悪妻の素(もと)


すみれちゃんは美人だ。
家が隣だったこともあって、僕は小さな頃からすみれちゃんと一緒に遊んでいた。
ままごと遊びはすみれちゃんがお母さんで僕がお父さんだったし、お昼寝は絶対に隣じゃなきゃ嫌だった。
僕はすみれちゃんが大好き。
だから。
大人になったらケッコンしよう、って約束した。
すみれちゃんは、いいよってにっこり笑ってくれた。
なのに。

「篠崎せんぱ〜い!」

すみれちゃんが駆け寄って行くのはレガッタ部の篠崎の所だ。
体育会系で精悍な顔立ちの篠崎は女の子達の憧れの的だ。
しかも。
「先輩、帰ろうっ」
すみれちゃん!
篠崎なんかに抱きつくなっ!
筋肉馬鹿が移るだろっ!
目下、レガッタ部のマネージャーのすみれちゃんはよりにもよってあの篠崎なんかと不純異性交遊の真っ最中らしい。
僕は。
僕は!
僕はっ!!
絶対に認めないっ!



「……で、須田は振り向いてくれない高橋のことを思ってびーびー泣いてる訳ね」
「うるさい矢島っ!」
前の席の矢島はサッカー部の敏腕マネージャーだ。
「別にアンタがストーカーしようが何しようが構わないけど、頼むから先輩と高橋が帰って行く所を見て練習中に大泣きするの、やめてくれる? みんな困るんだから。つーか、いい加減諦めなさいよ」
「そんなの嫌だあああっ!」
「あっそお」
矢島はにっこり笑って続けた。
「ま、せいぜい嫌われないように気をつけてね。アンタが高橋のストーカーやってんのはみんな知ってる訳だし、高橋も先輩もアンタのことなんか目の中に入ってないから」
「そんなあ……」
矢島は僕が泣こうが喚こうがきついことを平気で言う。
「そのくらいでいちいち泣くな!」
しかも男前だと思う。



確かに、僕は毎日のように泣いている。
この歳にもなっておかしいとも言われる。
言われるけど。
「須田って一人っ子?」
「3人兄弟の一番上」
「えええええっ?!」
矢島の大声は休み時間の教室を静まりかえらせた。
「ア、アンタが長男……っ?!」
途端に教室がざわめき出した。
「アンタんちって、もしかしてみんなか弱いの?」
「そんなことない」
「兄弟3人みんなびーびー泣くとか」
「他の2人はあまり泣かない」
上の弟は受験生のくせに勉強もせずにぼーっとしてるし、下の弟は僕と同じでサッカーに夢中だ。
「同じ、なんて言ったら弟に失礼なんじゃない? アンタの場合、サッカーよりもまず高橋じゃないの」
それは否定しない。
僕はすみれちゃんに関することが最優先だから。
「高橋、可哀想……こんな奴に小さい頃から付き纏われて」
「こんな奴って失礼な!」
「だって私だったら嫌だもん。些細なことでびーびー泣いてさー、ちっとも使えないしさー、挙句、ずーっとストーカーするしさー、尾行まいても家は隣だしさー」
「ストーカーなんかしてないよっ!」
「付き纏ってるのは本当じゃないの」
矢島は容赦なく続けた。
「だって学校も習い事も全部高橋の真似でしょ? 高橋が行くから僕も行く、でしょ?」
「……離れたくなかったから」
「サッカーだってそうよね。高橋がマネージャーだからやってたんでしょ」
でも。
すみれちゃんは急にサッカー部からレガッタ部に入部先を変えた。
それを知ったのは僕が既にサッカー部に入部届を出し、変更がきかなくなってからだった。
「何でも一緒、ってそれやられる方はウザイよね〜」
「すみれちゃんは矢島みたいに思ったりしないよ!」
「思ってるわよ」
矢島はさらっと続けた。
「高橋、最初はサッカー部にあたしと一緒に入部届出そうとしたの。でも、アンタが入部届出したの見て変えたの」
……うるさい。
「アンタに付き纏われるの、よっぽど辛かったんじゃない?」
……うるさいっ!
「泣いたって状況は変わんないわよ。高橋がアンタを嫌ってんのは確かだし」
「そんなことないっ!」
「本当よ。現実をよく見なさいよ。だから空気読めないって言われんのよ。アンタが高橋好きでも高橋は違うのよ」
「そんな……」
そんな筈、ない!
すみれちゃんは……すみれちゃんは……。

『篠崎せんぱ〜い!』

「い、嫌だあああっ!!」
僕は椅子から立ち上がった。
すみれちゃんのとこに行かなきゃ!
「ああ、高橋んとこ行って確認するだけ無駄だし、高橋だってメーワクだからね」
「う、うるさいっ!」
僕は教室を飛び出した。



階段を登った突き当たり。
施錠された屋上の入口。
寒さにガタガタ震えながら、膝を抱えて座り込む。
僕は小さい頃からずっと苛められる側だった。
こんな時、帰って来ない僕を迎えに来てくれたのは、すみれちゃんだった。
一緒に遊んでいて邪険にしなかったのは、すみれちゃんだけだった。
でも。
「……分かってるよ」
もうすみれちゃんは来ない。
泣いても喚いても、迎えに来てくれる人はいない。
自分で戻るしかないんだ。
「あー何で教室出て来たんだろ……」
授業は完全にサボり。
先生に見つかったら叱られる。
でも、寒いし、此処にはずっといられない。
授業が終わる頃戻るしかない。
せめてコートを持って出て来ればまだ良かったのに。
また涙が出て来た。
何で僕はすぐに泣くんだろう。
矢島に言われなくたって、ずっと前から分かってたんだ。
いつか、すみれちゃんから離れなきゃいけない、って。
美人で優しいすみれちゃんを、ソクラテスの妻にする訳にはいかないんだ。
僕はガタガタ震えながら、泣いた。



授業終了のチャイムが鳴った。
教室に戻れば、みんなに変な目で見られるし、陰で笑ってるだろうし、矢島には嫌味を言われるに違いない。
それでも。
――自分で戻らなきゃいけないんだ。
僕は覚悟を決めて立ち上がった。





(終わり)






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