オアシス


「ちょっとウサギっ! 何なのこれはっ!」
びくっ、と友和(ともかず)は身をすくませて、恐る恐る後ろを振り返った。
其処には、予想通りオニが――委員長が、いた。
2―Bの学級委員長、成田由紀子。
眼鏡の奥の目はいつも吊り上がっていて、クラスで彼女の怒声や罵声が聞かれぬ日はない。
やれ係の仕事をしろだの、片付けろだの、掃除をしろだの、サボるなだの、A型人間も此処に極まれり、担任の仕事の半分は間違いなくこの女がやっているだろう、有名人である。
いつもぼんやりしていて大雑把な友和などは、彼女の格好の標的となる。
友和に「ウサギ」というあだ名をつけたのも彼女だ。
色が白いからとか鬼平の兎忠に似ているからとか、理由は色々あるらしいが、とにかく友和は「ウサギ」らしい。
今ではクラスの殆どの人間が友和のことを「ウサギ」と呼ぶ。
――それはともかく。
「ウサギ! ゴミを掃き散らさないでよ! せっかく集めたのに!」
「ちゃんと塵取りでとってゴミ箱に捨てたよ」
「1回じゃ取りきれないからとっといたのに!」
……大して残ってなかっただろ。
内心、そう思っても言えない。
しかも。
ゴミを散らしたのは、向こうで何喰わぬ顔をして机を戻している鈴木だ。
大概の人間は要領とか運が良かったりするので、彼女からうまく逃れられるのだが、友和には難しい。
「此処、もう1回掃いてよね」
委員長は捨て台詞と共に退場し、残された友和は仕方なくもう一度ゴミをかき集め始めた。



やっと帰れる。
ほっとして鞄を持ち上げたところに、数人の女子がお喋りをしながら教室に入って来た。
「……だって言い辛いもん」
「あー、じゃあ成田に言ってもらえば?」
「そーだよ、成田ならあの辺も聞くからさー」
……またか。
友和は思う。
こうしてまた委員長の仕事が増えて行くのだ。
クラスメイトに言い辛いこと。
特に、男子に言い辛い、注意。
女子は自分で言わずに委員長に押しつける。
そのせいで、成田が憎まれ役になっているとしても、彼女達は何とも思わないのだ。
成田も犠牲になっている、と友和は思う。
女子のああいうところが嫌いだ。
いい人を演じ、暗い部分は丸ごと他人に任せて、なかったことにする。
友和は彼女達の話を聞かなかったことにして、即教室を出た。
自分も同じだと自嘲しながら。



人がいなくなった昇降口に、委員長はいた。
友和の気配に振り返る。
「ちゃんとやったの?」
開口一番、これである。
まるで母親だ。
「やったよ。ちゃんと塵取りで取った」
そう、と彼女は言い、また下駄箱に向き直る。
友和は上履きを入れて、靴に履き替えた。
「大丈夫だよ、俺は」
独り言のように小声で言うと、彼女が振り返ってこちらを見る気配がした。
「……ごめん」
「誰かが言わなきゃいけないんだろ」
でも、と友和は言葉を続けた。
「無理するなよ」
「分かってる」
「苺でいい?」
「うん」
「じゃあ……後で」
「うん」
友和は一度振り返って笑いかけ、昇降口を出た。
友和が料理好きだということも。
成田が誕生日の前日だということも。
2人の家が近所だということも。
誰も気づかない。
誰も知らない、2人の秘密。
だから暫く、友和はウサギのままだし、成田は委員長として、此処で生きて行く。
互いが互いを、砂漠の中のオアシスだという思いを支えにして。








(終わり)








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