ウサギの眼


ウサギはいつも、泣いている。



「……はい、すみません。宜しくお願いします」
由衣は携帯を閉じて布団を引き被った。
体調不良でバイトを早退、他の人に代わってもらい、病院に行って言われた言葉が。
「インフルエンザですね」
処方された薬は噂のタミフル。
薬局で思わず固まった由衣に、薬剤師はあっさり言った。
「大丈夫ですよ。すぐ熱は下がりますから」
だから違うんだってば!
そうじゃなくて、恐ろしい副作用があるじゃないか!
暴れるとか飛び降りるとか!
しかし、そんな不満を言える筈もなく、薬を貰って大人しく帰宅した訳なのだが。
「いい加減成人してるんだから大丈夫でしょ!」
「医者の言うことくらい聞けよ」
「頼むからうつさないでよね」
何だこの発言は!
これが兄弟の言うことか!
心配するとか気を遣うとか、そういうのはないのか!
挙句、母親に至っては、
「坐骨神経痛がね……ちょっとピリピリして……」
あんたがヘルニア治さないのがいけないんでしょうが!
父親はいつものように知らん顔。
そんな訳で、食事は家族がいない時間に台所からくすねて、枕元に水と薬と一緒に置いておく羽目になり。
……もお、ヤだ。
由衣は布団の中で身体を丸めた。



ウサギはいつも、泣いている。



「武藤さん、どうしたの」
「すみません」
初歩的なミス。
小学生にだって分かるような間違い。
「バイトだからって甘えは許されないんだよ」
「すみません」
「最近、仕事に身が入ってないよね?」
「……」
気がかりなことなら、幾つかある。
女の園ではよくあること。
表面上ではにこにこしていても、腹の中では誰もが他人のミスを望み、自分が堕ちることを恐れる。
寄ると触ると噂話。
悪口。
それしかすることがないみたいに。
高校時代の延長。
「由衣、あれどうする?」
「留奈はどうするの?」
「ぶっちゃけ面倒なんだけどさ〜」
「瑞恵ちゃんは、どうするって?」
「えーっ、あたしあの子とあんまし仲良くないもん」
「え、そうだっけ?」
「ええっ? 由衣、知らないの? あの子ね……」
誰もが他人に邪険にされることに怯え、誰かを犠牲にすることで不安を解消する。
その行為を誰もが嫌がっているのに、誰も止められない。
そんな綱渡りのような時期は終わった筈だったのに。
由衣はまだ、抜け出せずにいる。
学校でも。
バイト先でも。



ウサギはいつも、泣いている。



みんな嫌い。
大嫌い。
親も兄弟も友達も先生もバイト先の同僚も社員も。
みんな、みんな、大嫌い。
暗闇の中、光る赤い眼。
真っ赤なルビーのような2つの瞳。
――でも、それは。
寂しがり屋のウサギの眼。
誰も構ってくれなくて泣いているコドモの眼。
それは、ワタシ。

そんなワタシが、一番、嫌い。



ウサギは、いつも泣いている――。




はっとして目が覚めた。
いつの間にか、日が傾いている。
……夢。
嫌な、夢。
由衣は寝汗が酷いのに気づき、Tシャツを替えた。
眠っていただけの筈なのに、身体は酷く疲れている。
虚構と現実の混じり合う、見るだけで随分精神力と体力を削る夢だ。
はあっと溜息をついて、ペットボトルを手に取ると、近くに転がっていた携帯のランプが点滅している。
水を飲み、携帯に手を伸ばす。
学校の友人やバイトの同僚からのメールが数件。
1つ1つ開けてみると、そのどれもが由衣を気遣うものだった。

授業のノートはとっておくから。
先生には言っといたから。
バイトは大丈夫だからゆっくり休んで。

文字だけなら、嘘だって書ける。
でも。
それが上辺だけのものだったとしても。
嘘だったとしても。
メールをくれたという行為が嬉しい。
自分は独りではないのだと。
誰かと繋がっているのだと。
そう、思えてならなかった。
ポタリ、と携帯の画面に雫が落ちる。
由衣は携帯を胸に抱き、横になって暫く泣き続けた。



ウサギはまだ、泣いている。



「由衣っ! プリン買って来たわよっ!」
「俺のヨーグルト食べていいから」
「漫画、読む〜?」
後で……、といい加減な返事を部屋の中から返していたのだが。
「由衣っ! 起きられるなら降りて来なさいっ!」
……何なのよ一体っ!
ふらふらとリビングに降りて来て見れば、家族みんなが勢揃いしている。
「ほらっ、食べなさい」
「……何かあったの?」
テーブルの上に並んだ病人食のオンパレードに、何事かと由衣が怪訝な顔をすると、一番上の姉が言った。
「クニが、由衣が泣いてるって大騒ぎしたのよ」
「たまたま早く帰って来たら、由衣が部屋で泣いてたから」
兄は即、他の家族にメールを一斉送信。
慌ててみんな土産を買って来たらしい。
……馬鹿ですか。
普段、一番下の由衣は家族の使い走りなのだが。
そこへ。
「ただいま」
帰って来た父親の抱えた包みは。
「由衣、バナナ買って来たぞ。お前、好きだったろ」
「いつの話だ、いつの……!」
バナナが好きだと父親にねだったのは10年も前のことである。
しかし。
「もしかして食欲ないの?」
由衣に向けられる10の瞳。
みんな、心配そうに見つめている。
「た、食べます、頂きます」
その途端、周りのはりつめていた空気が和らいだ。
……私、食欲殆ど落ちてないし、普通のごはんがいいんだけど。
それでも。
何だか凄く嬉しかった。
たまには病気になるのもいいかも知れない、と由衣は思った。



だから。
ウサギは、安心して眠る。





(終わり)







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