ペルソナ


 玄関で物音がしたと思ったら、扉が開いた。
「また寝てるの」
 部屋に入って来るなり彼女は言った。
「……眠い」
 電気カーペットの上は実に快適だ。ぬくぬくと暖かくて、毛布があれば昼寝には絶好の場所となる。
 だから家にいる時は始終眠ってしまうのは仕方ないことなのだ。多分。
「赤ちゃんみたいね」
 半分眠った状態で毛布をかぶって横になっているのを見てそう呟くと、彼女は食材の入ったビニール袋を持ったまま台所に消えた。



「御飯出来たよ」
 反射的に身じろぎして、のそのそと起き上がる。
「ほら、いつまで寝てるの」
 自分のせいだとはいえ、これではまるで母親と息子だ。友人からは、このままいったら近いうちに愛想をつかされると言われるのも無理はない。
 分かっている。分かっているけどやめられない。――電気カーペットがある限り。
 身を起こして脇を見れば、湯気をたてている味噌汁と御飯が目に飛び込んで来る。おかずは――今日は肉野菜炒めと煮物だ。彼女が野菜好きなので食卓には自然と野菜ばかりが並ぶ。コンビニの弁当ばかり食べていた頃と比べたら体調も良くなったような気がする。
「……いただきます」
 毛布を剥ぎ取り食卓につく。暫くはお互い無言でひたすら箸を動かす。テレビもついていないことが多い。口を開くのは決まって食後のお茶の時だ。
「明日は?」
「早番。でも忘年会があるから遅くなる」
「じゃあ夕飯いらないね。久し振りに回転寿司に行こうかな」
「俺もそっちがいい」
「忘年会行きなさいよ」
「面倒くさい。仕事終わったら一旦帰って来ようかなあ」
「そんなことしたら寝過ごすに決まってるじゃない」
「そうだよな」
 仕事の後は昼寝せずにはいられない。これで飲み会をすっぽかすことが何度あったことか。同僚にも呆れられている。よく寝る奴だ、と。
「明日旅行行くんだっけ」
「そう。何なら宿から夕方にモーニングコールしようか?」
「いや、大丈夫」
 さすがにそれは、いい歳した大人としてどうかと思う。飲み会前に電話で起こしてもらうなど、周りに知られたらドン引きされてしまうだろう。
「……俺、自立を阻害されてるよな、間違いなく」
「自立ならしてるでしょ。ちゃんと働いて親から独立してるんだから」
「そうじゃなくて」
 家事全てを彼女にしてもらってることとか、起こしてもらってたりとか、時々弁当まで作ってもらってることとか。
 昔は自分でやってた筈なのだ。彼女ほどきっちりではないにせよ。なのに今では実家暮らしに逆戻り。燃えないゴミの日がいつなのかも忘れてしまった。
「つーか、何で結婚してないかって話だよ」
「一緒に住んでないからでしょ」
「住んでるようなもんでしょ」
「お隣さんで一緒に御飯食べてるだけよ」
「……分かんないんだよな」
 一応、何度となく言ってはいる。籍を入れないか、と。家事一切を他人任せにすることに対することに罪悪感はある訳で、申し出てはみたものの、毎回一笑に付されてしまっているけれど。
「付き合うにはいいけど旦那にするには駄目だってこと?」
「違うわよ」
「じゃあどうして」
「名前を変えたくないの」
「俺が変わってもいいけど」
「親が悲しむわよ。長男でしょ」
「俺が悲しむのはいいのか」
 自分が思っている以上に長男という位置は親世代にとっては大事なのだと彼女は言う。
 口では言うわよ、別に妹がいるから妹に跡を継いでもらうとか何とか。でもね、心の底からそう思ってる人って少ないと思うし。婿に入ってしまった、って嘆いて身近な所に愚痴るのがオチなんだから。――やめときなさいよ。
 正直、親なんかどうでもいいと思ってるのだが、彼女はそう言って結婚を――それどころか同棲まで反対するのだ。
 親にとっては同棲なんかとんでもないの。本当は見ず知らずの女と息子が付き合ってるのだって嫌なんだから。
(意味分かんねえ)
 付き合ってはいるけれど、同居はしていない。旅行も行ったことがない。彼女が強硬に反対するから。
 反論したとする。お互い一歩も譲らず喧嘩になる。彼女が部屋に戻ってしまう。喧嘩している状態が嫌でこちらからあやまってしまう。元に戻る。その繰り返し。



 彼女は誰も傷つけたくないのかも知れない。
(そんなのあり得ないけど)
 誰も傷つかない世界なんて嘘だろう。誰かが誰かを喰いものにして生きてるというのに。
(大体、結婚断られる度に俺は――俺がグッサリきてる)
「旅行、ひとりで行くの?」
「うん。ひとりの方が気楽だし」
 友達、いないから。そう彼女は続けた。
「学校の友達は?」
「学校出てから連絡とってない」
「会社の人は?」
「会社だけ」
「メールくらいはするでしょ」
「仕事の連絡はね」
「お茶飲んだりとか」
「仕事の日はね」
「……学校の人は学校だけで、会社の人は会社だけ、ってこと?」
「そう」
「……まじで?」
「うん。え、だって職場の人と休みの日に会ったりするの?」
「友達だったら遊びに行くでしょう」
「……そうなんだ」
(何で)
 何で、彼女は人間関係を切ってしまうのだろう。その場限りばかりで、継続しない関係。
 女の世界は陰険だと聞くが、これも彼女なりの防衛手段なのだろうか。誰にも当たり障りなく接し、個人に深入りしない。
(俺も、そうなんだろうか)
 プライベートの時間を一緒に過ごすだけ。世話をやくだけ。
「俺は? 俺は……アパートの人?」
 そう言ったら、彼女は本当に困ったような顔をした。



 彼女は自分の周りの人間を場所で分けている。実家の人、学校の人、職場の人、アパートの人。そして自分自身を場面によって使い分ける。まるで違う人間が何人も存在するかのように。
(夫婦の人、とかってないのかな)
 ただ、それをやってしまうと「素」に戻る機会がなくなるのだろう。少なくとも彼女はそう思っているし、「素」になれなくなることを恐れている。
(でも、ひとりでいる時と大して変わらないと思うんだけどなあ)
 ふと見せる、ぼんやりした表情は明らかにいつもの母親のような彼女の延長線上にあるもので。
「分かってるよ。あなたが俺のことは『アパート』ってくくりでは考えてないってことは」
「……うん」
(あからさまにほっとした顔をするな)
 だから何度でも壁を壊さなくてはならない。今までの彼女の人生で作りあげられた心の障壁を。傷つきやすいのは知っているが、だからと言って彼女の思うままにさせるのはもう嫌だ。
「とりあえず1回さあ、籍入れてみようよ。紙に書くのと親のとこ行くのと。何事も経験だって」
「だから嫌だって――」
「あなたは自分の名前書けばいいし変えなくていいから。あと自分の親にアポとって」
「また――」
「『或る一定の年齢になったら家庭を持っているのが当たり前で、孫がいて、老後は子供に見て欲しいと思ってるのが親の本音』って言ってなかった?」
「言ったけど――」
「じゃあやってみたっていいでしょう」
 でも、なんて反論は許さない。
「俺が、嫌なの。あなたがいちいち隣に帰っていくのが嫌なの。同居したいの」
 だって、の後も聞かない。
「嫌なんだよ、帰られるの。置いていかれたような気分になるんだよ。また明日来るのが分かってても、それでも寂しいんだよ」
 子供のように甘える。なりふり構ってはいられないのだ。プライドの高い彼女にはこんな振る舞いは絶対に出来ないからこちらから追い縋ってしがみつくしかない。
「……帰らないでよ、頼むから」
「だって明日から旅行だもの。帰らなきゃ」
「置いてかないでよ」
「仕事行くんでしょ」
 彼女は考え過ぎて、慎重過ぎて、石橋という石橋は叩き割ってしまう。一歩踏み出すくらいなら、手放す方を選んでしまう。そもそも、こういう関係に引きずり込むのだって実は大変だったのだ。隣人という立場を最大限に利用して。冷淡になりきれない彼女の情の部分に訴えたことも何度あったことか。喧嘩が出来るようになって内心ほっとしているのだ。
「行かないでよ」
「行くに決まってるでしょ」
「やだ。帰って来た時家にいてくれないとやだ」
「あのね……」
「じゃあ百歩譲って、ひとりで旅行行ってもいいから、紙に名前書いて」
「滅茶苦茶じゃないの!」
 意味が分からない、と困った顔をする彼女の前で、図体だけは大きくなった子供が訴える。
「ママー」
「私はあなたの母親じゃありません!」
 外ではしっかりしてるのに、何でこんなに甘ったれなのよ、と言う彼女に心の中で呟く。
 こうでもしないとあなたがすぐに離れてしまうからだよ、と。





(終わり)








[ 5/10 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -