配信者とリスナーの夜






 宿毛さんは、いつも、穏やかだ。



 普段は会社員だというその人は、黒髪にメタルフレームの眼鏡をかけ、いつも穏やかな笑みを浮かべて、画面の向こうに座っている。
『あ、あさりさん、こんばんは』
 深夜一時。私の打ったコメントを見つけるや否や、ほんの少し、身を乗り出して挨拶してくれる。
 配信アプリの中では、私は三国紗里(みくに・さり)ではなく、あさり、だ。「あさり」は何人かの配信者の枠に出没するが、大体どこに行っても、あさり「ちゃん」だ。しかし、宿毛(すくも)さんの枠ではいつもあさり「さん」と呼ばれており、宿毛さんはどのリスナー対しても常に丁寧な言葉を崩すことはない。
 宿毛さんの枠の常連さんたちはわりと早い時間に来て、午前零時を過ぎた頃から少しずついなくなっていく。私は、大体常連さんがいなくなった頃に出没して、宿毛さんが配信をやめる午前二時までずっと聞いている。
『今日も仕事だったんですよね』
 コメントが載るまでにはほんの少しのタイムラグがあるので、私はいつも急いでスマホを操作する。
「はい。疲れました……」
『今日も缶チューハイ飲んでるんですか』
「酔っ払ってます」
 宿毛さんはふふっと笑った。いつものやりとりである。この時間、リスナーが私一人ということはまずないが、この時間は潜っていてコメントしない人が多く、よって、宿毛さんの独り言かもしくは私との会話ばかりが繰り広げられることになる。
「昼休みに職場の人たちと散歩したんですけど、桜が綺麗でした」
『お花見したんですね、いいなあ。僕はずっと会社の中にいたので……今年もあんまり桜見てないですね……』
 宿毛さんの仕事が何なのかは知らない。でもきっと、ハードなのだろうと思う。
 私は別端末を操作してアイコンを変えた。昼間撮った桜並木。宿毛さんに今日見た桜を見せたくなったのだ。
「アイコン変えてきました」
『あ……綺麗ですね……結構満開……』
 ついでに、桜のエフェクトが出るギフトを投げておく。
『あ、あさりさん!ギフトありがとうございます』
 宿毛さんは、この配信アプリの中の「推し」だ。
 芸能人ではないし、普通の会社員で素人だけど、私にとっては「推し」。推しの為ならギフトも投げる。……大した額ではない。宿毛枠の常連さんの中には桁違いの高額のギフトを投げる人もいる。だから私はギフトボードで下位の方だと思う。
「ささやかですけと、お花見どうぞ」
『ありがとうございます』
 エフェクトは、ほんの数秒だけ。けれど、せめてものお花見を楽しんでもらおうとちらっと思ったのである。
(他のリスナーさん、とっくに投げてるだろうけど)
『この桜のエフェクト、綺麗ですよね』
 わりと好きなんです、と宿毛さんは微笑んだ。
(嗚呼……何て素敵な笑顔なんだろう)
 穏やかで、ふんわりとした、優しい顔。
 宿毛さんは、イケメンの部類だ。普通にしていても間違いなくイケメンだ。しかも、私得なことに、眼鏡男子だ。多分モテる。きっとモテる。
(彼女とか、いるんだろうなあ……)
 彼女がいなかったことなんか、ないだろう。これだけ容姿が良くて、穏やかで、隠しきれない頭の良さ。女が放っておく訳なんかない。
 そんな人が、なんの取り柄もない私と、一時間近く喋ってくれるのだ。それほど若くもない、頭も切れる訳ではない、容姿も人並みより少し劣ると言われるような、この私と。
 宿毛さんからしたら、私が女性なのは知っているが、年齢も容姿も分からない状態で、ひたすら私の打つコメントと話しているのだろうと思う……が、それで良かったと思う。アイコンはスーパーで買った「アサリ」の画像にしている。顔なんか出せる訳がない。
 とりあえず。宿毛さんが微笑む度に、私は黙ってスクリーンショットを撮っている。スマホの画像ファイルは宿毛さんの顔であふれかえっているが、止められない。
「宿毛さん今日もイケメンですね」
『ありがとうございます』
「宿毛さんは、今日、何かあったんですか?」
『ひたすら仕事だけしていました』
「お弁当は持っていったんですか?」
『海苔弁作って持っていきました。今日も蓋に海苔が貼りついていました』
 私は「海苔弁あるあるですねw」と返した。
 宿毛さんは、お弁当男子でもある。とはいっても、凝ったものを作っている訳ではない。大体海苔弁かおにぎり、おかずがある日は野菜炒め、くらいな感じ、らしい。でも私からしたら、毎日作って持っていくだけでも偉いと思う。万が一宿毛さんが私に海苔弁を作ってくれたら、私はこの配信アプリで最も大きなギフトを投げることだろう。
「でも海苔弁、美味しそうです」
『今日は二段にしたのでいつもより美味しかったです』
「二段……!」
 宿毛さんが、お弁当用に使っているタッパーに二階建ての海苔弁を作っているところを想像しただけで顔がにやけてくる。
 嗚呼。宿毛さんの住処を知っていたら、何処かで素敵なお弁当箱を仕入れてきて送りつけるのに。私は宿毛さんが都内在住者であることは知っていても、何処に住んでいるのかを知らない。多分、私だけではなく、宿毛さんの枠の人達は皆、宿毛さんの生活圏を知らない。
『あさりさんは、今日のお昼は何だったんですか?』
「一蘭です」
『ラーメンですか。美味しいですよね、一蘭。替え玉はしたんですか?』
「ダイエットしようと思って、替え玉は控えました」
 そうですか、と宿毛さんはふふっと笑った。
 宿毛さんと違って、残念ながら私には家事の才能は一切ない。最も不得意な料理に至っては壊滅状態で、御飯を炊飯器で炊くくらいしかできない。
(あと、カップラーメンとインスタント味噌汁は作れるけど……)
 それは、世間一般で料理としては見なされることはない。
「ちなみに、夕飯は千切りキャベツにドレッシングかけただけです」
『あさりさん、もう少し何か食べた方がよくないですか』
「勤務中にお菓子食べすぎたので大丈夫です」
『あれ、ダイエットとか言ってませんでしたっけ』
「なので、キャベツだけにしました」
『いつも思いますけど、あさりさんて極端ですよね』
 ……宿毛さんほどじゃない、と個人的には思う。




 いつも通りの、穏やかな夜。
 潜って聞いてる(見てる)人はいたとしても、コメントするのは私だけの、深夜。
『──さて。そろそろ二時になりますね』
「そうですね。今日もお疲れさまでした」
『あさりさんも、お疲れさまです。あ、そうだ、』
「何ですか?」
『あさりさん、インスタやってませんでしたっけ?』
(インスタ?)
「はい、インスタやってます」
 でも、インスタはカフェとか行った時の写真を載せているだけで、フォローもお店とかしかしていない。
『僕、ツイッターとインスタやってるんですけど、よければ繋がりませんか?』
(え?)
 どうしよう。推しと繋がるとか……?!いいのかそれは。
『配信の予定とか、こっちでも載せてはいるんですけど、SNSの方が使い勝手がいいこともあって、ついこっちでお知らせを入れるのを忘れてしまうんですよね……』
 あさりさんさえよければ、なんですけど……と宿毛さんは微笑んだ。
「承知しました!名前とかIDはここと同じですか?」
『はい、ここのIDで検索すれば出てくると思います』
「私、名前違うのと非公開垢なので……後でフォローしたらメッセージ入れますね」
『よろしくお願いします』
 まもなく、宿毛さんは配信を切り、私はインスタを開いて検索した。
(……宿毛さんだ……)
 テーブルの上に置いてある眼鏡のアイコン。それは、配信アプリでのアイコンと同じだった。一旦開いて確認してから、フォローして、メッセージを入れる。
「あさりです。
 今日も配信お疲れさまでした。
 こちらでもよろしくお願いいたします」
 すると、たちまち既読がついて、宿毛さんからフォロー申請が来た。すぐに許可をする。
『宿毛です。
 あさりさん、繋がってくださってありがとうございます。こちらでもよろしくお願いいたします。
 おやすみなさい』



 私はその夜、幸せな気持ちで、スマホを抱きしめて眠った。





(終わり)




 

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