エイプリルフール
嘘のような、本当の話。
4月1日。
月が変わると同時に、冬の気配は消え失せた。
朝起きるのが辛くない代わりに、いつまでも眠くてだるいと身体が訴えている。
見上げれば雲が殆どない青空。
太陽が眩しい。
視界を元に戻せば黒と茶と紺と白ばかりで、今日の空とは全く対照的でまるで曇りの日のように澱んでいる。
(みんな疲れているのかも知れない)
彼女はそんなことを思いながら、駅の階段を上って行く。
通勤風景の中にまだ学生が混じっていないので、電車はそれほど混んではいない。
昨日と同じように、快速列車に乗る。一番後ろの車両。2つ目の駅で各駅停車に乗り換え。
それが、彼女のパターン。
少しでも早く会社に着きたい為、最初から各駅停車の列車には乗らない。
電車の中ではいつもゲーム。アプリを起動させて、ひたすら携帯の画面を凝視する。右側のドアに張りついていれば乗換駅で降り損ねることもない。
『只今、数分程度の遅れをもって運転しております。お急ぎのところ、誠に申し訳ございません』
頭上から車掌の声が聞こえる。
多少の遅れは仕方ない。
事故や車両交換や急病人や振替輸送、といった特別なことがなくても、通勤時間帯は電車が遅れることもある。
その為に余裕をもって家を出ている彼女には何の問題もない。
何の問題もない筈、だった。
『次のS駅ですが、左側の扉が開きます』
珍しい、と彼女は思った。
普段は右側。きっと電車の遅れに関係があるに違いない。
数分後、乗換駅のホームを電車が捉えると、再び注意を促す車掌のアナウンスがあり、普段と違うホームに列車は滑り込んで行く。
運転士や車掌には落ち度があるとは思えないのに、何故かまた車掌による電車の遅れに対する謝罪があり、緩やかに電車は止まった。
(あ、出て来た)
ずっと狙っていたアイテム。ゲットしたとなればテンションも上がるし、即、使ってみたくなる。
(嬉しい)
カクン、と車両が揺れた。その振動に、思わず顔を上げた。
景色が動いている。
(あれ?)
何故、動いているのだろう。
『この電車は快速N行きです。S駅を5分遅れで発車致しました。お急ぎのところ、大変申し訳ありません。次は――』
(ええっ!?)
彼女は思わず扉に貼りついた。
走行中の電車の扉が開く訳はない。無情にも、景色は普段より早く流れて行く。
数分後には職場の最寄駅にさしかかった。
(お、降ろしてっ!)
勿論、降りられる訳はない。
顔面蒼白。
遅刻決定。
慌ててアプリを閉じ、メール作成画面に切り替える。
『S駅で快速列車を降りそびれてしまいました。20分程遅れます』
こんなメール、上司に送りたくなどないけれど、致し方ない。
送信してまもなく、上司からの返信が届いた。
『分かりました。くれぐれも慌てずに来て下さい』
上司の吹き出している顔が目に浮かぶ。先輩や同僚はそれを聞いて爆笑するに違いない。
(1ヶ月はみんなにこのことをいじられる)
彼女は溜息をついた。
次の停車駅に着くと同時に階段を駆け上がり、反対側のホームに猛ダッシュして、丁度来た電車に飛び乗った。乗車率の低い下り電車では悠々と座って行ける。
息を整えて、窓に映る景色を眺めた。
(そうだ、今日はエイプリルフールだ)
まさに4月馬鹿だと自嘲しつつ、これが嘘だったらいいのにと思う。
1年で一度、嘘が許される日。
けれど、ゲームに夢中になって電車を降り忘れて遅刻、というのは間違いなく事実だし、時間は元には戻らないのだ。
(やっちゃったものはしょうがないし)
彼女は覚悟を決めて、会社の最寄駅に到着するのをじっと待った。
電車が減速して駅のホームに滑り込むのと同時に立ち上がり、開く扉の前に立つ。
完全に止まると、すっと扉が開く。
彼女は勢いよく階段に向かって駆け出して行った。
(終わり)
※リアルに(ほぼ)事実です。
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