プルメリア
顔を出したらクリーム色の天井が見えた。
(情けない)
今頃は優雅な川下りに行っている筈だったのに、自分ひとりがホテルの部屋で寝ている羽目になっているのがみんなに申し訳なかった。
(どうしてこんなに弱いの)
佳澄(かすみ)はまた布団をかぶった。
友達5人と海外旅行。
それはツアコン役の南(みなみ)が言い出したことだった。
卒業旅行は是非とも皆で南の国に行きたい、と。
最初、各々は海外行きを渋った。言葉、水や食べ物、健康面、安全面、経済面の心配。けれど、南の説得で次々に意見を翻した。
佳澄は昔から集団旅行には苦手意識があった。小・中・高と修学旅行では乗り物酔い等の体調不良で必ず養護教諭の世話になる程であった。
身体の弱さに家族も呆れ果て、家族で旅行というのも殆どない。
だから、友人には無理だと告げた。しかし。
『箱根は大丈夫だったじゃない』
あれは日帰りだったからだ、と言っても理解されることはなく。
『大丈夫、大丈夫』
そればかり言われていると何となく大丈夫に思えて来るものだ。もう10代ではないのだから。もしかしたら何事もなく大丈夫かも知れない。
そんな期待を抱いて空港に向かい、皆と飛行機に乗り、タクシーに乗り、ホテルに入り、食事に行った。大丈夫。何もない。
翌日は他のグループと一緒にガイドに連れられて伝統的な寺院を見に行き、足のマッサージを受け、ビュッフェスタイルの昼食をとった。
死ぬほど暑い国だと思ったが、身体には特に不具合はなかった。
『佳澄、大丈夫じゃん』
南に言われて本当に大丈夫だと思えた。
――が。大丈夫だったのはそこまでだった。
ああちょっと下しかけてるかも、と思った直後、タクシーの匂いにやられてあっさり乗り物酔い。
ホテルに戻り、買い物に行くという友人達を見送り、薬を飲んでベッドメイキングが終わった綺麗なベッドでひとり横になる。
大したことはない。トイレにもそんなにお世話にはならないし。
でも皆と出かけられるだけの元気はない。
(修学旅行と同じ)
あの時も宿舎にいられるだけいて、何処か見学しなければならない時は養護教諭とベンチに座っていただけ。病院に行く程ではないけれど、皆と街歩きは出来なかった。
(どうしてこんなに弱いんだろう)
今日は付き添いの先生もいない。友人にいてもらう訳にもいかないし、ひとりで部屋で大人しくしているしかないのだ。
夕食もひとり部屋で摂った。勇気を振り絞ってひとりで近くのコンビニに行き、インスタントのお粥と水とヨーグルトを買って済ませた。友人達はレストランに行っている。おそらく鍋物を皆で食しているに違いない。
(明日は水上マーケット見学か)
無理だろう、おそらく。
部屋のテレビを見る気力もない。
『ほら、MTV見られるっぽいよ』
南はそう言っていたが。
(かと言ってNHKとか他のチャンネル見たいとも思わないし)
ケータイはネットが繋がらず、アプリくらいしか使えない。音楽を聴きたいとも思えず、ダウンロードした電子書籍も読みたくない。紙のガイドブックなんか勿論見たくない。
お茶は飲んだばかりだし、あとは寝るしかない。
(帰りたい)
旅行はもう嫌だ、と思った。他人に迷惑ばかりかけて。どうしてこんなに駄目なんだろう、と。
ホテルに帰って来た友人達は口々に佳澄の身体の心配をしつつ、買い物の成果やレストランでの小さな事件について話してくれた。楽しかったようで、今度は一緒に行こうね、等と言ってもくれた。
明日の水上マーケットも朝かなり早いので佳澄は大事をとってホテルに残ることになった。
「佳澄、身体良くなったらマッサージ行って来なよ。だいぶすっきりすると思うよ」
南は言った。
ホテルにもスパはあるが、ホテルの外にあるお店の方が安いらしい。
「ホテルの周りにいっぱいあるしさ。多少だったら日本語分かると思うし」
足のマッサージの他に全身マッサージもあるらしい。
「えー、でも怖くない? 全身の、ってあれでしょ、のけぞったりする奴でしょ」
ガイドブックに載っていた伝統的な全身マッサージの写真を思い出して佳澄は顔をしかめた。あれは痛いんじゃないかと思う。
「でもハーブの奴、佳澄駄目でしょ、きっと」
「うーん」
ガイドブックによれば、ハーブ・ボールを身体に当てるマッサージもあるらしいのだが。
「刺激、強いかも知れないしね」
「そうだねえ……」
身体の弱さに加え、敏感肌の佳澄である。写真にあるようなハーブの固まりに布を巻きつけたハーブ・ボールを身体に当てるのはのけぞるのよりもずっと怖い。
「伝統的なマッサージって2時間あるらしいね」
「1時間でいいよ〜」
「えー、どうせなら2時間みっちりやって来なよ。面白そうだし」
「無理だよ、痛そうじゃん」
「悪いとこ治るかもよ」
「逆に痛めるかも知れないでしょ」
「やんなよ、2時間」
翌朝。友人達を寝床で見送り、遅くに起きて、佳澄はホテルのレストランに出かけた。
朝食のビュッフェは人がまばらだったが、食べ物はまだ残っていた。身体はだいぶ良くなっていたので、汁ビーフンと野菜系の辛そうでないおかず、ヨーグルト、フルーツと紅茶という朝食を摂った。
その後ロビーで部屋から持って来た本を読み、暫くぼんやりしてから覚悟を決めて立ち上がった。
(外は暑いなあ、本当に)
ホテルを出て、通りを歩き出すとすぐに何軒もマッサージ屋が見つかった。
(何処に入ればいいんだろう)
店は開いているようだが客引きもおらず、何処も閑散としている。店に入るのが怖くてつい素通りしてスターバックスに入ってしまった。自分の度胸のなさと優柔不断さに溜息をつく。
其処で30分程時間を潰し、またホテルまでの道をのんびり歩く。相変わらずマッサージ屋の前はことごとく閑散としている、と思っていたら。
(いた)
或る店の前に黄色のポロシャツを着た女性が座っていた。手にはメニュー表とおぼしき紙が1枚。佳澄がその店の前で立ち止まると女性は即寄って来た。
(日本語)
メニュー表には英語と日本語の表記。これなら佳澄でもすぐ分かる。メニューの一番上に、Tradisiomal Massageの表示。
(2時間、300バーツ)
レートによれば日本円にして大体900円程。
『やりなよ、2時間』
どうせ時間は空いている。
佳澄が指をさすと女性はにっこり笑い、確認の為に尋ねて来た。
「2hours?」
その言葉に佳澄は頷いた。
店に入ると椅子に腰かけるよう言われ、女性はすぐにお湯が入った桶を持って来た。足のマッサージと同じで、まず足を洗うらしい。
100円ショップで売っていそうな小さなブラシで彼女は佳澄の足を洗い始めた。
洗い終わると店の奥に案内された。薄暗い階段を上ると同じくらい暗い廊下があり、カーテン等で仕切られた小さな部屋にシンプルながら清潔そうな枕やシーツが敷かれたマットレスがある。
マッサージ用の衣服に着替え、いよいよマッサージ。最初は足を念入りに。しつこいくらい揉み解しが続く。基本的には気持ちが良くて、つい眠りそうになってしまうのだが。
「……たい、痛い!」
「Oh、soft、soft」
(何処がソフトなんだこの痛さ!)
痛い、ということは何処か悪いんだろうか。そんなことを考えつつ、佳澄はまたうとうとと眠りに入って行くのだった。
半分眠っているうちに、揉み解しは上半身に移り、いつの間にか写真の痛そうなポーズをとらされたりしていたのだが。
「――Ok、finish」
終わったらしい。
お礼を言うと、マッサージ師は部屋を出て行った。佳澄が自分の服に着替えたのを見計らって彼女は戻って来た。案内されるまま薄暗い中を歩き出す。
部屋を出ようと一歩外に出たところで、何故か足が宙に浮いた。
(あれ? 床は?)
「――きゃあああっ!」
廊下の段差をすっかり忘れていた。マッサージ師が佳澄の腕を支えながら笑っている。
その後、ゆっくりと傾斜のきつい階段を降りて、また椅子に座るよう言われた。素直に腰かけると彼女が温かいお茶を持って来た。
(烏龍茶かな)
お茶を飲みながら周りを見渡すと、近くで欧米系の男性2人が足のマッサージを受けていた。
(足の時は全く痛くなかったんだけどな。全身のはちょっと痛かったなあ)
殆ど眠っていたくせに、そんなことを思う。
お茶を飲み終わるとマッサージ師が料金の徴収に来た。きっちり300バーツ。更に佳澄は彼女に2時間のお礼を込めて100バーツのチップを渡した。
(まあいいよね。多いけど。20バーツとか50バーツとか財布になかったし)
送られて店の外に出ると、更に暑くなっていた。
(うわあ……早く部屋に戻ろう)
その前にコンビニで昼食を調達しないといけない。
(あ、ホテルのケーキ屋さんでパンかケーキ買おうかな。コンビニよりも断然美味しそうだったし)
皆と一緒に水上マーケットには行けなくても、ひとりで楽しむ術はある。
佳澄はホテルに戻ると、ロビー脇のケーキ屋に足を向けた。そして、ケーキが美しく並んだショーケースを覗き込み、じっくりと品定めを始めたのだった。
(終わり)
[ 7/10 ][*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]