手料理が目に染みる


それは、梅雨が明けたばかりの、七月末のことだった。
試験も終わってほっとしたところに、栗原から電話がかかって来た。
すぐ来いと言われ、何事かと思って近所の誼で駆けつけてみれば、冷蔵庫が壊れたのだと言う。
「しょーがねーだろ、古いんだから」
古いのは知っている。
これは先輩のお古だから。
先輩もまたそのまた先輩に貰ったらしいし、今時リサイクルショップに行ってもこのデザインはないだろうと思う程古い冷蔵庫。
いつ壊れてもおかしくない。
ここで問題なのは。
「何で自分で片付けずに他人を呼ぶかな」
栗原は冷蔵庫から随分離れた所で我関せずとばかりに茶をすすっている。
「俺が片付けるよりもお前呼んだ方が片付くから」
「……帰る」
「待て待て待てっ! ビール、そこのビール全部やるからっ……あ、そうそう、サラミもつけてやるっ!」
「……」
「マックの半額券!」
「……」
「使ってない味醂!」
「……」
「酢もつけてやるっ!」
「……何日留守にした?」
うっ、と言葉に詰まった所を、たたみかけるように尋ねる。
「は、半月くらい……かな……」
「そんな筈ないと思うけど。『あの』遠藤がまっすぐ帰るようになったのは確か先月だったような気がするし」
「……1ヶ月」
「だろうね」
ピタリと閉じられたままの冷蔵庫を前に、溜息をついた。
「遠藤呼べば?」
「呼べる訳ないだろ! こんな危険な――」
「危険? 危険なことに俺を巻き込んでもいいと」
「いやその」
「危険なことを自分でやらずに友人にやらせるのかお前は」
「うっ……」
「自分で片付けろ」
「待て待て待てっ! 俺を見捨てるのかっ!」
「見捨てたらいけないのか?」
「頼むっ、頼むから見捨てないでくれっ!」
「遠藤に言え」
「あいつとは別れたんだっ」
「捨てられたのか」
「はっきり言うなっ!」
「1ヶ月か。遠藤にしたらもった方だな」
「うるさいっ!」
……このくらい遊べばもういいだろう。
そう思って半泣きの栗原にこう言ってやる。
「とりあえず、扉はお前が開けろ」



「い、行くぞっ」
手にはゴム手袋、口にはマスク、台所の窓を開けて換気扇を回す。
ゴミ袋もしっかり用意した。
「い、行くぞ」
「気合いはいいから早く開けろよ」
「わ、分かった」
栗原は冷蔵庫の扉に手をかけたが、ややあって振り向いた。
「やっぱりお前やって」
無言で蹴りを入れてやると、分かった、分かったよっ、と泣きそうな声で言う。
「早くやれ」
その言葉に栗原は恐る恐る冷蔵庫の扉を開けた。
「なーんだ、大したことない……うっ」
「……臭うな、やっぱり」
あまりの臭気に目も染みる。
とにかく全部ゴミ袋に入れてしまえとばかり、半分目を瞑りながら目についたものから袋に放り込む。
「卵、軽いな〜」
「一々確認するな! 目が痛い」
嫌な色に嫌な臭い、嫌な手触り。
冷凍室の方も残らずゴミ袋に入れて口を縛ったのだが。
「……」
栗原はまだ開け放した扉の前で固まっている。
「おい、早いとこ全部外に出すぞ」
「……」
「栗原」
「……」
「栗原!」
「……《ちりとてちん》だ」
「は?」
「見ろよ、《ちりとてちん》だぞ、これは」
いいから早く捨てろ、と言おうとして近づいてみると、冷蔵庫の中に変色した豆腐が1皿、ラップをかけられた状態で入っていた。
「な、《ちりとてちん》だろ」
ちりとてちん。
落語に出て来る危険な食べ物。
もしくは、その食べ物を嫌な奴に食わせる噺。
……でも。
「それはただの腐った豆腐だろ。一味唐辛子を入れないと《ちりとてちん》にはならないぞ」
そう言った瞬間、自分の失言に気がついた。
栗原が目をキラキラさせて言った。
「唐辛子、あるぞ」
頭痛がして来た。
こうなってしまうともう栗原はテコでも動かない。
溜息をついて、一味唐辛子と割り箸を探し出して栗原に渡した。
栗原は皿を床に下ろしてそっとラップを取った。
……うわあ。
見れば見る程気分が悪くなる。
彼は躊躇いもなく唐辛子を全て振りかけ、割り箸を割ってかき回した。
……かき回すなっ! 臭いがますます酷くなるっ!
世にも恐ろしい――というかおぞましい、真っ赤などろどろしたものが出来上がると、栗原はこう言った。
「食ってみるか?」
「お前が作ったんだ、お前が食え」
「友人の手料理を食べないとは冷たい奴だな」
「病院には行きたくない」
「大丈夫だろ。納豆食べてるじゃないか」
「腐敗したものに耐えられる程胃袋は丈夫じゃない」
「《ちりとてちん》だぞ?」
「尚更嫌だ」
「えーっ」
「お前が責任持って胃袋に始末しろ」
「くすん」
栗原は泣き真似をしつつ箸を口に近づけたものの、あまりの臭いに顔を背けた。
ごほごほ、と咳き込み、ついには諦めたのか皿ごとゴミ袋に放り込んだ。



「あ〜死ぬかと思った〜」
作業は全て完了し、捨てるものを外に運び出したのだが簡単に臭いが消える訳もなく、結局栗原も一緒にこちらのアパートに避難しに来た。
鼻がまだおかしい。
「暫くこっちに泊まっていい?」
「帰れ」
えーっ、という不満の声は無視して続ける。
「俺、今日バイト」
「駅の西口だろ。帰りにビール買って来て。ごはん作って待ってるから」
「……帰れ」
「分かったよ」
つまんねーの、と栗原は呟いた。
「冷蔵庫、買うのか」
「んーどっかから拾って来るかな〜」
「せめて、リサイクルショップにしとけ」
釘をさしたが、効き目はあるかどうか。
また何処かで拾って来るに違いない。
溜息をついた俺を見て、栗原はげらげらと笑った。





(終わり)








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