」
「ミルクホールで女給の仕事、します。ミルクホールは初日から最終日まであるの、です」
 ……もおやだ。
「それから貴方の場合、体型にも非常に問題があると考えられるので――」
「いらんこと言うなっ!」
「学園祭の3日前に迎えに来るの、です。選りすぐりのエステシャンが混沌仕様の特別な方法でステージ衣装が着られるように体型を作り直す、のです」
 他に、ステージのリハーサルとミルクホールの顔合わせや打ち合わせもあるらしい。
「ぬいぐるみも連れて来るの、です」
 ……嗚呼、今回は絶対平和には終わらない。
 この時点でそれは決定だった。




 数日後。
 祖母のお古の縞のアンサンブルを纏い、帽子と手袋を身につけた私は、約束通り迎えに来てくれたナナさんと共に駅に行き、ホームに停車していた蒸気機関車に乗り込んだ。
 荷物は小さな風呂敷包みとこれまた小さなキャリーケース。
 それと、猫モドキの収納兼寝床用のエルメスの紙袋。
 いや、片仮名で大きく『エルメス』と書いてある紙袋。
 本物だと格好がつくのだが、これでは誰が見ても吹き出すこと間違いない。
 これを持って行くのは本当に嫌なのだが、猫モドキの最近のお気に入りだから仕方ない。
 列車の振動に思わずうとうとしていたら、いつの間にか眠ってしまっていた。
 ナナさんに起こされて列車を降り、駅に止まっていた車に乗り込む。
 穏和な感じの赤い髪の男性が運転手を務めている。
 ……何処かでお会いしたような?
 私は人の顔を覚えるのが苦手だ。
「今日は大学ではなく別の所に行くの、です」
 ……へ?
「廃校になった小学校を最近改装したので、貴方の宿舎兼トレーニングに提供するの、です」
 ……何やら嫌な予感がするのですが。
「大丈夫なの、です。ベッドは保健室にありますし、家庭科室には調理器具と食材が用意してあるの、です」
 ……給食室じゃないんですか。
「何なら理科室でもいいの、です」
 ……もっと嫌だ!



 宿舎っていうか元小学校、に到着すると、来校者入口でにゃあ助が待っていた。
 運転手さんは荷物を保健室に運んで下さるとのことで此処で別れ、我々はスリッパに履き替えて目の前の階段を上がって行った。
 階段を上った先にあるのは音楽室。
 いつの間にか追いついていた運転手さんが、楽譜を渡して下さった。
 ナナさんが言った。
「此処からはお1人で」
 ……へ?
「一緒にステージに上がられる方は、元合唱部で今回の曲目はお得意なものばかりなの、です」
 ……はあ。つまり私は此処で特訓を受けろ、と。
「歌唱指導は一流の先生にお願いしたの、です」
 ……行って来ます。
 ガラガラと旧式な木製の引き戸を開けると、其処には体格のいい、人好きのする笑顔の女性がピアノの前で待っていた。
「ワルシャワ・フィルハーモニーの伴奏で歌われる方ですね?」
 ……そう、みたいです。
 宜しくお願いします、と挨拶をした途端、彼女の顔つきが変わった。
 ……いやあの、その。
「発声練習の前にまずは貴方はストレッチから致しましょう」

「ぎゃあああっ!!」

 ──思い出したくもない。
 か、歌唱指導なんか嫌いだっ!



 へとへとになった私をナナさん1人が廊下で待っていてくれた。
「次のスケジュールは――」
「まだあるんですかっ!」
「理科室なの、です」
 階段を降り、廊下を行くと理科室があった。
 2匹は先回りして待っていたようだ。
「これもステージに上がる為には必須なの、です」
 ……何故理科室?
「きもの体型ではステージ衣装は着られません」
 ……はあ。
「着られたとしても、見られたものでは――」
「やかましいっ!」
 ……だったら選ぶなっ!
「では、逝って来て下さい」
 ……字が違ーうっ!
 私は引き戸を開けた。
「お待ちしていました」
「体型改造の方ですね?」
 優しそうな看護師さんみたいな人が2人、微笑みを浮かべて私を待っていた。

「ぎゃああああっ! 痛い痛い痛いっ!」

 ──お、思い出したくもない。



 よろよろになった私を待っていたナナさんは、私の襟首をつかんで廊下を引き摺って行く。
 ……えーん。
「彼らは体型改造のスペシャリストです」
 ……そうでしょうとも。
「理科室の人体模型と全く同じに作ってくれるの、です」
 ……正確には、あれはデパートのマネキンだけどね。
「次は家庭科室なの、です」
 ……今度は何ですか。
「ミルクホールの女給の特訓なの、です」
 ……もう休みたいよう。
「簡単な調理も必要なの、です」
 ……私の得意料理はレトルトの解凍とカップ麺です。
「それでは手伝いが出来ないので、昔女中だったという方に指導して頂くの、です」
 そう言ってナナさんはドアを開けて、ぽいっと部屋の中に放り込んだ。

「ぎゃあああっ!!」

 ……だからあっ、思い出したくないんだってば!
 皿なんか、皿なんか落としてないんだからねっ!



 この後。
 体育館の一角でダンスの特訓を受け、立ち上がれなくなった頃、ようやく今日のスケジュールが終了したとかで、保健室に帰されたのだった。
 ……学園祭まで生存出来るだろうか。
 私は不安に襲われた。





 学園祭初日。
 私は疲れから自力では起きられない状態だったが、寝て過ごすことなど許される訳もなく、猫モドキに起こされて身支度を整え始めた。
 ナナさんにお願いして調理室から給食室に変えて貰った(朝から階段なんか上りたくない!)自炊部屋で丼飯と味噌汁と漬物を食べる。
 ぬいぐるみにも同じものを食べさせると、炊飯器はすっかり空になった。
 今日はミルクホールのお手伝いとステージのリハーサル。
 此処での特訓はもうないのが有難い。
 車が迎えに来たので、風呂敷と紙袋を持って乗り込む。
 今日は運転手さんだけ。
 ナナさんもにゃあ助も忙しいのだろう、きっと。
 吉田南構内で下ろして貰って、準備に忙しいスタッフを横目で見ながら、ミルクホールに向かって走り抜けて行く。
「おはようございますっ!」
 入口で声をかけると、先に来ていたスタッフが、念入りに客席を整えていた。
 奥の厨房にも美味しそうな匂いが漂う。
 控室に荷物を置いて、私も早速お手伝いを開始した。



 リハーサルを無事に終えてミルクホールに戻ると、責任者の方が言った。
「休憩して来て下さい」
 お客も一段落したし、色々見てきたら、とのこと。
 ……やったあ!
 風呂敷と紙袋を持ってお店を出る。
 もしかしたら噂の『偏屈王』が見られるかも知れない。
 基本的に私は野次馬気質だ。
 事務局は困っているらしいが、楽しければいいのである。
 へんくつおーのひと、へんくつおーのひと、へんくつおーのひとどこにいる、と歌いながら校舎の中を歩いていると。
 ……美味しそうな匂いがする!
 匂いにつられて廊下を行けば。
 ……炬燵?
 階段の踊り場に炬燵があって、その上にはコンロと鍋が乗っかっている。
 炬燵には3人。
 女性が1人と男性が2人。
 じーっと見ていたら、今朝もお会いした赤い髪の運転手さんが炬燵に近づいて行き、まもなく女性と男性1人が何処かへと消えた。
 残ったのはもじゃもじゃ頭の男性1人。
「そんな所で突っ立ってないで、こちらで鍋でもどうですか」
 美味しいですよ、と言われて、ふらふらと炬燵に入ってしまった。
「その格好、ミルクホールの方ですね? しかも本来のスタッフではなく臨時のお手伝いと見ましたが」
 ……その通りです。
 何で知ってるんだろう?
 男性は私の疑問には答えず、まあどうぞ、と鍋を勧めた。
 白菜がいい具合に溶け、白身の魚もふっくらと、実に美味しそうな鍋だ。
 紙袋が暴れ出したので、ぬいぐるみをひょいと表に出してやる。
「おや。動くぬいぐるみですか」
 ……ええ、まあ。
 奴は男性に気に入られたようで、小皿に魚や野菜を取り分けて貰って、冷めるのを待っている。
 その間にも私は箸を動かす。
「何で、階段なんかで鍋やってるんですか?」
 そう尋ねると、色々あるんですよ、という答えが返って来た。
 ……ふうん。
 何だかよく分からないが、何処かの教室を追い出されたのかも知れない。
 さっきまで炬燵にいた男性と女性も変だったけれど、この人も、あの運転手さんも不思議な人だ。
 ……何者だろう。
 でも、昼食がおにぎり1つだったので、この時間炬燵で鍋は嬉しかった。
 ……あの、えーと、幾ら払えば。
「お代はいりませんよ」
 ……えー、だって食べ尽くしましたし。
 すると、男性はにっこりと笑った。
「このぬいぐるみと会えただけで十分ですよ」
 みー、と嬉しそうに奴は鳴いた。
 それからというもの。
 私は、休憩時間になると猫モドキと共に鍋の食べられる炬燵を探して歩き回った。
 ……だってあちこち移動するんだもん、あの鍋屋さん。





 最終練習。
 ちゃんと衣装を着て、もう1人の方と怖い振付の先生や歌の先生と体型改造のお姉さん達に睨まれ――いやいや見守られながら、通しで歌って踊る。
 ……そこはかとなく目が怖いです、先生方。
 オーケストラは当日、時間の関係でちらっとしか合わせられない。
 あちこち筋肉痛だったり疲労困憊だったり結構ギリギリだが、あの鍋のお陰で乗り切った。
 明日は宜しくお願いします、と挨拶をして、着替えて部屋を出ると、運転手さんが待っていた。
 ……この人、本当に何者だろう。
 あの方の関係者なのだろうとは思う。
 でも、みんな変なのだ。
 あの方が事務局に詰めて怪しげなものを片っ端から叩きのめしているのはともかく(しかもメイドさんを従えてるし)、武者姿の人とか忍者みたいな人とか褌の人が走り回っていたり、あちこちで小さな戦闘が繰り広げられていたりしていて、いよいよ合戦でも始まるのかといった感じなのだ。
 ミルクホールのお客から仕入れた情報によれば、混沌のお方と敵対する勢力との争いらしいのだが、不思議なのは、敵対する勢力の中にナナさんやにゃあ助、『偏屈王』にまつわる人々、更に鍋屋さん(本当は韋駄天コタツと言うらしい)まで入っているということ。
 ってことは、運転手さんも敵対する勢力なのだろうか。
 何だかよく分からない。
 ……ま、いいか。
 私は明日のステージと、お店の仕事を全うすればいい訳だし。
 あとは、鍋屋さんでまた鍋を食べられればいうことはない。
 車に乗り込むと、急に睡魔が襲って来た。






 そして迎えた最終日。
 ミルクホールで少し仕事をしかてら、ステージのリハーサル。
 ……うわあ〜生のオーケストラって凄い!
 音の厚みとか迫力に感動。
 テンションが上がる。
 やる気出た!
 こっそり覗けば、グラウンドにはお客がいっぱい。
 何だかわくわくする。
 そのままの状態で、いよいよ本番。
 勢いよくステージに駆け出して行った。



 テンションの高いままステージをおりて、一緒に歌った方や先生達に御挨拶をしてから、袴に着替えてミルクホールに戻る。
 ……ん? 地響き?
 入口で振り返ると、男子学生の集団がこちらに突進して来る。
 ……これは大変!
「多数の男子学生がこちらに向かって突撃しています!」
そう叫んで厨房に入って行くと、其処にいた女性スタッフ 2人が見つめ合っている。
 手まで握って。
 ……。
 思わず、見なかったことにして、仕事に取りかかった。



 山程の男子学生を捌いて一息つくと、私は休憩となった。
 校舎を歩いていたら、また鍋屋さんに出くわした。
「あー、ですから鍋屋ではなく、韋駄天コタツ、です」
 ……鍋ばっかりじゃないですか。
「いやその」
 口ごもる男性を尻目に、私と猫モドキは当然のように豆乳鍋を頂いている。
 ……そういえば、あの女性とナントカ番長さんはどうしたんですか?
「あー、ちょっと用があって席を外してるんです」
 ……私がいる時はいつもいないんだよな。
 嫌われてるのかなあ。
「いえいえ、たまたま貴方が来る時に用事があるってだけですよ」
 ……だといいけど。
 それにしても。
 鍋屋さんにはよく出くわすのに、『偏屈王』の公演がいつも見られないのは何故なんだろう。
「大丈夫です。僕も見たことないですから」
 ……あ、仲間ですね!
 そうですね、と男性は微笑み、傍らにある包みを持ち上げた。
「宗家彗星舎の地獄極楽プリンを手に入れたんですが、召し上がりますか?」
 ……いいんですか?
「丁度2つありますから、ぬいぐるみと一緒にどうぞ」
 遠慮なく頂いた。
 ……これはお土産にしよう。
 明日の夜には帰るのだから。
 忘れないように懐に入れた。



 豆乳鍋を完食し、私はミルクホールに戻るべく炬燵を出た。
 ぬいぐるみの入った紙袋を持ち上げると、男性が言った。
「あー、外は物騒ですから、色々気をつけて下さいね」
 ……大丈夫ですよ。鎧武者さんとか褌さんとか、一般の人には乱暴は働きませんから。
 そう言ったのに、男性は尚も心配そうな顔をした。
 私は初日からずっと鍋を御馳走になっていたことの礼を言い、ミルクホールで分けて貰ったレオニダスのチョコレートを渡した。
 いつもいない女性と男性、そして目の前のこの人の分。
「いやあ、どうもすみません」
 男性は照れたように笑い、別れ際にこう言った。
「困った時にはプリンです」



 建物を出ると、其処では戦闘が繰り広げられていた。
人が入り乱れ、色んなものが飛んでいる。
 ……さすがに此処からは出られないか。
 私は別の出入口を探した。
 隅の方に非常口を見つけて、周りを見回しながらそっと外に出る。
 ……こっち側は大丈夫。
 戦闘を避けながら、ミルクホールに向かって走っていたら、ひゅん、と何かが横切った。
 驚きのあまり、足が止まる。
 ……にゃあ助?
 普段のにゃあ助ではない。
 久し振り、と声をかけられるような感じではない。
 何というか、とっても危険だ。
 ……やばい。
 にゃあ助の足が地面を蹴るのを見た瞬間、私は一か八か横に飛んだ。
 運よく攻撃を避けられたので、紙袋から急いでぬいぐるみを取り出した。
 ……反撃よ反撃!

 みーみー。

 にゃあにゃあ。

 ……へ?
 不穏な空気。
 もしかしてこいつら裏で繋がってる、とか?
 最悪の事態を予測した時、足元のぬいぐるみがくるりとこちらを振り返った。
 プラスチックの目がきらりと光る。
 ……ああっ、やっぱり!
 にゃあ助がゆっくりと背後に回る。
 逃げようにも、怪しげな集団がこちらに向かって来る。
 動けない。
 どうしよう、やられる!

「困った時にはプリンです」

 そうだ、プリン!
 くっそー、こんなにいいプリンなのにっ!
 思い切って地獄極楽プリンを地面に放り投げると、2匹はプリンに食いついた。
 その隙に、私は全速力でその場から逃げ出した。



 ……はあ。
 ミルクホールのスタッフ用荷物置場でへたり込んでいると、別のスタッフが珈琲を持って来てくれた。
 彼女は言った。
「外の騒ぎも沈静化したみたいですよ」
 カップを持ったまま恐る恐る窓の外を見たら、至って普通の学園祭に戻っていた。
 ……いや、ただの学生に見えない人が沢山混じっているあたり、普通じゃないか。
 私もだけど、と呟いて、空のカップを流しに持って行く。
 サボっていた分を取り返さなくては。
 洗い場やります!と宣言して襷をかけ、山と積まれた皿やカップと格闘を始めた。
 洗って、すすいで、拭いて。
 食器を片付けている側からお客に提供する為に食器が消えて行く。
 だから、名前を呼ばれたことにも気づかなかった。
「ココロさんてば! ミルヒアイス様がいらしてるわよ!」
 ……ミルクアイス?
 別のスタッフにがくがくと身体を揺さぶられて、名前を呼ばれたことに気がついたけれど。
 知り合いにはいない、よなあ、ミルクアイス。
「ココロさんっ! しっかりしてっ! 霧のミルヒアイス様だってばっ!」
 何だ、ミルクアイスじゃないのか。
 ミルヒアイス。
 ミルヒアイス?
 ……ミ、ミルヒアイスっ!?
 確かその名前は、あの方の側近中の側近……!
 ちょっと待てっ、私は何かしでかしたのかっ?! いや、何もしてないぞ?!
「ミルクアイスって言ったー」
 ……間違えたんだもん!
 わざとじゃないもん!
「ええ、確かに聞こえました」
 ……え?
 ふと横を見ると、長身で赤い髪の運転手さんがいた。
 ……運転手さん、どうして此処に?
「運転手っ?! ココロさんっ、貴方まさか霧のお方に送迎させてたのっ?!」
 ……え、だってこの人。

 えええええっ?!

 ……ミルヒアイス、さん?
「はい」
 血の気が引いた。
 最早柔和な笑顔など視界に入れられず、私は台の上に突っ伏した。
 ……嘘だ、こんなの。
 穴があったら入りたい。
 ナナさんどうして教えてくれなかったんですか!
「ああ、実は絹屋市からプリンを預かって来たんです。多分使ってしまって食べられなかっただろうから、と」
 ……絹屋市?
「貴方に分かるように言うと、鍋屋さん、です」
 鍋屋さん!
 ……あの方、き、絹屋市先生だったんですか。
 脱力。
 再起不能。
 固まってしまった私の前で、いーなあ私もプリン食べたーい、ミルヒアイス様に送ってもらいたーい、等と黄色い声が飛び交っていたようだが、脳味噌が情報を拒絶した。
 ……ははは。
 何処かで烏が鳴いているような気がした。



 翌日の夜。
 ネコバス超特急便で自宅に送られた私は、その日から3日間ほど寝込んでしまい、夢と現をさまよった。
 緊急に家の手伝いに来てくれた紺ちゃん曰く、枕元には猫モドキと見舞いに来た本物の猫がちょこんと座っていたという。








(終わり)








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